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第七話:心の本質的欲求

2011年、私が宗像から入手した「SAT学」という資料を見直してみると、冒頭に「欲求」について書かれている。

欲求とは、身体や心における欠如感(渇き、孤独など)で、個体の行動を動機付けるものである。

欲求とは人の行動を駆り立て、それを方向づける内的な動因であり、「一次的欲求」と「二次的欲求」とに分けられる。一次的欲求は、身体的・生理的な性質をもち、人間以外の動物にもあてはまり、生命維持や種の保存に不可欠なもので、日本では食欲・性欲・睡眠欲の3つが、人間の基本的三大欲求として有名である。

愛の欲求

宗像は、ヘルスカウンセリング学の教科書「SAT法を学ぶ」の中で、以下のように書いている。

日本のように物質的に豊かになった社会では,心理社会的な種類の欲求である二次的欲求の充足を求めて主に動機づけられる社会となる。

そして、人には、

「愛の欲求」とも,「ソウルの欲求」とも呼んでいる心の本質的欲求があり,この欲求が充足されないと,恐れ,怒り,悲しみ,苦しみなどの二次的情動が生まれる。

としている。


「心の本質的欲求」には、「慈愛願望欲求」「自己信頼欲求」「慈愛欲求」の3つがあり、その欲求の充足には優先順位があるとする。これを宗像は「心の欲求の階層充足モデル」と呼ぶ。

心の欲求充足3段階モデル

慈愛願望欲求(愛されたい欲求)
 他者に自分の欲求を無条件に充足されることで満足する欲求
自己信頼欲求(自分を愛したい欲求)
 自分で自分の欲求を充足することで満足する欲求
慈愛欲求(人を愛したい欲求)
 自分が他者の欲求を無条件に充足することで満足する欲求

人間は,これら3つの心の本質的欲求の充足を栄養素として生きるエネルギーを紡ぎだすが,これら3つの欲求はどれかひとつだけで成り立つものではない。現実体験であるにせよ,脳内体験(想像体験やイメージ体験)であるにせよ,「人に愛されないと,自分を愛することができず,自分を愛することができないと,人を愛することができない

この愛のバランス、循環が大切だということだ。

1998年に出版された『「自ら愉しむ人間」のすすめ』の中では、以下のように言葉を変えて言っている。

人は誰でも愛されるために生まれてくる、人は自分を信じるために成長しようとする、そして人は、人を愛するために生きるのである。
「ソウルの欲求」では「認め」ということが大きな要素となっている。「認められたい」「自らを認めたい」「人を認めたい」
-「認め」とは、広い意味で「愛」ということです。自己信頼心が確立すると、自然に人を思いやれる心(慈愛心)も強まってきます。慈愛心とは、その人の存在を認め、困っているときに無条件で手を差し伸べられるということです。

ウェルビーイング


「健康」について、WHO憲章の前文の中では、次のように定義されている。

Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)

この憲章の健康定義については1998年、新たな提案がなされている。

Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

「dynamic」と「spiritual」という2つの単語が追加されているが、このことについて、公益社団法人 日本WHO協会のページには、以下の説明がある。

静的に固定した状態ではないということを示すdynamic は、健康と疾病は別個のものではなく連続したものであるという意味付けから、また、spiritualは、人間の尊厳の確保や生活の質を考えるために必要で本質的なものだという観点から、字句を付加することが提案されたのだと言われています。

ただし、この案は採択見送りとなっているそうだ。

宗像は、

内的・外的刺激→欲求→情動(ストレス)→行動→情動(ウェルビーイング)→内的・外的刺激 という循環のサイクルを繰りかえすことが「生」のサイクルであり、身体の欲求や心の欲求を充たしあう他者と自己との関係をつくれることで人生満足し、ウェルビーイングになれる。

としている。

共依存になって散財しないために

いまお話しした「愛の欲求」を基に、宗像は、世間でよくみられるカウンセリングやセラピーに警鐘を鳴らす。

通常のカウンセリング法やヒーリング法などに見られる癒しの技法では,慈愛願望欲求(愛されたい欲求)を満たして完了としてしまうことが多い。
慈愛願望欲求を満たせば,一時的に癒されはするものの,過去に心の傷をつくりだしたときとよく似た状況(鍵状況)に遭遇すれば,再び心の傷をつくりだす。なぜなら同じような状況をもつ問題を自ら克服する方法で行動できる学習をしていないから。

というのだ。
つまり、これは、西洋医学でみられる「対症療法」、ボディメンテナンスでいえばクイックセラピーのようなもの。クライアントの「愛されたい」「認められたい」という気持ちだけを一時的に満足させるだけのことであり、そのような欲求に駆られ、苦しんだ元の問題を解決せず、クライアントが自ら立ち向かえるような支援まではしていないということ。だから、また苦しくなってカウンセラーの元を訪れる、いわば固定客量産のしくみ。
とはいえ、カウンセラー・セラピストもそれを意図してやっているような悪徳はそんなに多いとは思えない。原因はカウンセラー・セラピスト自身が、自分を認め、愛し切ることができておらず、クライアントとの共依存になって、互いの慈愛願望欲求のみを満足する関係になっているのだろう。


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