見出し画像

【か】勘違い

いままでたくさんの人たちと仕事をしたり遊んだりしてきたけれど、人を評するときに「あいつは勘がいいんで助かるよ」とか「あいつは勘が悪いからちょっと面倒くさいときがあるんだよな」とかいう話になることがある。

この「勘がいい」っていう表現は、「頭がいい」っていうのとはちょっと違うように思う。

「お前が勘が悪いんだよ!」って怒られても、なにを正せばいいのかよくわからない。勘ってなんのことを言わているのかよくわからないからだ。
「お前は頭が悪いんだよ!」って怒る人は、その人自身がよほど頭の悪い人だろうし、もしそういう人に出くわしたら無視するに限る。怒り返す意味もないように思う。

逆に「君は勘がいいねぇ」って褒められると、なんかむずがゆいような気になるけれども、なんとなく嬉しい。
「お前は頭がいいな」って言われたら、なんだこいつオレを馬鹿にしてるのか?っていう感じもする。もちろん相手にもよるけど。

この「勘」というものの正体はなんなのかを考えてみたい。コトバンクによると「物事の意味や良し悪しを直感的に感じとり、判断する能力」と書いてあるが、僕にはちょっとしっくりこない。これは第六感とかと同じような意味に感じられて、ちょっと具体性に欠けるような気がする。

僕が人に対して「この人、勘がいいな」って思うときは、僕が話してることだったり、出してる雰囲気だったりをちゃんと理解して対応してくれている人だなっていうニュアンスを感じているんだと思う。

つまり、僕にとってこの「勘」っていうのは「相手の気持ちや環境を理解した上で、自分の行動に移せる能力」という意味合いで理解しているんだと思う。
逆に「勘が悪い」という気持ちを持った時は、伝えたことが十分に伝わっていなくて何回も同じ説明をしなきゃダメだったり、意図としていることと全く違う行動をしたりする人に対してそう感じているんだと思う。

このように考えていくと、この「勘」というのは人によって感じ方が全然違うものなんじゃないかとも思う。

A君は僕にとってすごく「勘が悪い」って感じていたとしても、他の人から見ると「勘がいい」という人物になっている可能性も多分にあるのだろう。
僕の話し方が悪くて伝わらなかったっていうことだってあると思うし、そもそも人生に対する考え方が合っていなかったっていうことだってあるだろう。良し悪しの基準が全然違う人とは、いくら話してもわかり合うっていうことにはならない。

なので「勘の良し悪し」というのは、ある程度の広範囲な人達の間で共通して感じられるような絶対的な価値基準なのではなくて、もっと相対的なものなんだと思う。

このちょっと不安定な「勘」を使って話をこじらせてしまうのが「勘違い」である。相手の考えていること、意図していることを汲み取った上で行動に移した結果、それが全く違ったというのがこの「勘違い」である。

「間違い」とは全然違う。これはそもそも理解不足だったり思考の不足だったりが原因で引き起こされるもので、ほとんどの場合、自分のせいである。

これに対して「勘違い」は、相手に気を使って良かれと思って行動してみたら、全然違う結果になっちゃったということなので、ちょっとかわいい。

僕がまだ新入社員のころ、うちの会社の最大のお得意先であった大手製薬会社の営業担当者に小沢さんという先輩がいた。本名がホントに小沢一郎で、ずいぶん営業トークのネタにしていたナイスガイだった。
神奈川県伊勢原市のずいぶんな山奥に住んでいて、そこから東京に毎日通っていた。そのせいか、都会の人とは違う素朴さも彼の魅力だった。

そのお得意先のお偉いさんとうちの社長も交えて食事をするという話が持ち上がって、なぜか僕も同席することになった。
なんといっても会社にとって最大のお得意先である。
当然小沢一郎にも、気迫がみなぎっていた。営業マンの腕の見せ所である。

