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楊少衡「親自遺忘」『湖南文学』2016年第10期

著者の楊少衡は1953年福建省漳州生まれ。西北大学中文系卒。この小説は政務にあたる指導幹部が、ある失敗をしたときの感慨を描いている。「親自遺忘(自ら忘れる)」。この小説は、いろいろな受け止め方ができる。幹部が、支援の対象である若い学生を傷つけるつもりはなく傷つけてしまった(読んでいてこの幹部を批判する気持ちに単純になれないのは、意図せずに他人を傷つけることは実はよくあることだからだ)。どうすればよかったのか。この小説は、指導幹部の慢心を批判しているとも読めるし、指導幹部への政治教育の教材のようにも読める。以下はあらすじ。著者の意図はどこにあるのだろうか?

主人公はある市の政法委員会書記の陳章書記。彼が職場で「自ら(親自)」という言葉をあれこれ考えているところに、「オジサン助けて」という小蘭(シアオラン)を名乗る若い女性の声の電話がかかってきた。若い女性の声による電話の詐欺事件は多いので、陳書記は最初は直ぐに電話を切り、さらに二度目にかかってきたときは「二度とかけてきてはいけない」と注意してやはり電話を切ってしまった。

政法委員会は社会治安など総合的を担当していて市の公安局を監督している。公安局長は研修(学習)のため留守にしているので、陳書記のもとに公安局副局長の董橋が最近のことの業務報告に来た。その中に賭博で検挙されたものが十数名いたとのこと。さらにその検挙された中の王桂花という女性の名前が気になった。しかし自分の記憶にその名前はないと陳書記は考え直した。

その翌日午後、市の第一中学の林校長が訪ねてきた。林校長は、市の指導部が支援している女の子がいて、本人も努力していたが、しかし学力試験の結果、数学の試験の結果がわずかに及ばず、残念だと報告した。林校長は、彼女の「夢」と題した作文を持参し、さらに彼女は貴方と話したことがあります(她还提到您)、といった。陳書記は、学力試験の結果がだめでも、他の学校で勉強を続けるべきだ、と校長に言った。
陳書記は言った。「私にこの子を助けさせてください。彼女は何という名ですか。」
「小蘭です」(ここで陳書記は驚いた)

林校長が帰ったあと、陳書記は急いで通話記録を調べて小蘭からの通話が市内からの電話であることを確認した。しかし依然として会ったことはないと考えた。続いて、自身の秘書の小劉を呼んで確認すると、事実はこうだった。2年前、市の教育局で生活困難な学生を支援することになり、その後、何人かを指導部と話し合わせる(提交)ことになり、小蘭は陳書記と会っていますと。その後の支援は定期的な給付で、陳書記は忙しいということで、陳書記の名前で、小劉が送っていますと。

陳書記は面識があり、自分の名前で奨学金を送りながら、小蘭からの電話を詐欺電話と思って切ってしまったことにここでようやく気付き、問題の解決に動き始めた。

小蘭の姓は黄。父親はすでに亡くなっており、母と弟がいる。母の行商(摆摊)が生活費の源という貧しい家庭。その母の名前は先日賭博で捕まった王桂花であった。

陳書記は小蘭の進学に向けて動き始めるが、壁にぶつかる。公安局の董橋は「我々が方法を考えるべきですか?(我们来想想办法?)」と答える。
林校長は
「指導部の判断次第です(听领导的)。」と繰り返す。
そして小劉が細かな調整をしてことが動き出すかに見えた時、突然、話は打ち切りになる。

王桂花が拘留所から出所して二日後、小蘭は探さないでくれとの「書置き」を残して家を出てしまったのだ。王桂花は、失踪を届け出る意思はなく、娘の進学にも無関心だった。秋の開学を迎えても、小蘭は戻らず、小蘭の進学に向けての陳書記の努力はすべて無駄になった。

陳書記は、あの電話のとき、別の対応を取れればと心が痛むのであった。

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