見出し画像

「国境なき医師団」に寄付する利己的な理由

私はロンドンに駐在していた2017年から、「国境なき医師団」英国支部(以下、MSF UK)への寄付をはじめた。
年間100ポンド程度、円換算で1万5000円くらいだから、大した額ではない。

「国境なき医師団」の存在自体を知らない方はさすがに少ないだろうが、念のため、Wikipedia先生から。

国境なき医師団(仏: Médecins Sans Frontières、略称: MSF)は1971年にフランスの医師とジャーナリストのグループによって作られた非政府組(NGO)で、世界最大の国際的緊急医療団体である。国際援助分野における功績によって1999年にノーベル平和賞を受賞した。

英語では、Doctors without Borders、と表記される。そのままである。

個人的寄付なんて黙ってやればいいものであって、何も「エエ人自慢」をしたいわけじゃない。
いや、正直、それもちょっとなくはないが、まあ、聞いてください。
私にとっては、MSFへの寄付には実利的なメリットがあるのだ。
この文章では、あえて功利的な側面から、なぜ寄付を続けているのかご紹介したい。

圧倒的なコンテンツ

MSFに寄付すると、定期的にニュースレターのメールが来る。
たとえば最新版はこれ。まずは面倒がらず、リンクを開いてざっとスクロールしてみてほしい。

本職の記者の視点でみて、これは第1級のルポだ。
アポをセットアップして、現地で安全を確保しつつ記者を送って、等々と考えたら、恐ろしいコストがかかる。
「現場発」の情報にあふれているだけでなく、構成も素晴らしい。
たとえばElma Wongという英国の麻酔医のセリフの冒頭のコメント。

正直に言えば、イエメンに行くと決まったとき、地図で正確な場所をチェックしなければならなかった(If I’m honest, when I first found out I was going to Yemen I had to check on a map to see exactly where it was)

人道危機の深刻さと報道のボリュームがアンバランスなイエメン危機について、これほど効果的な導入があるだろうか。

これはほんの一例で、シリアやベネズエラ、パレスチナ、インドネシアの自然災害の被災地などなど、世界中で起きている人道危機について、ハイクオリティーのリポートが月に2回くらいのペースで送られてくる。

広報が目的なのでジャーナリスティックな視点はやや弱いのは確かだが、それを差し引いてもメディアに出せばこれは普通にカネが取れるコンテンツだ。
これだけで、月にいくらか払う価値はあると私は思う。

ちなみに、これらはMSF UKのサイトで誰でもタダで閲覧できる。
でも、人間なんて物ぐさだから、「プッシュ」方式じゃないと定期的に見る習慣はつかない。
私はGmailの受信トレイにリンクを残しておいて、時間に余裕ができて気が向いたとき、スマホで目を通すようにしている。
これは確実に「世界を見る解像度」を上げてくれる。

こちらの日本語サイトを見ると、何も英語で見る必要はなさそうだ。ロンドン時代からの惰性と、後述する実利的なしょうもない理由で、私はMSF UKにお布施を納めているが、日本支部に寄付すれば言語の壁もないだろう。

寄付は面倒

もう1つ、大きなメリットは「思考停止の恩恵」だ。

私はMSFの活動を全面的に支持し、運営を信頼している。寄付したお金が、無駄なく、意図したとおりに使われると確信している。
そして原則として、私は「寄付」という営みをMSFに「全寄せ」している。
なぜなら、寄付ってのは、面倒くさいからだ。

街を歩いていれば、寄付や署名を求められることは多いだろう。
私はこれを完全スルーする。軽く会釈ぐらいはするが、スルーはスルーだ。
例外は赤い羽根共同募金くらいで、手元の小銭をジャラっと入れる。これは寄付というより、募金箱をぶら下げた子どもたちへのエールのようなものだ。
それ以外は、完全スルー。パッと見て「なかなか良さげな活動だな」と思っても、スルーしてしまう。

世の中には寄付を装って、政治的・宗教的な活動の資金を集めたり、単に懐に入れてしまう行為がまかり通っている。
特定は避けますが、名の通った団体でも、実際に調べてみると、お金が職員の高給と立派な「箱モノ」に消えてしまいそうな組織もある。
こうしたことをちゃんと調べるのは、けっこう骨が折れる。

私は面倒くさがりでケチで小心で、そのうえアンフェアなことが大嫌いという、我ながら面倒くさい性格だ。
整理すると、

面倒 → 寄付先をいちいち調べたくない
ケチ → お金が無駄使いされたくない
小心 → でも「寄付ゼロ」は良心が痛む

こんな感じ。
こういう面倒くさい性格の人間からすると、「ここなら大丈夫」というところに一点集中するのは、とても楽チンなのだ。
街で寄付を求められてスルーする際には、心のなかで「すまんな、でも、今、払おうかな、と思った分はMSFに振り込んどくから!」と言い訳している。
小心者としては、これだけで心理的負担が軽くなる。
うーん、我ながら小物だな!

