読解力2

読解力を鍛えるには「書く」しかない!

はじめに~~高井家名物「お父さん問題」とは

「読解力を鍛える」をテーマにした連載を始めます。
本稿はその初回であり、プロローグであり、manifestationであります。
かっこいいヘッダー画像は次女に描いてもらいました。

構成を決めずに見切り発車してますが、数か月で数十回程度になりそうです。そんなグラグラな状態なのに、これは最終的に書籍になる予定です。内々定段階なので社名は伏せますが、版元も決まっています。
そこにフラれても、ヨソからでも、どんな形でも、意地でも、出します(笑)

初回は「なんでこんなタイトルなのか」という理由と、noteで連載する経緯と狙いをご紹介します。

周回遅れの受験が生んだ「お父さん問題」

ことの発端は2011年ごろ、小学5年生の後半になって、長女が「中学受験したい」と言い出したことでした。成績が良かったので担任に「受験してみたら?」と勧められ、同じクラスの受験組の友達から刺激も受けたようです。

私は地方出身(愛知県)で東京の受験事情に疎かったこともあり、それまで「中学は地元の公立校に行って、高校から進学校」という自分と同じコースを娘たちにも想定していました。マンションも評判の良い地元校の学区を選んで買っていました。

さて、どうしたものかなと、まずは書店で有名私立校の過去問を調べてみました。ざっと見て「あ、これは手遅れだ」と悟りました。
「学校の勉強がよくできる」レベルでは受かりっこないのです。算数は特殊な解法の習得が必須で、理科、社会は大人でも「詰め込み」を相当やらないと解けそうもない類の問題が並んでいました。これは準備に数年かかる。1年では追いつけそうもない。
なのですが。
一緒に都立中高一貫校の過去問をチェックして、「あ、こっちならやり様でイケる」と思いました。
問題の質が違ったからです。

やや強引にまとめれば、私の目には、私立受験は「解答導出の精度と速度」の勝負で、都立校の問題は「臨機応変の問題解決能力」を問うものと映りました。
前者は訓練の強度と投入時間量がモノを言う。我が娘は周回遅れの手遅れ。
後者は出題がパターン化されていないから「詰め込み型」の受験対策が通用しにくい。いわゆる「地頭」をきっちり鍛えて、過去問をしっかりやって試験慣れすれば勝負になる、というのが私の見立てでした。
質の違いは、素人なりに考えると、都立は「学校で習わないことは出題できない」という制約が影響しているのでしょう。縛りのなかで良問をひねり出す工夫の結果、都立中高一貫校の問題は総じて、大人でもちょっと解いてみたくなる知的ゲームのような趣があります。

こうした流れで、「娘の地頭を鍛えよう」と編み出したのが、我が家独自の学習プログラム「お父さん問題」でした。詳細は次回以降に紹介します。基本は作文講座です。
このプログラムには私の教育観や人間の知性についての持論が反映されています。

中学までは全教科「国語」

私の長年の口癖に「中学までは全教科『国語』みたいなもんだ」というのがあります。
この「国語」は教科のことではありません。「国語=母語を論理的に操る能力」が学力の根幹だという意味です。
「中学まで」なのは、高校からは数学が「別言語」のような次元に入るからです。中学数学までは論理を追う「国語」の頭で対応できる。理科や社会も、テキストや授業を理解する読解力が成績を左右します。
子どもが少し大きくなってからは「肝心なのは論理的思考力だ」という言い方もしてきました。

母語を操る能力の三大要素は「話す」「読む」「書く」です。人間はこの順に母語を習得します。耳で聞いて口真似をして「話す」を身につけ、絵本などから「読む」を覚え、自分でも字や文章が書けるようになる。
高度な数学や人工言語を用いるプログラミング、絵画や芸術など特殊分野をのぞけば、人間の思考のほとんどは言語(母語)に基づいています。論理的思考力は、母語を操る能力に強く影響されます。

