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書くのに万年筆は必要か

概要

二週間前に日本橋三越本店にいった。そこでデパート理論なるものを証明しようとした。この理論に従えば、ストーリーになっている建物の中でアイデアが浮かび、それをもとに何かしら書けるという。いったあと、しばらく考えて、文章を構想し、ストーリーを書いてみた。

あれから一週間が過ぎて、どうしても頭から離れないものがあった。それは本店2階にあったモンブランである。あれだけいろいろな商品が各階に並べられているのにどうして万年筆だけ気にかかるのか不思議だった。

どうしても気になるので再度、モンブランのお店にいってみた。そこでは外国人の客がひとりいて、お店の人が接客していた。わたしは中でも気になっていた37万円の商品をしばらくながめた。隣にはフェラーリの設立者とエリザベス・テーラーの写真が並べてあった。こういうひとたちが使うのか。ちょっとわたしとは違うな。どうしても気になる。

そこで日本橋の丸善にもいってみた。JFKや三島由紀夫が愛用したペンがモンブランだという。JFKといえば、ミスター・プレジデントといわれるほどアメリカの大統領の中でもエリートで人気があるひとだ。三島由紀夫は文豪としてもよく知られている。

noteにブログを書くことを楽しみとしている。そんなわたしにとっては、ほとんどその人たちを意識したことがない。でも何かがあるのでは。万年筆で書くとなにかが変わるのかな。そんな思いで店を後にした。

家に帰って机の引き出しから、古い万年筆を出した。30年以上使っていない。ただ、買った時のことは覚えていた。当時、東京に来てまもない、わずかな給料で働いていた時、なぜ家賃の4分の1もする万年筆を買ったのか。

この問いに対しての解答はないものの、何か万年筆を持つことと書くこととは関係がありそうだ。それを探ってみたくなった。このシリーズでは、この2週間でいくつかのお店を回ってみて、書く人にとって万年筆は必要なのかということについて投稿します。

ここでは概要を述べておきます。わたしにとって文章を書くために費やす時間のほとんどは構想している時間。ブログをタイピングする前にすることである。それは文章構成(型)にそってコンテンツを考えること。そのためにすることは三つある。メモをとること。そこから情報を整理すること。ハイライトして筋つくりをすること。なるべく軸をぶらさないようにしている。

この構想の結果として、頭の中になにかしらイメージができあがる。それがマインドマップのようなものか、なにかの絵のようなものか、よくわからない。極めて曖昧な情景であって、なにかしらの結晶体であって、構造形式をとる。その精度が高ければ高いほど良い。ところがよく細かい大切な部分を取り逃す。

ただ、noteへの投稿はブログ(日記)であるのため、練習でもよいとしている。絵であれば、習作として残しておくたぐい。すぐれた完成品、売るための作品ではない。しかし、いたずら書きをしているわけでもない。大学生に向けて自分の経験や知識をまとめて発信していたい。書き続けることだけを目標としている。

つくる工程にさきほどいった三つがある。

第一にメモをとること。わたしは極めて多くのメモを書く。ほとんど同じような内容で、箇条書きのメモを膨大にとる。使うのはB4白紙。その上下左右関係はない。余白があればあとからでも書く。ブレインストーミング、アイデアだしのようなもの。上から下へは書かない。下から上に書く。そうでないとアイデアが拡散しない。

第二に分析するとき。その時には、なにかしらのチャートにする。たとえば数値を使うのならば、比較、構成、変化といったイメージを表したチャートを見ながら、そこから何がいえるのかをひとつのセンテンスにしてみる。ここからひとつの主張ができて、その根拠となるデータ・証言を用いる。分析のようなものでこの過程がもっとも大変で長く費やす。

最後にメモと整理したチャートをながめて、文章にする前に筋を考える。筋になりそうなところをハイライトする。これが構想の中では最終局面で筋が通ったならば、ひと晩寝かせて、醸成させる。ときどき筋を最初に考えることもある。なにかの結晶体ができてはじめて書くことにしている。できていないと書かない。書いてはいけない。

これら、アイデアだし、分析、そして筋つくりの構想3工程に万年筆は必要かというのが今回の問いである。構想は、書くための時間の90%を使うこともあり、わたしにとってはとても悩ましい。

次回以降、3工程と万年筆について書き、結論を出します。そして書いた後の振り返りをします。結論として、(わたしにとっては、)書くために万年筆は必要はない、に至りました。