食事の場所や段取りなんかを決める会議があって、うちの社長から「小沢、エノテーカ・ピンキオーリを予約しておけ」という命令が出た。

この「エノテーカ・ピンキオーリ」というレストランを知っているだろうか。銀座に店を構えていた超有名なイタリアンレストランである。いまは閉店して名古屋に移転したようだが、到底自腹では行くことの出来ない老舗の超高級店だった。
僕は内心「ラッキー!!」と思っていた。そんな機会は安月給にはめったに訪れるものではない。

もう25年ぐらい前の話になるので、インターネットで予約できるような便利な時代ではない。レストランを予約する時は、電話帳かNTTの電話番号サービス(116に電話すると、知りたい電話番号を教えてくれるサービス)を使うか、先輩方から代々引き継がれてきた接待用の電話番号表しかなかった。

小沢一郎はこれらを駆使してレストランの予約を始めた。お客様に失礼があってはいけない。更に自社の社長も出席するので、ミスは全く許されない状況だ。

素朴さが売りの彼は、全てを背負った。上司に相談することもなく、ましてや年下の僕なんかにはその「レストランの予約」という重責を任せるわけにはいかなかったはずだ。

しかし、レストランの予約に2日ぐらい費やして悪戦苦闘したのちに、小沢一郎はなぜか僕に相談をもちかけてきた。

小沢:樋沢(僕の本名)、ピンキオーリっていうレストラン、どこにあるか知らない?
僕:えっ?銀座にある超有名店ですよ。電話帳に載ってませんでしたか?
小沢:いくら探しても見当たらないし、NTTもわからないって言うんだよ。
僕:そんなことはないでしょう。僕が調べてみましょうか?
小沢:申し訳ないけど、お願いできるかな。昼飯おごるからさ。
僕:いえいえ、そんな気を使わないでください。
小沢:エノテーは見つけたんだけど、ピンキオーリが見つからないんだよ・・・。
僕:え??どういうことですか??
小沢:江ノ亭はちゃんと見つけたんだよ。電話帳で。
僕:江ノ亭って?
小沢:刺身が美味しいんだって。さすが社長だよな、旨い店をよく知ってるよ。
僕:ぶわーーーっはっはっは!!!スゴイ!!小沢さんサイコー!!!

もうお気づきかと思うが、素朴な小沢一郎は「エノテーカ・ピンキオーリ」を「江ノ亭 OR ピンキオーリ」と勘違いしていたのである。

僕はこの一件で、この小沢一郎のことがいっぺんに大好きになってしまった。
心に曇りがあるような人は、絶対にこんな面白い勘違いをしないだろう。
彼の2日間は「ピンキオーリ」というレストランの探索に費やされていたのである。

このように、「勘違い」というのはときに人を幸せな気持ちにすることもある。

4月になって新入社員がやってくる季節だ。
僕の経験だと、一生懸命に取り組む人ほどこの「勘違い」が多いような気がする。彼らのほとんどは「間違える」ことが出来ない。
ほとんど知識がないからだ。それは経験を積んでいかないと得られないものだし、誰かから教えてもらわないとわからない。

でも一日でも早く仕事で役に立ちたいと思ったり、いつまでも先輩に苦労をかけている場合じゃないと思ったりするような前向きな人ほど、相手に気を回して「勘違い」をするのだ。

僕はこういう「勘違い」を歓迎するようにしている。その勘違いの原因をいっしょに考えることで彼らは成長していくんだと思う。
ここで決して怒ってはいけない。何で怒られたかもわからないで怒られるのは、とてもつらいものだ。

今の時代ちょっとした「勘違い」でも、みんなで寄ってたかって攻撃したり問い詰めたりすることがとても多いように思う。
自分に全然関係ない人ですら攻撃するのに、なんの意味があるのだろう。

もうちょっとこういうのに寛容な世の中になるといいな、と最近良く思うようになった。元号も変わるしね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?