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自己紹介 私の原点 noteを始める理由

私の原点1 公害の街で生まれ里山で育つ
生まれは三重県四日市。以前は石油化学コンビナートの街として有名でしたね。
小学4年生まで過ごしましたが、光化学スモッグ注意報がよく出る街で、よく遊んでいた海や川もヘドロにまみれていました。今思うとよく遊んでいたな〜と思うような自然環境でした。。(なんか、それが普通だったんだと思います)

小学5年生になって父の故郷である琵琶湖の北にある湖北町という街に引っ越しました。今でもよく覚えていますが、家の横にある小川に鮎が泳ぎ、姉川という大きな川にいくと川面がウグイで埋めつくされていて、そこに飛び込んで遊んでいました。雑木林に行くと樫の木を見つけて周りの竹を揺らすとカブトムシやクワガタがバサバサ落ちてきて、蛍の季節になると玄関まで蛍が飛んでくるような自然環境でした。 今でもこの風景や経験が自分の原点になっています。素晴らしい友人にも恵まれ、私の故郷はここなんだなあと思います。

私の原点2 両親は体育の先生、祖父は校長先生、実家はお寺
両親は二人とも体育の先生でした。実は私も体育の先生の免許は取得しています。だから、運動神経の良さだけは自信があります。😅
家は「小さな寺院」でして、祖父は寺の僧侶であり、校長先生でもありました。こんな家庭環境なので、ご飯を食べる前には「なまんだぶ、なまんだぶ」と言って手を合わせていました。祖父や父からは生き物に感謝しなさい。生かされているんだよと時々言われて育ちました。仏様に手を合わせてお参りするときも「お願いする前に感謝をしなさい」と教えられました。当時はその意味は全然理解していませんでしたけどね。まだまだ未熟ですが少しは理解できるようになったように感じます。 ここにも自分の原点があリます。

私の原点3 人生の転換点 スナック白樺での出会い 奇跡の会社へ
大学進学で東京に来ました。それから35年、今は下町浅草に住んでいます。
次男坊でもあり寺を継ぐ必要もなく、就職も東京でした。就職活動は当時とても憧れていた経営者がいて、その企業から運よく内定をもらい行くつもり満々でした。が、そんな時に、私の人生に最も影響を与えた出会いがありました。

当時、私は中野の鷺宮に住んでいました。大変お世話になった先輩からの声かけで、近所のスナック白樺(今でもよく覚えてます)に呼びだされた時です。その場所に先輩のある友人がいて、私はどういう経緯でそうなったのかはもう覚えてないのですが、その後、入社する「人事測定研究所」に訪問し、流れのまま3人ほど面接していただき、最終面接では当時の社長(最大の恩師大沢さん)から、面接する前に握手を求められ、最後には、私の恩師の一人でもある方から「一緒に幸せになろう」と言われ、迷いに迷いましたが、今、思うと3つの理由で入社を決めたように思っています。

一つ目の理由は、「自分を必要としてくれている」と思ったこと
二つ目の理由は、「この会社は空が青い」と思ったこと
三つ目の理由は、「経営者が魅力的だった」こと

改めて振り返ると、この3つの条件は私のキャリアの軸で、あんまり今も変わっていません。面白いもんだなとおもいます。ここにも自分の原点というか根っこがあるように思います。

もし、あの時に先輩の誘いを断っていたら自分の人生はどうなっていたのでしょう
断らなくてよかったとしみじみ思います

スナック白樺のご縁で入社した会社は、ちょうどリクルートから分社独立するタイミングの会社でしたが、本当に素晴らし会社で、素晴らしい人たちの集まりでした。今でも「奇跡のような会社」だと思っています。「個と組織を生かす」を経営理念に掲げた会社は、本当にそのことを体現している組織でした。 今思うと当時の自分は恥ずかしく情けないことばかりですが、出来の悪い私を全て受け入れ、私の可能性を信じていただき、育んでいただきました。 ここが私の社会人としての「原点」です。ここでの経験はまたどこかで詳しく書き留めておきたいなと思います。

そんな素晴らしい会社でしたが、入社から17年後、私の力不足や体調不良、価値観の変化などもあり恩返しもできないまま退職をすることになります。そしてずっと心の中に残っていた自然環境への想いから、色々調べ考えた末に行政の仕事をしよう、どうせなら「知事」になる!と決意し、家族や両親にも相談というか宣言をしたことがあります。まあ、みんな大反対でした。。 周りの方がよく見えているということですね。今思うと、そこに向かう力も覚悟も足りていませんでした。

私の原点4 また人に導かれカオスな会社へ
そんな中で、私は今の会社で仕事をする機会をいただくことになります。縁があった会社なんだと思います。 当時のソフトバンクグループは日本テレコム、ボーダフォンの買収やその後の統合でアグレッシブで混沌としていました。カルチャーも全然違い、なかなか大変な日々で、一から組織を立ち上げる状況でしたが、愚直にPDCAを推進し、少しづつ成長し、良い会社になっていきました。前職とは全く違うマネジメントスタイルでしたが、本当に学ばせていただき、自分を生かしてもらっているなと感じています。なぜ今もここに居るのかと問われると、新卒で入社した時の理由と近い気がしています。勝手な私の想いですが、ソフトバンクグループの中でも「奇跡のような会社」になりつつあると感じています。

今の仕事
私は今年で会社員生活30年目くらいなんですが、この2つの会社での経験が自分の社会人としての「礎」となっています。その礎の上で、組織人事コンサルタントとして企業の人事制度構築、人材開発、組織開発、職場改善を支援し、カウンセラー、コーチ、トレーナーとして個人のキャリアやメンタルヘルスの支援をしています。

私の生きる、働く源泉 今ある慚愧の念 
二人の娘も最近社会人となりましたが、今思うことは、自分のこれまでの仕事は娘たちにとって貢献できる仕事だったんだろうかということです。お世話になった人達への恩返しもできていません。正直な気持ち、慚愧の念があります。まだ、全然やらなければいけないことがあります。

気候変動に関する問題も気になります。子供達やその子供達の世界が平和で安心して暮らせるためには、今が大きな転換点だと捉えています。
二人の娘により良い社会を残したいということが私の生きる原点であり源泉です。

ここまで、自分の原点や源泉について自己紹介させていただきました。こんな長い文章あまり読まれないと思いますが、読んでいただいた皆様に感謝いたします。

noteを始めるわけ 書きたいこと
最後に、そんな私がなぜnoteを始めようと思ったかですが、、、
すいません、なかなかいい言葉が浮かんできませんが、、、
多分、慚愧の念があるからだと思います。
働く皆さんが感じる日々の悩みを少しでも和らげ、成長や幸せにつながることや
より良い社会に向けて書きたいこと、学んだことをこのnoteに書き留めていきたいと思います。二人の娘たちのためにも・・恩返しのためにも

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