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いつも汚れていた父の耳

私には風呂の湯船につかると、タオルで耳を拭く癖がある。
人差し指にタオルをかぶせ、耳の内側の溝の部分を、グイっと拭く。
そして、拭いたあとのタオルを見る。
ほとんど毎日拭いているので、当然、汚れなどつきはしない。
それでも、見る。
そして、父のことを思い出す。
この仕草は、父の癖だった。

昭和な木桶風呂

私は小学校の低学年まで、両親とお風呂に入っていた。
ボロ借家の風呂場は狭く、排水は下水直結で、ときにネズミやらカマドウマなどが顔を出した。
湯舟は木の桶で、何年かすると劣化してお湯が底から漏れはじめ、脱脂綿なんかで塞いでゴマかしきれなくなったら交換するという、昭和感満載の貧乏風呂であった。

その狭い湯船に、たまに父親と私の2人で入った。母が家事で手が回らないときが父の出番だった。片方がチビでも、湯船はいっぱいで窮屈で仕方ない。目の前にはオヤジの顔がある。

湯船につかると、父は決まってタオルを手にかぶせ、指をこすりつけるようにして、耳を拭いた。タオルには、ほとんどいつも黒いシミができた。両方の耳とも、そうだった。子ども心に、「これ、洗濯しても取れないんじゃない?」と思うほど、くっきりと濃い汚れだった。

ガキだった私は「オヤジの耳、汚ねーな」と思ってみていた。
今はその汚れが、看板屋だった父が汗水たらして一日働いた証だったことがよくわかる。
現場など外仕事ならもちろん、自宅で作業をしていても、木くずや金属の削りカス、手に移ったペンキやトタン板の汚れで、手も、足も、顔も、がっつり汚れる。
タオルについた黒いシミのような汚れは、借金まみれで3人も子どもを抱えてしゃにむに働く日々の、句読点のようなものだったろう。

私はなぜか大学に進み、ホワイトカラーな仕事に就いたので、耳をぬぐっても、そんな汚れをみつけることなどない。
それでも、父と同じ仕草で、あるはずもないシミを探してタオルを見る。

もう仕事は引退したので、今は父の耳をぬぐったタオルにも、汚れはつくこともないだろう。
今日は父の79回目の誕生日だった。
noteでは、オヤジについてろくでもない話ばかり披露してきたので、ちょっとぐらいフォローしておこうか、という気分で書いてみた。
耳が汚かったという話が、フォローになるのか心もとないが。

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