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顧准ー上海での青春時代1931-40

 呂崢《非如此不可‘顧准傳》遼寧教育出版社·2014年pp.16-33による

 顧准(1915-74)がいかに早熟だったかを示す話は多い。潘序倫が上海に開いた立信会計士事務所で頭角を現した彼は1931年、わずか16歳で立信会計士事務所が開いていた夜学の講師として会計学を講じた。その最初の年、夜学に来ている彼より年上の人たちは、自分たちよりはるかに若い講師に反発した。やむなく潘序倫は1週間で、顧准を講師から降ろしたものの、雑誌『会計季刊』の編集を任せた。この時の苦い経験は、顧准を鍛えたと言える。1年後、夜学の講師に再度立った顧准は(おそらく1年間徹底して準備したのだろう)、授業の内容、言葉遣いによって、学生たちに支持されるようになった。ちょうど銀行会計の先生が離職したので、潘序倫は銀行会計の講師として顧准を指名した。
 顧准は大学で通用する銀行会計の教科書作りに取り組み経済学の勉強に触れている。顧准は商務印書館資料室などにも通い思想の幅を広げたとされる。たまたまこの時起きたのが九一八事件である(1931年9月18日柳条湖で起きた軍事衝突。これを口実に日本軍が東北を占領。1932年3月1日には満州国成立を宣言する)。そして上海で起きたのが、一・二八事件である(1932年1月28日に上海で起きた軍事衝突)。こうした事件が続くなかで、顧准はは国民政府の妥協的姿勢に失望するとともに、共産党に共感するようになり、1934年には顧准を中心に非合法組織「進社」を結成している。
 1935年初め、商務印書館発行、立信会計叢書として「銀行会計」は出版された。顧准には印税の一部800元が支払われた。しかし顧准は、「進社」を解散、上海の抗日機構(武衛会)に参加するようになり、潘序倫の立信会計士事務所を離れている。
 武衛会の書記は林里夫。この林の紹介により顧准はついに共産党に入党している。しかし時局は大変緊張しており、身の安全を図る必要があった。中国銀行総賬室劉攻芸は顧准が雑誌『会計季刊』の編集担当時の知人であり、「銀行会計」出版後、劉攻芸は顧准を高く評価し、中国銀行の業務に彼を使うことを考えた。こうしてついに、顧准は一時であるが、中国銀行に勤めたとされる。

 しかしここで陳雲と潘漢年による上海党組織再建、さらに国民政府による党組織捜索が重なり、上海の党人は四散する。林里夫は顧准を訪ねて、中国銀行を辞職し、かつすべての政治活動を停止して潜伏を求めた。この結果、顧准は中国銀行を退職している。こうしたなか、顧准は潘序倫の紹介で会計学方面の多数の著作を書いている。これは稿料により生計をたてていたのであるが、結果として顧准は、当時の会計学の世界をけん引したのである。
 1937年7月の盧溝橋事変のあと、日本軍は口実を作って上海を武装占領する。こうした情況のもとで、共産党は上海に地下党を建設に進んだ。その直前の王明による暴動路線により党は多くの損失を受けていた。省の書記劉暁は地下党員に社会関係を利用し、合法闘争を進めることを求めた。普通の市井人としての社会生活を求めたのである。
 顧准は潘序倫の立信会計士事務所に戻り編訳科主任となっている。聖約翰大學,之江大學,滬江大學,上海法學院が銀行会計の専門家である顧准を争って教壇に迎えたのはこのときである。20代前半にして顧准は、自身は貧しさのゆえに大学はおろか中学高校でも学べなかったが、会計士事務所で得た知識で専門家として評価されて、大学の講師として教壇に立ち、活躍したのである。

 しかしまたこのとき、顧准(1915-74)の後年の不幸を予感させる最初の出来事が起きている。彼は党活動の面では職員運動委員会書記を務めていた。省の副書記劉長勝はソ連に長くいた老革命家で、顧准が進めたダンスだとか打牌(トランプあるいは麻雀)など娯楽を含めた活動、それに反感を抱いた(顧准の会計学者として側面での高い社会的評価を、老革命家は好意的にとらえてなかったと思われる)。省の書記劉暁は劉長勝と顧准とが合わないとみて、顧准を文化運動委員会の副書記とした。同委員会の書記は経済学者として頭角を示していた孫冶方(1908-83)であった。この老革命家の反感に後年、顧准が党活動で受ける不当な評価につながるものが感じられる(顧准はこの後も、顧准を好意的にとらえない人との争いで消耗してゆく。)。他方でこうして、経済学者孫冶方と会計学者顧准は出会い、友情を築き、また上海の文化活動に上海で足跡を残したのである。

顧准  (グウ・ジュン 1915-1974)
 顧准 「科学と民主:科学精神と多元主義」1973年春
 顧准 「レーニンの直接民主はスターリンの独裁をもたらした」1973年4月20日 
 顧准「少数派を保護せよーカウツキーは正しかった」1973年7月20日
 顧准 「 資本主義もまた変わった」1973年5月8日
 顧准 「 資本主義がなお生命力を有する原因はどこにあるのか」1973年5月9日
 陳敏之 顧准と会計 1984年7月
    王元化「世界には寂しさを感じないこのような人がいる」1989年2月24日 
 趙紫陽   顧准は大思想家である 1995/05
    李鋭「一時(いっとき)も理論を欠くことができない思考」1996年2月
    福光寛「顧准(グウ・ジュン 1915-1974):生涯と遺著『理想主義から現実主義へ』 会計学者・革命家・経済学者から多元的民主主義の研究者へ」『成城大学経済研究』第222号2018年12月, 91-143

孫冶方 in note
中国経済学史目次
新中国建国以前中国金融史

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