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誰もがプロンプト・エンジニアになるわけではない

2022年11月にOpenAIがChatGPTを発表。そのバージョン4は月額20ドルで使えた。下位バージョンの3は無料開放。さてその用途は何か。わたしは25歳からコンピューターを使い始めた。仕事でも17年間IT関連の仕事をした。その経験から生成AIというのはどこか怪しい。そんなこともあって発表されたときはサインアップしなかった。無料というのは特に怪しい。

あれから1年と3カ月が経ち、どうも周りが騒がしくなってきた。そこで今年の2月下旬にChatGPTにサインアップして使ってみた。いまではサインインしなくても使える。同時にマイクロソフト社のCopilotとグーグル社のGeminiというのも使ってみた。2ヵ月間使ってみてほとんど役に立たないことがわかった。それはプロンプトを書く作業にスキルが必要だという理由からだった。

英紙エコノミストにプロンプト・エンジニアリングについて記事が掲載されていた。この記事によると大規模言語モデル、いわゆる生成AIは可能性を秘めており驚くような出力を提供する。人が理解できる言語を入力できる。それを理解してくれるのは助かる。そうすることで難しいプログラミングよりははるかにシンプルである。

しかし一般の人、プログラミングを経験したことのない人が使いこなせるのだろうか。生成AIを使いこなすにはアルゴリズム(計算式)をうまく使いこなせないといけない。そういうことができるひとをプロンプト・エンジニアという。機械から完全に脱したわけではない。

機械に的確な指示を出さないといけない。それは段階的な鎖のような命令を指示する。プログラミングをしたひとならわかる。機械語というのはそういうもので機械がわかるルールで命令を出す。

機械が理解できるようにプログラミングするのが前提にある。ゼロとイチの世界である。

ところが人が理解するにはなんらかの温度差が発生する。それを出力で反映させるには時として事実と違うことが発生する。エラーの危険性がある。

また人と話すようにすればあたかも人が返すように回答をする。しかしそこではなんらかのマナー違反が発生してしまう。抑制が効かない。ゆえに出力結果は人が介在して編集しなければならない。それにはコストが発生する。可能性を秘めた生成AIであるが課題も多い。

わたしはこの記事を読んでこのような感想を持つに至った。ひとつは仕事で使うかどうか。次に学習用に使うかどうか。そして何に使うのがいいか。どうしてこれほど騒いでいるのか。だれもがプロンプト・エンジニアになるわけではない。

まず生成AI、特にChatGPTを仕事で使うかどうか。わたしの答えは、使わないというものだ。普通に考えて見て会社が生成AIの使用を奨励しているとは考えられない。会社内での使い道については検討が始まったばかりであろう。具体的なプロジェクトや企画が社内で進んでいるとは考えられない。若いサラリーマンのひとは上司に聞いてみよう。あるいは部門長がなんらかの声明を出しているかどうか。

社内で生成AIを使う場面というのはほとんどないであろう。AIというのはIT企業から無償提供されるものでもない。社内で役に立つように使われるAIというのは手作りでないといけない。内製でないとうまくいかないであろう。

どこかからコンサルタントをつれてきてプロジェクトを走らせないとわからない。多くの経営者がAIをどのように使っていいかというのはまだわからない。特に費用対効果があるのかどうかは不明であろう。どんなに短くても2年くらいはなにも起こらない。アメリカでも実証実験中である。

次に生成AIは学習にはそれほど期待できない。土日祝を使って何かを学ぶ。そう決めたのならば半年くらいは同じテーマでじっくりと学ぶ。その時に生成AIが役に立つかどうか。生成AIを前提に学習することはまずないであろう。

例えば若い人が英語の勉強をしようとする。そのときに考えなければいけないのは生成AIのことではない。何の目的で英語を勉強するのかということであろう。中学生から学習してきたとして大学卒業時には10年学んだことになる。22歳からさらに英語を学ぶというのはなにかの目的を持つ。

大学を卒業したのであればそこからさらに英語を学ぶにはそれなりの目的がある。ひとつは欧米の大学か大学院に留学したいというものだ。あるいは日本にいながら英語を学習する。大学での専門性をさらに深く極める場合には必要になる。

22歳で経済学部を卒業したとする。そこからファイナンスのことを学ぶ。専門の書籍を読む。ほとんどが英語で書かれている。というのは金融の先行研究というのはアメリカのほうが4~5年ほど先をいっている。読みやすい一般向けの雑誌にしても欧米は進んでいる。

例えば経営の月刊誌であればハーバード・ビジネス・レビューがある。週刊誌であれば英紙エコノミストがある。そしてときどきマッキンゼー社の旬刊記事を読むことでニュースはつかめる。これらは専門分野を紹介したものに過ぎない。ひとつの合図であってそこから関連本や著者の書籍を読む。

学術論文は難しい。それを一般向けに解説したものが雑誌になる。それに生成AIを使うことは勧められない。

2ヵ月ほど要旨や設問を出すのに生成AIを使用してみた。感心しない。書いてあるところをうまく反映できない。そんなこともあり、使うのをやめてしまった。

あまり英語が得意ではないから英会話の補助として使う。娯楽性の高い活動であればいいのかもしれない。旅行、エンタメ、スポーツ観戦、映画といった気楽なことを理解するためにちょっと英語をかじろう。そのくらいであればChatGPTはほどほど使ってもいいのだろう。学習用には向かない。

さて最後にではなぜこれほどまでにChatGPTが騒がれているのか。どういう用途で使われるのか。それはこれまでプログラマーで苦労していたひとが新しい方法でプログラミングできる機会。それを提供してくれるのが生成AIである。たとえば高卒のプログラマーがいる。そのひとたちの作業効率を上げるために生成AIを使うというのは合点がいく。いずれプロンプト・エンジニアになっていく。しかし多くの人はプロンプト・エンジニアになるわけではない。

アメリカでも実証実験が進んでいるのはコールセンターである。そこではユーザーからの問い合わせが殺到する。そのときに生成AIを補助として使う動きが進んでいる。また煩わしい事務作業を効率よくするためにも実験されている。

そういったところでは目的はあきらかになっている。作業はオペレーション。そしてその解決策はいかに正しく効率よくできるかというところだ。課題がすでに設定されていて解決策も人間が考えたことが前提になっている。その作業を補助的な役割として使うのが生成AIといえよう。そこにプロンプトを正しく作り入力する手間が発生する。

わたしは今後生成AIを使おうとはしない。一般のサラリーマンであれば仕事で使う局面はない。会社でも推奨していないであろう。学習用にはよくない。それよりは専門を理解できるようにテーマを決めて書籍を読んだ方がいい。だれもがプロンプト・エンジニアになるわけではなかろう。

個人の娯楽としてやるのならいいであろう。無料というのはどこか怪しい。時間を大切にしよう。