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テヘラン出張

ちょっとめずらしい体験なのでテヘラン出張の話を書こうかと思います。

「テヘランブランド国際会議」というのがありまして、それの第9回の2015年会議で企業ブランディングの話をデザイナーの視点からスピーチしてくれないかと頼まれたのです。おいらはデザイン業界外では全然無名だけれど、イタリアのGuzziniというキッチン用品メーカーの家電製品シリーズのデザインをしていたりするので、まあ話ができないことはないので引き受けることにしました。

というのも、内定してるゲストにはAlessiからもディレクターが来ることになっていて、おいらも一緒に食事したりしたことがある友人だったので、まあ彼女が来るというなら信頼してもいい話だろうと思ったのです。ライバル会社の仕事をしているので、Alessiの仕事をすることはないんだけれど、友人としてゆっくり話ができる機会もそうないから、それはそれとして楽しみだったり。

国際会議なので原稿は英語で出してくれとか、Visa申請書類の提出とかいろいろ準備をし、出発前にスピーチ内容のチェックなどがあったのですが、いよいよ飛行機の切符を用意できたから取りに来てくれと連絡を受け、会議を準備していた会社のミラノ事務所に行くとAlessiの人はドタキャンで来なくなったと聞きました。ええ、彼女が参加するならそれなりにちゃんとした運営なんだろうと信頼して受けていた話でもあるので、ここでちょっと心配になりました。

いざ出発の日に空港で他の参加者と初めてみんなで集まりました。指定された時間にカウンターの前に到着していたのはおいらだけでしたが。

一人は10 corso comoというミラノのセレクトショップの仕事をしている写真家の親友。この人がおいらを推薦したらしい。もう一人は食品関連の写真を撮る写真家で、彼はスピーチ担当ではなく国際会議中に開かれる広告写真のワークショップを担当するらしい。その他、イラン人のミラノ在住スタッフが2人同行。

この出張では公式な会議の日程は2日だけなんだけれど、イラン航空のテヘランーミラノ便が週に一度の運航ということで、1週間丸々出かけることに。そしてこの今どき珍しく各座席にモニター画面もないイラン航空の機内食で初めてイラン料理を食べました。これが結構おいしくて、ちょっと安心しました。


テヘラン空港に無事到着し、ここの窓口でビザのコードを伝えるとパスポートにビザを発行というか転写してくれます。そしてこの移動日は到着したら既に外は暗かったので、空港からは直接ホテルへ。

そうしたら、ホテルはイタリアから来たおいらを含め3人のゲストが広いとはいえ同部屋に。まあ、ベッドの数は足りてるけれど、ちょっとこれはないだろうと、翌朝スタッフが来たときに交渉し、2日目から個室に分けてもらいました。


だって、一応国際会議と名乗るイベントに招待されてきたらみんなで相部屋なんてのはちょっとおかしいモノね。ヨーロッパ内の出張でどこかに招待されて行けば、おいらにアシスタントが同行してもアシスタントにもちゃんと一部屋取ってくれるのが当たり前だから。

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そして到着後最初の2日はテヘランの街を案内してもらい、テヘランの企業をいくつか見学に行き話をする予定でした。

おいらが仕事の資料として提出していた仕事は革張りのLED照明や革張りのテレビなどハイエンド製品写真があったため「ヒロシ、テヘランの企業で革を使っている会社とアポイントがあるし、会議にはイラン中の製造業企業が集まっているから、イタリアのデザインに興味がある会社とはいろいろ話があると思う。他にもあれこれ会社訪問できると思うから、仕事の話が発生すれば自由に進めてくれてかまわない」ということでした。(そのために来たのだ)

さて訪れたテヘランの会社は革製品を扱うといっても靴のメーカー。会社見学をして社長などと話をしたけれど、聞かれるのは会社のカタログを見た感想。どう見ても仕事が発生する雰囲気ではありません。

たまたまその日この会社が特注の衣装を作っているテヘランのロックスターが衣装合わせに来ていたので、このロックスターたちと一緒にランチ。サイン入れてCDもプレゼントしてもらいました。

結局訪問自体はごくフツーの会社見学で終わり、午後にテヘランのバザールなどを見学して初日終了。翌日は博物館を見学し、人気のケバブ屋さん(ここでいうケバブはひき肉の串焼きアダナケバブでドネルケバブではありません)で食事をし、街中を散歩し、夜はテヘランで一番イケてるというハンバーガーやさんで食べて終了。ちなみにここまでは一切お酒も飲んでません。