アイデアだし局面

構想の中でまず最初にくるのは文章の構成を決めること。その際メモ書きをたくさんします。ある記事を読む。その内容を理解する。そして気になったところをメモに残す。残し方は、ほとんどが箇条書きにしている。箇条書きのすると理解しやすい。ポイントがだいたい3つ出てきて、これらが主張を支える柱の役割をする。

絵を描くことでいえば、全体のおぼろげな像があるようでない段階。その段階では、ぼやけた輪郭のような抽象物ができる。それを支える柱となるようなものを探し当てます。

抽象物の輪郭とそれ支えるものがおぼろげにできていたところで、主張したいこと、文章全体をつらぬくことを探す。このあたりがいったりきたりする。あるとき骨格のようなものとなる。しかし、まだおぼろげで、どっちの方向にころぶかわからない。

ここでは、2、3日メモを書き続けます。文章には、主文と副文があります。主文には問いを含んだ仮説を書きます。例えばこのブログでは、万年筆、書くことを結んで、「書くために万年筆は必要か」という問いの形で表します。骨格は、万年筆は必要ないとしました。そうすると文章の中でなぜ必要ないのかを延々と説明できます。

メモ書きでは、B4白紙につぎつぎとアイデアだし、つまり、ブレーンストーミングをした跡を残していく。2枚も3枚も使うこともある。ただ、最近は、1枚で終わることが多い。

さてこのメモ書きで万年筆を使うだろうか。使わない。使わなくてもできる。

使うのは、シャープペンとB4白紙。あえて加えれば、シャープペンの芯。この3つがあればできる。かなりうすい文字や概念図のようなものを書いていき、その横に文字や数字をたくさん書く。これは輪郭スケッチのようなものでなにができるかわからにものの、部品を下書きしていく。素描(スケッチ)といっていいもの。

万年筆はスケッチには向かないでしょう。一度インクを使って書いたのなら消すことができない。わたしはメモ書きを何度も消す。すべて消すわけではないけど、消すことができることで安心します。

この局面で万年筆は必要ありませんでした。

分析局面

素描というかデッサンのようなものを2、3日すると全体像がわずかではあろものの見えてくる。しばらくするとよく外に行って木や道を眺めている自分に気づく。輪郭がぼやけてくると外にいき、公園を散歩することで木や道を見て輪郭をはっきりさせることがある。

どうも木の姿を文章と同じような形に見ていている。構想したあとの書く作業を道をたどることに見立てている。書く作業というのは、見えないゴールに向かって走るようなものだ。道が物理的に見えるのは、いくところがはっきしていてよい。なにかしらのゴールが見えてくる。

さて、輪郭が日に日にはっきりしてくると、主張をひとつ決める。これだ、とひざをたたくようなもの。ある種の爆発。そしてそれを支える材料(視点)を意識する。この支えは、数値や証言をもとに組み立てるようにこころがけている。これがリサーチという工程。

それは客観的な根拠に基づくもの主張にしたいことがある。チャートを用いたりする。あるひとの証言を使う。多くは識者による。ときどき自分の知識や経験を使う。繰り返しされてきたものを含める。

この局面では、支えというか土台のようなものを探し、こしらえるため分析をする。比較的長い期間、例えば10年、20年にわたり、ある一定の方向で変化している事象。あるいは変化していないこと。ものごとの構成を見たりする。そして比較もする。それら時系列分析は長く時間がかかる。

主張というのは、もうそれほど変えない。ところが、それを支えようとする分析材料というのは無数にある。この分析をしているというのが考えている時間。その中から立証、反証するものを選んでいく。立証、反証するものも選んでいかなければならない。読者に後付け、こじつけとも受け取られないように防御する。そうでないと文章の完成度が落ちる。

ここでは、頭の中で何度もああだ、こうだ、しかし・・・、といったことが起こり、エネルギーを消耗する。まだ、書く作業ははじめていない。はじめてはいけない。ところがこの分析をするときのエネルギー消耗は半端ではない。ときどき休まないと続かない。くたくたになるときもある。

動作としては、紙に文字や線を大量に引く。引いた後、変更する。消したりもする。そうでないと考えられない。これが分析局面の動作。

分析局面では、万年筆は必要ない。わたしには、シャープペンの方が向いている。薄い、細い線や文字でも見落とさないようにする。それを見ながら考えて柱を描いていく。

文章構造にそって輪郭が決まり、それを支える柱のようなものが頭にできると最後にぼんやりとしている骨格をハイライトする。これが構想の最終局面。次は、構想の最終局面である骨格をハイライトすることを書きます。もうおわかりのとおり、あきらかに万年筆は必要は必要ありません。

