カレー1

【い】 インドカレーとインド風カレー

僕はいまマレーシアに住んでいて、この国の10%弱はインド系マレー人である。先祖がインドから流れてきた人たちで、街にはたくさんのインド料理のレストランがある。
本物のインド人がつくるカレーというのは、当然日本のカレーとは全く違うもので、驚くほど多種多様なカレーがあって、ものすごく美味しい。
諸説あるみたいだけど、カレーっていうのは「煮込み料理」っていうように捉えてもいいようで、そうすると日本の肉じゃがとかひじきの煮物とか金目鯛の煮付なんかも総じてカレーになるわけで、そう考えるとこの種類の多さにも納得できる気がする。スパイスなのか醤油なのかという差だけだし。

僕もこのインドカレーにはハマっていて、レストランに通っていろんな種類のカレーを片っ端から食べてみたり、それぞれのカレーがどう違うのかなどを聞いてみたりしている。
インドはとても広くて、マレーシアのインド系に聞いてみると、言語も200種類ぐらいあるらしく、当然地域によってカレーは異なるみたいだ。
狭い日本でも九州と東北の味付けは違うから、これも納得である。
大雑把な話、南インドの方が北インドよりもスパイシーな辛いカレーが多いらしい。

日本にいるときに、レストランやレトルトカレーで「インド風カレー」というのをよく目にしていた。僕の印象だけで言うと、「日本カレーよりも本格的なカレーです。」みたいな意味合いで解釈していて、なんかスパイスの種類がたくさん入っていたりして、インドカレーに近いカレーです、という感じだった。

しかし、いまの僕はホンモノのインドカレーを食べていて、日本でイメージしていたようなインド風カレーとインドカレーとの間には、大きな差が存在していることに気づいてしまった。

こうなると、インド風カレーの「風」はどういう意味合いになるのかが、とても気になってきた。僕は間違って解釈していたのではないか。

「インド(人が作るカレーを真似てるので、とても美味しい)カレー」。
こういう感じで解釈していたけど、どうもちょっと違う。
「インド(という響きだけで美味しそうに感じさせようとしている)カレー」というとちょっと恣意的な感じもするし、ひねくれた解釈かもしれないけれど、このあたりが正解なんじゃないかと思う。

誤解のないように言っておきたいんだけれど、僕は日本のカレーも大好きだ。日本独特のりんごとはちみつがとろーり溶けてるカレーだったり、カレーうどんだったりをdisる気は毛頭ない。
決して「偽物と本物」論を展開したいわけではないのです。

ちなみに僕はカレーそばを偏愛している。個人的にはカレーうどんよりも好きだ。こういう話になったときに「いやいやカレーにはうどんでしょ!そばなんて伸びちゃうじゃない!」みたいな議論をふっかけてくる奴はあまり好きではない。人の好みはそれぞれだし、お互いに認め合わないと戦争が起こったりするからだ。自分と他人とは違うのだ。そこを勘違いしてはいけない。

カレーという料理は恐らく世界中にあって、マレーシアにも中華カレーやマレーカレーもある。中華系のカレー麺は絶品だ。
お隣のタイカレーはすごく有名だし、イギリスやフランスなんかにも独自のカレー文化が発展しているはずだ。
だけど、なんだろう。このインドカレーだけ持つ特別感は。

日本には僕なんかが生まれる前から「インド人もびっくり!」っていう有名なカレーのCMコピーがあって、「カレーの本場であるインドの人たちもびっくりするほどの美味しいカレー」という意味合いでこのコピーは成立していた(んだと思う)。
インド風カレーと言われて、脳が瞬時に「美味しいカレー」と認識していたのは、こういう刷り込みがあった上で、成立していたのであろう。恐らくこの特別感の正体はこのあたりにあるんだと思う。

しかしながら、この「風」というのはカレーだけに使われている言葉ではない。

漁師風ペスカトーレ
フィレンツェ風オムレツ
ブルゴーニュ風牛スネ肉の赤ワイン煮込み
悪魔風鶏肉のソテー

地名はなんとなくわかる。鹿児島地鶏や山形牛っていわれると美味しそうな感じがするし、その土地特有の気候や特産物でどうにかしてるっていう気がして、どちらかというと美味しそうな雰囲気があるが、漁師風や悪魔風っていわれるともう何がなんだかわからない。魚介類が入っているだけで漁師風なんだったら、農家風みたいなものもあっていいような気もするし、天使風もしかりだ。もしかしたらあるのかな、天使風とか。

ただし日本料理にこの「風」が使われるのは記憶に無いので、殆どの場合、海外発祥の料理に使われるということなんだろう。
この「風」がつくと「美味しそう」って思ったり「食べてみたい」って感じるのは、恐らく「自分が体験したことのないことに対する興味や好奇心」が関与しているんじゃないかと思う。こういう料理を選ぶ人たちというのは、きっと好奇心にあふれたチャレンジングな気質なんだろう。

そう考えると、この「風」というのはとても素敵な曖昧語なんじゃないだろうか。こういう言葉がいまの世の中には必要なんじゃないかと思う。
人生は黒か白かという二択で歩んでいくものでは絶対にないし、そういう人生は息苦しくて仕方ない。

「二丁目の中村さんの奥さん、不倫してるっていう噂よ。」
「あら、まだお子さんも小さいし、旦那さんも働き者で素敵な方なのにどうして?」
「なんだかジムで知り合った3歳年下のイケメンらしいわよ。」
「あら、そうなの?!キーーーー!!もう、そんなの許せない!!SNSに晒して素顔を暴いてやろうかしら!」

こうなってしまうと戦争が始まってしまう。

「二丁目の中村さんの奥さん、不倫風なことしてるみたいよ。」
「あらー、不倫風なことって、アタシ最近とんとご無沙汰だわぁ。」
「アタシもよ。どうやったら不倫風なことが出来る男性と知り合えるのかしらね。」
「ちょっと中村さんをご飯に誘って、アドバイスもらいましょうよ。」
「そうね、そうね!そうしましょう!誰かLINE知らない?」
「アタシ知ってるわよ。いま連絡してみましょうか?」
「お願いお願い!!」

こうなればこれは友情である。フレンドシップの始まりである。

自分と他人は違うんだから、あんまり他人のことは気にしないで、生きたいように正直に生きればいいんじゃないかな、という感じのことが書きたかったんですけど、伝わったでしょうか?

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