こんな感じで会議前はただの観光で時間が潰れ、何をしに来てるんだか分からない状態に。もう少しあれこれ会社訪問できると思っていたのでちょっと拍子抜けしました。

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さて、会議初日は朝ホテル前にお迎えが来るというので朝食も早めに食べました。ホテルの朝食以外にイラン人のスタッフが持ってきてくれた薄っぺらな石ころを敷いた窯で焼くというパンがやたらおいしく、ちょっと感激。イランはとにかくパンがおいしい。パンは中東(というか、正確にはアフリカ、エジプトだね)で生まれヨーロッパで洗練された食文化ですが、発祥の地近くのペルシア文明圏には本流から途切れることなく成熟した偉大なパンの文化があります。

街中のパン屋さんでもこういう畳のように大きく平たいパンを切り売りしてくれるし、丸いパンも、ナンのようなパンも、クロワッサンのようなものまでいろいろあり、とにかくおいしい。肉の入った揚げパンはイタリアのパンツェロットそっくりで、こっちが元祖なのではと思いながら食べました。

約束の時間にお迎えが到着。ゲストの3人にボディーガードが5人付きます。やっとちゃんとしたイベントぽくなって来ました。

会場へ着き、初日においらがスピーチ、2日目にイタリア人写真家がスピーチするということです。あとは全てイラン国内のえらい人達や経済の専門家のスピーチ。もう一人のイタリア人写真家は2日とも会場内の別のホールでワークショップ。会場では(ヘッドフォンを通し)同時通訳でイラン人のスピーチもイタリア語で聞けます。当たり前だけど、おいらもいろいろスピーチ聞いてみたのですが、イランの工業界は人的資源、天然資源と世界に伍する発展ができるはずなのに足踏みしていることへのジレンマがすごいことは分かりました。ライバル視しているトルコが産業面、貿易面で順調に発展していることが悔しいらしい。

ただ、イランは閉じた国で、ネットも規制が強くFBもTwitterも使えない国だし、国際的な発展を目指すなら、ブランド育成云々の前にもう少し開いた国へ向かう必要を感じましたけどね、短い滞在期間ながら。この辺りの事情は核開発とアメリカなどとの核協議の問題があるのでイラン単独で開いた国になるとか閉じた国になるとかでなく、非常に政治的な問題なので、こればかりはイラン国内企業の努力だけでは何ともなりません。

おいらがテヘラン入りしたのはヨーロッパとアメリカとの核合意ができて、さあこれからという奇跡の数年間の開いた国へ向かい始めた時でした。その後トランプ元大統領の突然の核合意脱退によりまた(西側に)閉じた国に戻っていますけれど。

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さて、お昼前にいよいよおいらの順番となり、壇上に上がって打ち合わせ通り英語でスピーチを始めました。PCもプロジェクターにつながりしばらくしゃべっていたところ、スタッフがやって来て「今日はゲストがイタリアからだけだったので、通訳がイタリア語ーペルシア語の人しか来てないから悪いけどイタリア語でしゃべってくれ」とのこと。

気を取り直してまた最初からイタリア語でしゃべりました。

スピーチを終え、ランチタイムに会場内のレストランでイラン料理のケバブを食べ「これからヒロシのところにはたくさん企業の人が話に来るはずだ」と言われていたのですが、蓋を開ければ話をしたのは大学の教授などの3人だけで、何も仕事につながりそうな出会いはありませんでした。

まあ、こんなものかと会議初日を終え、この日はホテルに焼き立てのパンを持ってきてくれるスタッフの家族の家でホームパーティーとなりました。

会場になる家に到着すると「今夜はヒロシにサプライズがあるよ」とのこと。なんだろうと思っていたら、そこの家族の友達で日本語を話す人が来ていました。

「ああ、元気?オレはアリ、お前は?」と、日本で車のチューナップ工場で働いていたというイラン人に会いました。

日本とイランは70年代から90年代までビザ相互免除協定があったため80年代から90年代初頭まで沢山イラン人が日本に働きに来ていたのです。(でも相互免除と言っても日本からイランに来る人はほとんどいなかったみたいですけどね)

さて、このラフな日本語を話すアリは栃木で働いていたらしいけれど、テヘランに帰ってからは日本語を話す相手がいないので家で一人で話したりして忘れないように努力しているらしい。家では今でもみそ汁と作ったりとか、彼にとって日本での思い出がとても大切なことが分かります。

「お前もなんか飲むか?」とウィスキーを持ってきてくれます。

そう、イランは基本禁酒なんですが、家の中で飲むお酒は大目に見てもらえるらしく、闇市でウィスキーやウォッカを中心にワインも出回っているようです。闇での取引なので、アルコール度数が高い方が重宝されるのは分かります。だからビールはない。