万年筆は、頭の中で構想ができており、紙にインクを用いて、書くときに使うものでしょう。ただ、これは万年筆の実用的な側面のみでの見解です。

筋づくり局面

ぼんやりとした輪郭を描き、文章でつらぬく主張をひとつもつ。この工程では、構想段階のはじめにくる全体像を描くこと。よく起承転結といわれる。型に沿って文章を書くこと。その型にコンテンツを埋め込んでいく。コンテンツを書き出し、メモとしてたくさんとる。

どんなに長く時間をとっても、2、3日でする。いや、できないといけない。次の工程は、その主張を支える分析局面。データ、証言、自分の経験、知識をつかって、なるべく客観的に組み立てる。あとからこじつけたといわれないためにいくつもチャートを見る。

そして構想の最終段階は、文章全体の骨格をかためてハイライトする。骨格は、最初の局面でもおぼろげにでてくる。たとえとしては、お魚の骨をイメージする。頭から尾まで通っている。ストレートに通っている。くねくねしないように。尾にいたるまでにいくつも枝分かれしていている。

構想の3フェーズ(局面)といっている。最初は、なにかしらWhole thingができて、リサーチをして柱ができる。最後に全体をつらぬく骨が見えれば、構想は完了する。構想ができて書きはじめる。そうでないとだらだらと書いてしまう。

noteでいえば、ブログのタイピングをすることになる。やはり、万年筆は必要はないであろう。

万年筆を忘れられない理由

構想→書く(タイピング)を工程とする。これをはずすことなくやると心掛けた。文章完成までの90%の時間を構想に費やす。そこに万年筆は必要なかった。

では、なぜこれほどまで、三越にいってから3週間も万年筆のことが気にかかったのか。

それは、わたしが万年筆に対して抱いていたある種の強いコンプレックスであった。コンプレックスというのは、凝り固まった考えであり、忘れることのできない経験によっていた。特にネガティブな意味でコンプレックスという用語を使っているのではない。

37年前に東京で仕事をはじめたとき。スイス銀行のオフィスでは、だれも万年筆を使って仕事をする行員はいなかった。ところがわたしを採用してくれたスイス人の上司がいた。彼はめずらしく万年筆しか使わなかった。ブルーのスーツで出社し、両袖デスクでいつも見かけた。ノートは綴じられているものを一切使わなかった。

金融の仕事のことがよくわからない新卒のわたしにとってはすべてのことが新鮮だ。金融だけではない。仕事というもの自体がどういうものかすらよくわからなかった。にもかかわらず、多くの仕事をしなければならない。要求はスイス人の上司からだけでなく、あらゆるところからきた。毎日、疲れ果て、困りはてていた。

外資系金融機関では、ほとんど大卒の新人は雇わない。仕事の実績があるひとを中途採用する。社内教育、研修はほとんどない。仕事=作業である。作業に意味はない。意味を加える必要もない。そのことを労働という。対価はお金のみである。霞が関のオフィスで働いているとはいえ肉体労働のようなものだ。多くの仕事に圧倒され、疲れ果てていた。

あるとき、上司はわたしに近づいてきて自分のノートを開いた。何も書かれていない。そして万年筆をとりだして、なにやら説明をしはじめた。仕事でやることをまかされたのならば、なにをやるかは忘れてはいけない。忘れないようにやることリストをつくること。そのリスト形式は、まずダッシュのような印をつけて、短い文を書くことだった。

その文体は、必ず、~を~するという形だった。最初の~は、名詞で、次の~は、動詞だった。この文をつぎつぎと書いていく。そしてそれを時系列に組みなおしてスケジュール化する。手帳には書き入れない。手帳に書くのは会議や顧客とのアポのみと決まっていた。これを教えてくれたのはスイス人の上司だった。とても親切な指導だった。

これが仕事に役に立つスキルとして最初に覚えたものだった。あれ以降、仕事はすべて実践で覚えた。本から学んだことはなにもない。企業勤務をしていた25年間は、現場、そして現場にいる人から学んだ。アメリカの形式教育を受けたものの、その教育は現場での実践には役に立たなかった。転職するときの履歴書に記入するくらいだった。

