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【あ】 浴びるように飲んでいた。

マレーシアでは、2月5日からChinese New Yearが始まる。
いわゆる中華系の人たちのお正月で、中国本土では「春節」と呼ばれているものだ。
マレーシアには大雑把に3つの人種がいて、約65%がムスリムであるマレー系マレー人、約25%が先祖が中国から来ている中華系、約8%ぐらいがインドから来ているインド系、残りが僕のような外人だ。

僕が住んでいるペラ州のイポーというところは、中華系の人たちの比率が高く、このChinese New Yearの前後というのは、街がものすごく浮かれている。大晦日の夜から三ヶ日(2月4日から7日ぐらいまで)は夜になると花火がバンバン上がって爆竹の音がそこらじゅうで鳴り響く。

この浮かれまくった中華系の人たちは、この時期毎日のようにディナーパーティを開く。会社だったり友人同士であったり家族であったり、パーティの理由は様々だが、とにかく街の中華料理店はフル回転で予約が取れない状態が続く。

このパーティに4日連続で招待された。もちろんそれぞれ別のパーティである。

中華料理にも日本と同じようなお正月料理がある。干したアワビや貝柱、しいたけなどに鶏の出汁を加えたスープや子豚の丸焼き、大きなエビの炒めものや鴨のローストなどが代表的なもので、これはこれですごく美味しい。
4日間続くと、ちょっと胃が疲れるけれど。

しかしこのパーティは美味しい料理ばかりではない。中華系マレーシア人の間では、「ヤムセン(飲勝)」という一気飲みの習慣があって、これがパーティの間中、ずっと続くのである。

テーブルの周りにみんなで集まって、「ヤーーーーーーーーーーーーー(これは10秒ぐらい)、ムセン!!!」と大声で叫びながら一気飲みを繰り返すのだ。当然マレーシアにはレモンサワーやウーロンハイ、カシスなんとかみたいなソフトアルコールがないので、大体の場合ウィスキーである。あんまり強くない人はビールで対応するのだが、ウィスキーに比べると1回あたりに飲む量が多いので、それはそれでお腹がふくれる。それでも飲んでいる人はみんな嬉しそうだ。

実は僕はこういう飲み方は嫌いではない。というよりも、むしろ好きだ。
お酒も恐らく強い方の部類に入ると思うし、こういう飲み方で酒を覚え、鍛えられていったからでもある。

僕が高校生のときは、今みたいに未成年の飲酒に対して厳しくなくて、学校祭の打ち上げなんかは居酒屋でやっていた。居酒屋の店主も「あんまり飲みすぎるなよ。あと、制服で来るのはやめろ。」っていうぐらいだったし、みんなで酔っ払って大騒ぎしていても、周りの大人達に咎められるっていうことはなかった。時々同じ店で飲んでるおじさんが「飲みすぎるなよ」って言いながらビールを奢ってくれたりもしていた。

その頃のバンド仲間のひとりに「田部井くん」という男がいて、「尊敬するのはポール・マッカートニーとプリンスと志村けん」って公言していた、いわゆる筋の通ったナイスガイだったんだけれど、散々酒を飲んでから彼が繰り出してくる志村けんのものまねが面白かった。
場が少し静かになってきたりすると、誰かが「なんか変だな」って言い出す。それを受けて誰かが「やっぱりなんかちょっと変だよ」とか「だいぶ変な感じするな」とか言い出して、みんなの目が徐々に田部井くんに向いていく。その空気感の中、絶妙なタイミングで田部井くんが「そうです、私が変なおじさんです!」って言いながら立ち上がって、沖縄民謡的な変なおじさんの歌を歌いながら例のダンスを披露してくれる。本気で志村けんを尊敬していたので、独特の言い回しといいダンスといい、完璧だった。
1回の飲み会でだいたい3回か4回ぐらい見ることが出来たように記憶している。もう2回目からは大合唱だし、他のお客さんも交えて大爆笑なんだけど、田部井くんは毎回応じるわけではなかった。だいたい何回ぐらいまでしか面白くないという空気感をキチンと読み切ったいたように思う。

大学に通っていた頃は、もっと酒を飲む機会が増えていた。アルバイトで稼いだお金のほとんどは酒代に消えていったように思う。
同じバンドサークルの一つ後輩に「田島くん」という男がいた。ロニー・ジェイムス・ディオを崇拝していて、細身の身体に長髪で、いつも革ジャンでブーツという格好をしていた。彼はヴォーカリストだったんだけど、致命的に音痴だった。努力とかレッスンとかではどうにもならないレベルの音痴だった気がする。
大学のバンドサークルっていうのはわかりやすくて、先輩後輩の関係はもちろんあるにしても、楽器や歌がうまいという人が上位に立つ。彼の音痴はそういう意味では致命的だった。もし酒がものすごく強ければ、音痴の分を取り戻すことが出来たんだとも思うが、残念ながら酒もあんまり強くなかった。当然飲み会では「もっと飲め」って言われる対象になる。僕も「口から飲めないんだったらつむじから飲むか?」みたいなことを言っていたように思う。