この日のホームパーティーには民族音楽の楽器を演奏する人も来ていて、彼の生演奏と歌に合わせみんなで踊って楽しみました。女の人たちも家の中ではヒジャブをとって髪の毛をほどいています。

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楽しいホームパーティーもお開きになり、ホテルへ戻ることに。「ヒロシはアリが送っていくから」と言われ、彼の車高を低くした(シャコタン!)車に乗り込むと、計器類の周りがLEDで光り、エンジンをかけるとブルンブンブンを低い唸るような音。映画「ワイルドスピード」のドムの車の音だ。彼は今でも車のチューンアップの仕事をしているらしい。テヘランで日本のヤンキー仕様車みたいなのが走っていれば彼の仕事かもしれません。

2日目の会議公式日程も無事終え、記念撮影などもすましたところで記念品授与があり、壇上で石作りのトロフィーみたいなのをもらいました。ずっしり重い。なんじゃこりゃ。これをミラノまで持って帰るのか?

会場からは既に仲良くなった5人組みのボディーガードがホテルまで送ってくれますが、これでお別れ。仕事が一段落したからか、彼らも饒舌で「テヘランのお店は偽物ばかりだ。イタリアのブランドといっても全部偽物売っている」とブティック街を通るときに怒っていたけれど、多分ちゃんとしたブランドのお店では本物売ってると思いますよ。

ボディーガードのボスらしい人はおいらの横に座って、何も言わずに彼がいつも食べているピスタチオを分けてくれます。そう、イランはピスタチオ(ナッツ類、ドライフルーツ)の産地でもありのです。

彼が一緒に記念撮影した別れ際に「テヘランのピザはうまいぞ」と教えてくれました。イタリアから来てる人達にそれを言うのか?とも思ったけれど、彼は好きなんでしょうね。

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これで今回の出張の公式な日程は終わったので、翌日はテヘランの北の山へ観光に行くことに。山の途中までは車で行き、山道を歩いて登っていくと途中には小川沿いの山小屋のようなところで食事をしたり水たばこを吸ったりチャイを飲んだりできるようになっています。ホントはこういうところでくつろいでビールでも飲めればいいんだけれど、ビールはありません。

途中で野菜と鶏肉を筒のような陶器の容器で調理したスープのような、とにかく未体験の料理を食べました。この筒の中に金属製の棒のようなものを突っ込んで、中身をぐちゃぐちゃと潰し、半ペースト状にしたものをパンと一緒に食べます。多分歴史をさかのぼれば2000年前からさほど変わりないレシピだと思います。

もう少し上の山小屋では座敷に上がって水たばこをみんなで回し飲みしながらチャイを飲みました。水たばこって、各人に口をつける吸い口のフィルターのようなものが配られるんですね。何によらず初体験はワクワクするものです。

チャイはもう体験済みでしたが、ガラスのカップに紅茶を注ぎ、黄色い氷砂糖がワーッと群がったような砂糖の棒をグラスに放り込んで好みの甘さになるまでかき回します。

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ホームパーティーを除いての社交で、お酒を飲まないイランの人達に間ではこの水たばことチャイが飲み会の役割を果たします。

でも、このチャイもイギリス人がイランを含む中東にやってくる前はコーヒーだったようですよ。多分、今でも残るお隣のトルコ式コーヒーみたいな直接コーヒーの粉を煮るスタイルだと思います。ところで、中東で飲むチャイ(紅茶)は、当たり前だけれど、お茶の産地ではないのでさほどお茶自体にはこだわらず、自家製の砂糖の棒が独自進化しているのも面白いですね。ひょっとして砂糖の棒はコーヒーの時代にも存在したのかもしれないけれど。

この日は山からの帰り道にレストランで、やっぱりケバブを食べてホテルに戻る前、レストランの上階にあるサロンに行き、また水たばことチャイのおしゃべりタイム。周りを見回すと、若い女の子のグループも水たばこにチャイを楽しみながらおしゃべりしています。やっぱりイタリアのBARだね。役割的には。

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さて、初めてのイラン、初めてのテヘランを体験し、観光としては貴重な体験ができてはいたのですが、この時はあくまで出張(仕事)目的だったので、招いてくれた会社のオーガナイズがガバガバすぎることにおいらは既に腹を立てていました。

忍耐強く紳士的で立派な人格者なおいらが腹を立てるのはよっぽどのことだけれど、そのくらいガバガバな計画でした。若い時の経験なら問題ないけど、仕事としてスケジュール調整して1週間も拘束される話なので、もう少しマトモな計画にしてもらわないとね。

