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憧れのNeil Young -1976 - 僕と音楽と(14)

1976年、オイル・ショックである。
僕は就職でなく、大学院へ進むことにした。
音響工学をもう少し知りたかった。

デジタル信号処理の黎明期だが、
世の中には未だパソコンが生まれていない。
Z80というマイクロ・チップ、
今で言うパソコンのCPU部分だけで、
当時の金額で40万円ほどした。
大型計算機も、
早稲田にはIBM 360しかなかったので、
池之端にある東大の大型計算機センターの、
日立のHITAC 8800を借りに行った。
今のCDの様な処理に、MT(磁気テープ)リール1本で20分ほどしか入らなかった。
隔世の感がある。
そう言えば、ター坊に遭遇したのは、砧のNHK技研のコンピュータを借りた帰りだった。

大学というところは良いところで、
本人は2、3年しか研究室に在籍しなくても、
後輩が脈々と研究を引き継いでくれる。
僕は、工作の得意な同僚にマイクを4本組み合わせて、ホールの中のインパルス応答を収録して、その差分からホールの残響特性等を可視化した。指導教授は、「面白い」と言ってくれた。

後年、研究室の同窓会で、指導教官が後輩に僕を紹介した。
「コイツが、近接4点法の生みの親だ」。
本人は、豆鉄砲を食らっていただけなのだが。
嘘だと思うなら、google君に訊いてみるといい。ちゃんと出て来るから(笑)。

その大学院へ進学する春、Sugar Babeは解散した。

その数週間前、僕は級友と、またも西へ向かっていた。
今度は空路である。生まれて初めて、空を飛んだ!
羽田ー伊丹、滞空時間は1時間ほどである。
嬉しかった!
後年、あれ程、ロング・フライトを重ねる
フリークエント・フライヤーになるとは思ってもみなかった。

行先は、旧大阪フェスティバルホール。

大阪フェスティバルホールは、初めてではない。
1973年3月9日、Pink Floydが来日したときに、東京は体育館だったので、
大阪へと初めての遠征をした。
アルバム「狂気」発売直後、「The Dark Side of the Moon」は美しかった。

旧大阪フェスティバルホールは、2008年のクロージングまで、山下達郎を聴くことになる。

さて1976年3月である。
1969年のWoodstockから待つこと7年。

憧れのNeil Young、盟友Crazy Horseを伴って、待ちに待った初来日である。

3月3日 愛知県体育館
3月4日-3月6日 大阪フェスティバルホール
3月8日 九電記念体育館
3月10日-3月11日 日本武道館

僕は、武道館を待ちきれず、
4日、5日の大阪フェスティバルホールと、
千秋楽の武道館に足を運んだ。
遠征という病の起源である。

Tell Me Why
Mellow My Mind
After The Gold Rush
Too Far Gone
Only Love Can Break Your Heart
A Man Needs A Maid
No One Seems To Know
Heart Of Gold
(break)
Country Home
Don't Cry No Tears
Down By The River
Lotta Love
Like A Hurricane
The Losing End
Drive Back
Southern Man
(encore)
Cinnamon Girl
Cortez The Kille

武道館では、Down By The Riverに替えて、
あのCowgirl In The Sandを!

両者とも、あの「いちご白書」で出逢った青春の名曲である。感涙というしかない。

Crosby, Stills & Nashの方は、それから更に15年、1991年4月22日の初来日を待つこととなる。もうみんな体型が変わっていた…

Neilには、2016年10月、僕は僕のWoodstock を求めて、Desert Tripへと渡米する。

本日の一曲
Neil Young 「Cowgirl In The Sand

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