しかし彼は頭が良かった。酒はそんなにたくさん飲めない、しかも音痴という環境下でどうやって自分の存在価値を発揮するのかという難題に、見事に対応してみせたのである。

いつものように散々飲んでいた居酒屋で、いつものように「もっと飲めよ」的な状況になったとき、彼はいきなり「刺身」という芸を披露して見せた。

まず最初にTシャツを脱いで上半身裸になる。次にポケットからアーミーナイフを取り出して、ナイフ部分をライターであぶる。そしておもむろに自分の胸付近からおへそのあたりにかけてナイフを当てていく。もちろん血が出るほどではなく、ナイフで軽く切っている感じなんだけれども。
当然全員が静まり返る。こんな芸は今まで見たことないし、危険な感じもする。他のお客さんもいるし、「狂気」すら感じる。なんといってもナイフで自分自身を切り刻むという芸だ。
そしてそこにいる全員の注目を自分に集めた田島くんが、おもむろに息を吸い込んでから、ボディビルダーのように上半身に力を入れると、ナイフが当たった傷からうっすらと血が出てきて、文字が浮かび上がる。

その胸には「ロニー」と書いてあった。

その時以来彼はサークル内での立ち位置を完全にひっくり返した。人は「自分が努力しても出来ないようなこと」を出来る人には無条件に尊敬の眼差しを向ける。彼はそのことを理解した上で、身体を張った芸を見せてくれたのだと思う。
しかし彼はこの芸を何度か必要以上に披露してしまった。もっと上を目指してしまったのだと思う。こうなるともうダメで、「次は祖師ヶ谷大蔵って書いてみろ」とか「国木田独歩ってどういう漢字だっけ?」とか無茶なことを言うやつが増えて、彼は元通りになってしまった。
田部井くんのような空気を読む力を田島くんが持っていれば、と惜しまれるばかりだ。

このような話はいくらでもあって、すごく楽しかった思い出として心に残っているのだけれども、それもやはり酒をたくさん飲んだからこそ体験できたことだと思う。自分の限界を知って酒を飲みなさい的なことを言う人がいるが、潰れるまで飲んでみないと限界なんてわからないし、面白いことのほとんどは、この限界点付近にある。この限界点も鍛え方や年齢によって変化するので、定期的に確かめなければいけない。
酒を飲みながら話をするということは、スターバックスでカフェラテを舐めながらお話をするのとは全く違うのだ。

話をヤムセンに戻そう。

この4日間は浴びるように飲んでいた。ヤムセンを挑まれたら日本男児として断るわけにはいかない。絶対にグラスを空にしなければいけない、っていうわけではないし、ちょっとしか飲まない人もいるのだけれど、やっぱり空にするとその場が盛り上がるので、出来る限り飲み干した。

当然知らない人もたくさんいるので、パーティが始まったばかりのときは、自己紹介をしたり名刺交換をしたりありきたりの商売の話をしたりするが、途中から誰が誰だったか全然わからなくなる。ただ激しく酔っ払って戦いを挑んでくる男たちに過ぎない。

しかしもっとタチが悪いのは女性陣である。男たちがしたたかに酔っ払ってきた頃を見計らって、酒の強い女性陣がヤムセンを仕掛けてくる。
女性に戦いを挑まれたら断るわけにはいかないという価値観はマレーシアの中華系も私も同じみたいで、僕らは果敢に立ち向かった。
女性の何人かは年齢に関係なくセクシーなチャイナドレスに身を包んでいたりするし、レストランの女性従業員が仕事を終えてから参加してくるっていう、日本では考えられないケースもある。
「そっちはビールなのにこっちはウィスキーなんだから不公平だ」ということを訴えた中華系男性がいたが、女性陣はなんの躊躇もなくグラスをウィスキーに交換してヤムセンを続行し、見事に打ち負していた光景も見た。

なんというか、最高だ。

この4日間を終え、豪華な中華料理とビールとワインとウィスキーとブランデーで胃も体力も疲弊したけど、みんなの「楽しもう!」っていう気持ちが満ちあふれていて、ものすごく楽しかったからまた行きたい。

昨晩は久しぶりにほうれん草のおひたしでビールを飲んで、たくあんを齧りながら焼酎を飲んで、そばを茹でて食べた。
身体が蘇るような気がした。

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