イタリアからのゲスト3人は常にイラン人のスタッフが一人通訳も兼ね一緒にいてくれたのだけれど、彼女がおいしいパンを持ってきてくれたり、街中のお店の案内をしてくれたり、文化的な解説を親切にしてくれていたのが唯一の救いで、他の立場が上なスタッフに対して腹を立てていたのです。

あと、上記のようにゲストの一人はミラノ親友の一人だったのだけれど、ずっと行動を共にしているから自然ともう一人の写真家とも仲良くなりました。彼はおいらの四六時中言ってる冗談が気に入ったようで、おいらが何か冗談言いそうになると既に待ち構えているのが分かります。おいらの冗談は聞き逃してはいけないそうだ。

このイラン人のスタッフとイタリア人の写真家の2人とお友達になれたことが一番の収穫の出張でした。それだけ本筋で収穫がなかったということですけどね。

その翌日は別のスタッフの家でホームパーティーということでまたご馳走とお酒にあり着きました。ただ、何を思ったのかこの家の主人が自家製のワインを振る舞ってくれたんですね。これがすこぶるおいしくない。まあ、家で作るワインがおいしいわけがないんだけれど、それを(世界一ワインがおいしい国の一つ)イタリアから来た人達に振舞おうとするところが、まあ、無邪気というか、擦れていないんでしょうけれどね。

気を取り直し、ウィスキーで食事をし、この日は歌って踊ってにならずにお開き。

滞在最終日はまたどこかへ観光に出かけるという話なので、おいらは断ってホテルで仕事することにしました。

オーガナイズした責任者には、事前に聞いてた(企業訪問もいろいろアポイントがあるとか)話と違い過ぎるので、あまりにも無責任だと文句言いました。国際社会ではこういうのはうやむやにしないではっきり意思表示しないとだめなのですよ。

ホテルの周りは、できるだけ一人で出歩かないように言われていたけれど、実は既にイタリアのエスプレッソが飲めるBARやボディーガードがススメていたイランのピザの店を見付けていたので、ランチに一人でピザを食べに行きました。

テヘランの街中はいたって治安が良く、車の運転がナポリ以上に荒いことを除けば一人でぶらぶらしても大丈夫そうでした。これはおいらがおっさんだからで、女性はまた全然話が違うかもしれません。まあ、ほんの1週間の滞在で受けた印象でしかありませんが。

ところで、このホテルの近くで見付けたピザ屋の名前が「グランデ ミラノ」っていうんだから、食べないわけにはいかないじゃないですか。

ピザは型に入れて焼く方式で、まあ、ピザハットの分厚いやつみたいな感じのピザですが、フツーに美味しかったですよ。こういうところで本場ナポリと比べても仕方ないので。おいらはメニューで「マルゲリータ」を指さしてこれが食べたいといっているのに、主人が首を振って「グランデ ミラノ」にしろと言い張ります。まあ、おススメだったんでしょうね。もちろんミラノにはそんな名前のピッツァは存在しませんけれど。

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ホテル近くではDr.CoffeeというBARでLAVAZZAのエスプレッソが飲めました。小さなチョコレートも付いて来る。悪くはないよね。ここには一人で4、5回行ったと思います。エスプレッソマシーンのデザインをするようになってから、おいらは一般的イタリア人よりもエスプレッソ依存症が強いのです。


さてさて、やっと帰伊できる日となり、いろいろあったけれど貴重な体験もできたテヘランを後にすることに。すると、空港で同行のイタリア人が2人とも荷物のことで困っている。あの国際会議の記念トロフィーがカバンに収まらないのです。しかも重い。かと言って捨てるわけにもいかず、こっちの荷物をあっちに移し、あっちの荷物をこっちに移してやっと収まりました。おいらはお土産用のスペースを考えたトランクを用意していたので楽勝でした。

今となってはいい思い出だけれど、そういうドタバタの出張があった話でした。いっぱい仕事が発生するかもしれないぞと言われて出かけたテヘランでしたが、観光に終始した今のところ最初で最後、再訪する機会があるかどうかは分からないイランの旅。

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ー後書きっぽくー

ミラノに戻ってからも新しく友達になった写真家とはずっと仲良くしていて、その2年後においらの関わったケーキをデザインするイベントで撮影をお願いし一緒に仕事しました。こっちのイベントはおいらの元アシスタントで今でも親友の人が完璧すぎるオーガナイズをしてくれたので、全てこうあるべきという見本のような結果になってめでたしめでたし。

やっぱり、一緒に仕事する人は、多少ルーズはのは構わないけれど、あんまりガバガバな人は精神衛生上よろしくありませんね。こっち側も気を付けなければ、なんて思ったフリだけはしておくことにしよう。

結論、イランのパンはおいしい。

Peace & Love





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