もっとも母語の流暢さと論理的思考力は、必ずしも一致しません。
皆さんの周囲にも「口は達者だけど論理的ではない人」はたくさんいるのではないでしょうか。完璧に話せるけど、「読む」や「書く」が苦手な人はいくらでもいます。
「話す」「読む」「書く」を総合的にレベルアップして、論理的思考力を鍛えるにはどうすれば良いのか。
私の考えでは、それには言語習得のフローを逆流させる、フィードバックプロセスが有効です。

「書く」ことで「読む」が洗練される

今後の連載で詳しくご説明しますが、「書く」ことは「読む」のレベルを確実に引き上げます。そしてそれは「話す」、つまり他者の考えを適切に読み取り、自分の考えを整理して伝える対話能力も高めてくれます。
私は一介の記者で、この説に理論的な裏付けがあるわけではありません。ただ、自分自身の体験と、四半世紀近い記者稼業の経験で「理屈はともかく、これは『効く』」という手ごたえはあります。
「お父さん問題」はその経験則をもとに、「書く」という作業を通じて読解力、ひいては論理的思考力を鍛える方法として考案しました。

付記すると、私は「お父さん問題」を「ちょっとした『フライング』」と感じていました。「読解力や論理的思考力は中学、高校と段々と高まっていくものだろう」と考えていたからです。
その下地を作るために、娘たちにも読書の習慣がつくよう誘導したり、家族で楽しみながら論理的思考を鍛えるためにボードゲームを買い込んだりといったことはやっていました。でも、作文指導のような「直接介入」は考えていませんでした。
しかし、放任主義では受験に間に合わない。中学受験という必要が母になり、独自プログラムという発明が生まれたともいえます。

三姉妹全員、都立一貫校に合格

結果から書くと、高井三姉妹は「お父さん問題」を受講して、そろって同じ都立中高一貫校に合格しました。
3人とも6年生の間の1年は塾に通ったのでどこまでが「お父さん問題」の効果かは判然としませんが、少なくとも三女の合否を大きく左右したのは間違いないと思います。

三女は2年のロンドン暮らしから戻って1年足らずで受験を迎えました。「2年の空白」は大きく、帰国時点では想像以上に国語力が落ちていました。ちょっとびっくりするほどで、内心、帰国直後は「これは落ちるかも……」と思いました。
そこからの「復元」と上積みに「お父さん問題」はかなりの威力を発揮しました。次回以降、プログラムの概要と一緒に、三女の復活劇をご紹介します。なお、学習過程の公開は三女の快諾を得ています。このnoteの連載や書籍化による収益の一部は彼女に分配されます……。

さて、この私家版の受験対策は長年、知人などに「こんなことやってるよ」と話すネタでしかなかったのですが、こうして公開する気持ちになったのは最近、思いもしなかった角度から再考する機会があったからです。

「教科書が読めない子どもたち」の衝撃

2018年、最も話題を呼んだ書籍の1つは、新井紀子氏の「AI vs 教科書が読めない子どもたち」(以下、「AI vs」)でしょう。

「AI vs」は、最新の人工知能研究と広範な学習力調査をもとに、「読解力を鍛えることが日本の教育の喫緊の課題だ」と提言しています。
上のリンクのサムネイルの帯にも「読解力がない人間は、仕事を奪われる!」と刺激的な文句があります。AIが苦手な読解力という分野こそ、人間が「労働者」としてAIに対抗するカギになるという趣旨です。
この本が衝撃的だったのは、AIの進化以上に、「教科書が読めない子どもたち」の調査分析でした。人間の強みのはずの読解力に問題を抱える子どもが多数いることを明らかにしたからです。
詳細は同書に譲りますが、私が重要と考えたのは以下のポイントです。

・ 中学卒業段階で約3割が表層的な読解力を欠いている。
・ 進学校でも5割の生徒は内容理解を要する読解問題の正答率が5割程度
・ 読解力は中学生の間はそろって上昇するが、高校では向上しない
・ 読書量、得意科目などと読解力の間には相関がない