いまの新卒は、職場で上司から仕事を覚えるということはない。上司も教えようとはしない。どこどこの本に書いてあった。だれかがこういったで済ます。だれも自分の言葉を使わない。

30年ほど前には外資系企業において、ほんとうに上司と生の交流があった。仕事で役に立つスキルの伝授がいくつもあった。ところがいまは形式ばったスキルと噂話でオフィスではじっとしている人が多くなった。

彼はいった。「わたしは、ペンで書くことが好きだが、今ではコンピュータという道具が使える、使ってみるか」。最初はもう嫌だった。ペンを使って、仕事を忘れずに、あれはどうだった、どうなった、といわれることなく仕事を済ませたい。コンピュータでやることリストをつくるのは手間がかかりすぎた。ノートに書いたほうがよかった。

上司はいった。嫌なら、やらなくてよい。

10歳年上の上司はコンピュータというのに一切興味を示さなかった。スイスで生まれた彼は、小さいころから最高の教育を受けていた。ギムナジウムを卒業し、スイス国内で博士号の称号を持つ。インテリの仲間にはいる人だった。自信家でなく謙遜するタイプであった。なにより教養(人間性、ヒューマニティ)があった。それを書くことで習得したという。

ラテン語はもう習得しなくていいという。一方、コンピューターを使った形式教育や仕事のやり方に強い懸念を示していた。彼のメモとりはすべて万年筆だった。

そしてわたしはあるとき彼にたずねた。

Dr. Matthias Pachlatko、あなたはいつも万年筆を使うのですか。

彼は、にやりとするだけでこの質問には答えなかった。あれだけアグレッシブに仕事をする投資銀行の職員の中でどちらかというと物静かで考え事をしていた。教養ある会話をし、わたしに語るときは、よく歴史の事例を使った。裕福な家庭に育ち最高の学位まで取得した。35歳という仕事はまさにばりばりにお金儲けができるときに東京にやってきた。

Dr. Pachlatko、どうしてあのまま大学に残って研究をされなかったのですか。あれほどいいスイスの自然豊かなキャンパスは、環境が抜群ではないのですか。

この質問は彼にはしなかった。ただ、彼にとってスイスの若いひとたちがマーケティングや情報技術を勉強してエンジニアになることが耐えられないようだった。

のちに彼がわたしにいったことによると東京がそれほど好きでなかった。特に夜の東京が好きではなかった。東京の夜にことさら嫌悪感をいだいていた。窓の外を見てみなさい。何が見える。きらびやかなネオンだった。彼はいった。あんなものはすべて幻想にすぎない。あれを見ているとじっくりと考え事ができない。

当時を振り返り、彼がいったことを理解したとすれば、ネオンのような、きらびやかな、まやかし、ごまかしは、ほんとうのものではない。ひとの欲をそそり、そそのかす蛍光だ。なにか得をするようなことがあると見せかけている。そこにあるのはなにか薬物による興奮と熱狂だともいいたげだった。

愛知県豊田市生まれ、育ったわたしにとっては、いつまでもネオンが消えない夜の東京は躍動の町だった。名古屋市では、夜の8:30になれば、栄にあるお店のシャッターは閉まり、ひとがいなくなった。東京は、いつまでも輝いているようだった。

やがてイギリス人の躍動感あるトレーダーやアメリカ人の上司の元、ざわざわとした証券市場の中にはいっていった。株式調査や日本経済をコンピュータを使って指標予測をするという仕事をまかされた。行員は、ひとりひとりにあてがわれたパソコンに向かい仕事をした。だれも万年筆を使っては仕事をしていなかった。

そのまま、万年筆は机の中に35年間眠っていった。そして今では、とうとう書くために万年筆は必要ないとまで結論づけるようになった。

それでも万年筆を使うとき

万年筆を使わなくなった。必要ないとまで結論づけた。それは、多くの形式教育を受けた自分にとっては汚点になった。まず、文字を粗末にする。文字を筆写しない。印刷物の表面をなぞる。そして書くのではなく、ゴミ情報にあふれたSNS上のプラットフォームでタイピングしてしまう。これでは堕落に向かう。

すると言葉が濁る。その結果、人として腐る。

どういうことかというのを述べてみよう。

今日、文字を書く人は少ない。特に若い人たち、20代のひとたちは、板書をすることがない。みんなの前で、自分の文字を見せることはない。文字の発明というものは完全に忘れ去られ、文字を発明したという革命的なことを意識することはない。

