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魯迅《藤野先生》1926/10

 魯迅と藤野(ふじの)先生との関係はこの小篇で歴史に残った(日付けは1926年10月12日 手元の『魯迅作品選』大安1967年pp.121-128を使った。この手元の本は私の50年以上前の学生時代のもの。時間は早く経つものだ。)。(写真は心光寺山門)
 その中のエピソードでも心を打つのは、魯迅のノートに藤野が詳細に添削を加えたことだろう。留学生に対して確かにそうした指導が逆に必要なのだとも思う。昔、北海道大学で見た札幌農学校の資料のなかに、外国人講師の英語による講義をそのまま書き取ったノートが展示されていた。講師の側が、聞き取りができているかをノートをチェックして確かめ、最後はそれを学生が浄書していたとのこと。当時は、講義を記録することが学問の伝え方として、とても重要だったのかもしれない。

 藤野先生による添削については、藤野先生が札幌農学校におけるような指導法を自身経験していたかは分からないが、その可能性も少し感じる。ところで最近の学生を見ると、ノートも取らない横着な学生も多い。先生の言葉を書き漏らすまいと、ノートを必死にとる時代は過去になったようだ。藤野先生の時代に僕らはもう戻れないけれど、先生が学生のノートを添削するような授業の進め方を、うらやましく感じるのは僕だけだろうか。なお文末に1926年10月12日という日付けがある。

過了一星期,大約是星期六,他使助手來叫我了。到得研究室,見他坐人骨和許多單獨的頭骨中間,--他其時正在研究着頭骨,後來有一篇論文在本校的雜志上發表出來。
“我的講義,你能抄下來麽?”他問。
“可以抄一點。”
“拿來我看!”
我交出所抄的講義去,他收下了,第二三天便還我,並且說此後每一星期要送給他一回。我拿下來打開看時,很吃了一驚,同時也感到一種不安和感激。原來我的講義已經從頭到末,都用紅筆添改過了。不但增加了許多脫漏的地方,連文法的錯誤,也都一一訂正。這樣一直繼續到教完了他所擔任的功課:骨學,血管學,神經學。

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