これは一種の思考停止だという自覚はある。「面倒くさがらず、ちゃんと調べろよ!」という批判は甘んじて受けます。
でも、面倒なんです。
「世界単位の『善意の財布』には自分なりにお金を入れているので、勘弁してちょうだい」
という気分である。

「赤い羽根」以外の例外は、日本国内の被災地支援だ。ほんの気持ち程度の金額だけど、寄付することがある。災害発生時にはネットに情報があふれる。有効な寄付先がすぐみつかるから面倒じゃない、というのが大きい。迷ったら赤十字にしておけばよい。楽である。

ポンドはポンド、円は円

MSF UKへの寄付は、ロンドン赴任時に使っていた英銀の口座から毎月、自動引き落とし(Standing order)で行っている。帰国する際、それなりの金額のポンドを置いてきてしまったので、それを取り崩している形だ。

これには、口座をアクティブに保つという実利的なメリットがある。
向こうの銀行は、定期的に使わないと休眠口座とみなされ、取引が制限されるリスクがある。毎月、けっこうな額の口座維持の手数料まで取る癖に、ひどい話だ。
おまけに、妙な話なのは承知だが、ポンドで払っているとあまり金銭的な負担を感じない。気分としては「タダ」に近い。そんなワケないのだが、円の口座に比べると「お金が減った」感じがしない。人間なんて、馬鹿なもんです。
つまり私は、感覚的には「タダ」で前述したようなメリットを受けている。

これはもう「お買い得」としか言いようがない。

いとうせいこうの素晴らしい仕事

このままだと私個人のセコい話で終わってしまうので、MSFについてちゃんとしたお話で締めます(笑)。
といっても、本と記事の紹介です。
まず、いとうせいこうさんのこちらの本。

これはウェブの記事をまとめたもので、「まだまだ見に行く」という感じで連載は続いている。

これは、実に、実に素晴らしい仕事だ。
いとうせいこうさんの本は、みうらじゅんさんとの共著の「見仏記」と「想像ラジオ」しか読んだことはなく、ファンというわけではないのだが、このシリーズは欠かさず読んでいる。熱い内容が誠実な文章で綴られている。
私が感銘を受けたのは連載が始まった経緯と、以下のエピソードだ。

この回では、過酷な任務の合間にMSFのスタッフが開いた息抜きのパーティーにゲストとして参加した経験を取り上げている。通常のメディアでは触れる機会のない側面だ。
是非、元の原稿を読んでほしいが、皆さんお忙しいでしょうから、以下、抜粋してみます。でも、ほんと、読んだ方が良いです。

名前をカール・ブロイアーと言った。年齢は64だったと思う。
痩せていて身軽で背が高く、控えめでにこやかな人だった。
(中略)
ハイチの現状について、カールはゆっくりと英語で伝え間違いのないように気をつけている風に語った。足りないものは多かった。施設の不足による医療の届かなさ、政府のインフラ対策の少なさ、ハイチの人々の衛生への意識など。しかしカールはそれを責めるのではなかった。もしもっとあれば、その分だけ人の命が助かるのにと静かに悔しく思っているのだった。
まるで若者が理想に燃えるかのように、還暦を過ぎたカールは希望を語り、しかし終始にこやかに遠くを見やっていた。
(中略)
俺はカールがこれまでどんなミッションを経てきたのか聞きたかった。
もしよければ教えていただけませんか?
すると微笑と共に答えが来た。
「初めてなんですよ」
俺は驚いて黙った。
「これが生まれて初めてなんです」
カールはまるで自分に孫が出来たかのような初々しい喜びをあらわしてさらに言った。
「私はエンジニアとして、ドイツの中でたくさんの仕事をして来ました。あっちの会社、こっちの会社とね」
「あ、お医者さんでなく?」
「そう。技術屋です。それで六十才を超える頃から、ずっとMSFに参加したかった。そろそろ誰かの役に立つ頃だと思ったんですよ。そして時が満ちた。私はここにいる」
たったそれだけのことを聞く間に、俺の心は震え出してしまっており、とどめようがなかった。暗がりなのをいいことに、俺はカールに顔を向けたまま涙を流してしまっているのだった。
(中略)
「ご家族は、反対、しませんでしたか?」
「私の家族?」
いたずらっぽくカールは片言の英語で言った。反対を押し切ったのだろうと俺は思ったが、答えは違った。
「彼らは応援してくれています。妻とは、毎晩スカイプで話しますしね。いつでもとってもいいアドバイスをくれるんです。子供たちもそうです。私を誇りにしてくれている」
「それにね、セイコー。私はここにいる人たちと知り合えました。64才になって、こんなに素敵な家族がいっぺんに出来たんです」
俺はうなずくのが精いっぱいで、何かを考えるふりをしてカールから屋上の隅へと目をそらした。頬まで流れてきてしまったやつを、俺は手で顔をいじるふりで何度もふいた。
カールが生きているのは、なんて素晴らしい人生なんだろう。
俺は彼の新しい家族を改めて涙目で見渡してみた。すっかり暗いというのに、連中はまだ熱心に医療についてしゃべっていた。
これは俺が経験した中で最高のパーティーだ、と思った。

人類、捨てたもんじゃない。

話題になったこちらの本はこれから読もうと思っている。

(追記 2021年1月)
『紛争地の看護師』、読んだどころか、白石さんにインタビューまでして、お友達になりました。

やらない善よりやる偽善

大した額じゃないし、かなり利己的な動機が混じっているけど、「やらない善よりやる偽善」の精神で、MSFへの寄付は続けていくつもりだ。
いつか面倒くさがらない立派な人間になって、もうちょっと人生に余裕ができたら、もう少し手を広げたいとは思うが、さて、いつになることやら……。

=========
ご愛読ありがとうございます。
ツイッターやってます。投稿すると必ずツイートでお知らせします。
たまにネタアンケートもやります。ぜひフォローを。

この記事が参加している募集

推薦図書

無料投稿へのサポートは右から左に「国境なき医師団」に寄付いたします。著者本人への一番のサポートは「スキ」と「拡散」でございます。著書を読んでいただけたら、もっと嬉しゅうございます。