「AI vs」は旧帝大などへの合格実績が高い名門校について、興味深い見解を記しています。そうした名門校が高い進学実績を残しているのは、在学中に読解力を高める教育がなされているからではないというのです。
因果関係は逆で、読解力を備えた生徒たちが質の高い授業を受け、学力がどんどん伸びるというのが実態だそうです。
これは中学受験の段階である種の「選別」がなされているという事実を示唆します。

読後の私の感想は「やはり、そうか」というものでした。
名門校は受験で読解力の有無をフィルタリングしているという分析は、都立中高一貫校の過去問を見たときの私の「これは『地頭』の勝負だ」という直観を裏付けるものだったからです。

インプットを上げるアウトプット

新井氏は「AI vs」で、読解力の向上につながる有効なメソッドや要因は見つかっていない、と誠実に記しています。
この連載はこの課題にこたえる1つの仮説として、
「読解力というインプットの力を上げるには、作文というアウトプットによる訓練が有効だ」
という考えを示すものです。

無論、「これが唯一の正解だ」などと主張するつもりはありませんが、経験上、この手法は一定の効果があります。
私は20年以上、記事を書いたり、編集したりする仕事に携わってきました。この間、自分自身のスキルアップ、あるいは若手への指導を通じて、「どうやったら論理的で分かりやすい文章を書けるか」という試行錯誤を繰り返してきました。
その過程で「書く」のレベルアップには「読む」が必須で、「書けるようになる」と「読めるようになる」という相乗効果への確信を深めてきました。記事が書けない若手には「まず山ほど読め!」というのは、私の口癖です。
「お父さん問題」はこの記者としての経験と「言語によるコミュニケーション」の本質についての私の考えを凝縮したものです。

まずはnoteで「材料全出し」

「お父さん問題」の詳細は次回以降としまして、ここからはnoteに連載する理由を簡単にご説明します。

某月某日、私は某社の編集者H氏と夕食を取っていました。その席で「AI vs」に話題がおよび、上に書いたような持論を披露したところ、その場で「それ、本にしましょう!」という話になりました。
後日、企画の詳細を打ち合わせし、いったんは章立てなどの構成を練って企画書にまとめ、「書き下ろし」に取り掛かろうとしました。
でも、これがどうもうまく進みませんでした。
「本」という体裁を意識すると、全体の整合性や時系列の整理に意識が向かってしまい、体験談の面白さや、私なりの文章論などいろいろな要素が漏れてしまう予感がありました。

そこで私は、H氏に「いったんnoteで材料を『全出し』して、それを再構成して本にしましょう」と提案しました。「ブログをまとめて本にする」というのは今どきよくある話です。それのちょっとした変化球です。
こんな経緯ですので、このnoteの連載は三女の学習記録や、読解力や文章術についての私の体験談やノウハウ、言語によるコミュニケーションについての考察などが入り混じった、ちょっとカオスな内容になりそうです。
あっちこっちに飛びつつ、各回ごと、テーマごとに楽しんでもらえるように書きすすめますので、マガジン登録して気長にお付き合いいただければ幸いです。

学ぶのに遅すぎることはない

「AI vs」は、「中学受験の段階である程度の選別が済んでいる」というちょっと気が滅入るような分析が紹介されていましたが、同時に、大人になってから読解力が向上した例もあると指摘しています。
人間、何かを学ぶのに、手遅れということはありません。
本連載が、受験を控える若者や親御さんだけでなく、読解力に不安を感じるすべての人に何らかのヒントになれば幸いです。

=========
ご愛読ありがとうございます。新規投稿は必ずツイートでお知らせします。こちらからぜひフォローを。

異色の経済青春小説「おカネの教室」もよろしくお願いします。


無料投稿へのサポートは右から左に「国境なき医師団」に寄付いたします。著者本人への一番のサポートは「スキ」と「拡散」でございます。著書を読んでいただけたら、もっと嬉しゅうございます。