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温又柔「台湾生まれ 日本語育ち」(2015)

 1980年台湾台北生まれ、日本東京育ちの温又柔の本書を思いがけず繰り返し読んでしまった。本書は2015年12月に白水社から刊行。2017年3月には繁体字版「我住在日語」が台湾で刊行された。手元にあるのは2018年9月の白水社Uブックス版だ。
   繰り返し読んでしまったのは、台湾生まれ東京育ちの筆者の経験や感慨はもちろん筆者個人のものだが、時間とともに筆者の知的な興味が拡大し成長するプロセスをとてもいとおしく思えたからだ。なにより日本語と中国語さらに台湾語の間に育った筆者やその家族の物語に引き込まれたからだ。
 家族の中で主に使う言語が分かれ、しかしそれが家族を分断するでもなく、時とともに変化としてゆく。ママの日本語は言葉の並べ方が少しおかしいし、自分の中国語も発音が少し頼りない。でもそうした違いはそれぞれの人の人生そのもの。といったことを読みながら考えさせられた。
   台湾の問題はクレオールの問題とは微妙に異なるのだろう。クレオール化というのは宗主国がありその植民地があるときに、その植民地での両者の文化の混淆現象のことであるようだ。台湾の場合は、1895年に清から日本に割譲され日本の統治下におかれ、50年以上の時を経て1949年に大陸から蒋介石政権が逃げ込んだことで、国民党独裁政権の支配下に置かれた。日本が統治していたときは、日本化=皇民化教育が行われ、国民党の支配下では反共と国語教育が徹底された。混淆というよりはいずれの場合も、宗主国の文化への一元化が強制されたと言った方が正しいかもしれない。台湾独自の文化の尊重・発達はそもそもいずれの場合も抑えられたようにも見える。
 しかし時がたち、筆者にとって日本語はむしろ使い慣れた母語になっている。家族の間ではかつて祖父や祖母にとっては、日本語が本音を語るには適した言葉になっていた。両親の世代には中国語がその位置に置かれた。そして日本在住が長い温は日本語でモノを考え、小説を書いている。彼女自身にとって日本語は、自身を記録しその立場を主張してゆくには自然な言語になっている。言葉がもつ意味が時間や環境の変化とともに変わることをこのエッセイはよく示している。筆者の生活の中ではとくに、日本語、中国語、台湾語が入り混じる筆者と家族間の会話のなかに台湾というものの存在を感じることができる。日本語で台湾のことを書く温という台湾人作家がいることは、台湾の歴史そのものであり、温の個人史でもある。言葉というものは、そもそもそういうもので国とか国境を越えたものだ、ということを改めて考えさせられる。

#温又柔 #台湾 #日本語

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