文字を意識して使うことがなくなった。万年筆を使って一文字、一文字、起源を探るようなことはしない。毎日、大量の文字がよぎっていく。

日本語はすぐれた表意文字であって、文字に意味を持たしている。それを正確に理解して使うのはとても難しい。小学生であれば、夏目漱石を音読する。音読ほどいい教育はなかなかない。そしてもう少し大きくなると文豪をいわれた人たちのことを聞く。

ところが文学というのはとっくの昔に忘れ去られてしまった。

文字の発明のあとに、書物の発明が続いた。それまで口伝えであったものが書物に置き換わった。その革命の影響は、とくに宗教において著しい。修道院では、修道士が聖書を書き写した。文字を一字、一字、丁寧に書き写す。筆写により聖書の教えは広まった。

成田山新勝寺において若い人が写経をすることは少なくなっている。

書物の発明につづき、活版印刷による出版が現れた。書物の価格は急減し、普及の速さと範囲の広さは比べ物にならなくなった。そのため、つぎからつぎへと出版される本は、内容を伝えることよりも、売ることを目的とされている。書店では、あふれかえり、どれがいい書物なのかを見抜けなくなった。

そうすると読者はあふれかえる書物に圧倒されはじめ、ページの表面をなぞるだけになっていった。新しいものに手を出すようになり、だれも繰り返し本を読むことをしなくなった。便利で安くはなった。

大学生は、書くような骨の折れることはせず、本を読むことさえしなくなった。千葉県の私立大学で教えていたころ、大学図書館が無料で本を買ってくれるという。授業でそのことを話してもだれも本が欲しいと申請をしなくなっていた。そこまで活字離れは進んでしまった。

このようなことが起きた背景には、情報技術によりコンピューターが台頭したことによる。特にスマートフォンのようなカジノのスロットマシンが登場した。その中に入っているアプリは、世俗の極みが多い。情報の洪水により散漫になり、集中が続かなくなる。一方で欲を刺激して、快楽が先行して受け入れられるようになった。

Facebook, Twitter, LinkedInといったSNSプラットフォームはすべて有害である。あれは、ユーザーの投稿を分析して広告からものを買わせようとする民間企業の仕掛けにすぎない。その結果、ゴミのような情報があふれ、ばかげたことに翻弄されるようになる。SNSの投稿を見るたびに言葉は濁っていく。

わたしは、最近になってFacebookは、友達とのつながりをゼロにした。連絡はメッセンジャーのみでできる。Twitterは、フォロー、フォロワーの数をゼロにした。そしてLinkedInは使わないようにしている。それらはすべて告知媒体である。その媒体には広告と警告のようなものであふれている。

その他にアメリカではMedium.comというライターのサイトがある。ここは書く人にとってはいい場所であるが、識者によるとライティングへの過度の依存をおこすような仕掛けが意図的にあるという。このnoteのサイトにも同じようなネット依存になるような仕掛けがある。

ブログ(日記)であるからしてプロのライターにはなじまない。素人のライターにとって、もともと本業の文章を書くところではない。まじめな論調で書かれているところにちゃらけたネームの読者がLike(スキ)ボタンを押してくる。知的な素人の文章に対して投げ銭機能までついている。書くのを趣味としている素人ライターにとってはちょっと理解に苦しむサイトでもある。

なにかにのめりこみ易いひとは、書く頻度を下げたほうがよいだろう。クリエイターとしてどのようにこれらのサイト使ったほうがいいだろうか。

ネット依存症という本を書いたNYUのDr. Adam Alterによるとメールを読むことですらよくないという。仕事の途中でメールを開いて読み始めると、それまでにやっていた仕事にもどるのに平均25分かかってしまうという。それでは丁寧な仕事はできない。

文字を丁寧に書く。すぐれた本を筆写する。そして練りに練った構想を短い文面で書き残す。そのようなことは尊敬に値する。謙虚さをもって物事を学ぶ姿勢として。わたしにはもうできなくなった。この10年くらい、頭の中を愚劣な事件・事故で濁してしまった。

万年筆を大事に使うひとがいたとすれば、どこか落ち着きをもちあわているだろう。あのスイス人の上司のような謙遜家として。丁寧に、写し、頭で完成した文章を、書き残す。コンピューターに侵されることなく、万年筆という道具をとおして文章を書く。いつまでも忘れることなく、どこかに置き忘れることなく。文章に対して真摯に向き合う。

すばらしいことだ。