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「よつばと!」で英語を学ぼう!

独選「大人の必読マンガ」案内(14)
あずまきよひこ『よつばと!』『YOTSUBA&!』

私は現地の書店をのぞくことを海外旅行の楽しみの1つにしている。
欧州各国では、少し大きな書店には、たいてい日本の漫画コーナーがあった。他のコミックとは別枠で"MANGA"と表記されているケースが多い。何人か、MANGAを「原書」で読むために日本語を勉強してるという若者に会ったこともある。
今回は、この「原書」にアクセスできる強みを生かして、英語版を読んで翻訳との差を味わうという、ややトリッキーな楽しみ方を紹介したい。

私がたまに拾い読みしているのは、あずまきよひこの『よつばと!』(メディアワークス、KADOKAWA)の英語版『YOTSUBA&!』だ。我が家にはオリジナルの既刊14冊全巻と、Yen Pressによる英語版1~3巻がある。
『よつばと!』をご存知ない方は、こちらを。

『よつばと!』の大きな魅力の1つは、登場人物たちの会話だ。
子どもっぽいのに妙にボキャブラリーが豊富なところがあるよつばと、周囲の人々とのやり取りが、何ともおかしい。確かに、こうしたマンガを母語で味わえるのは、ちょっとした幸運とも思える。

味を生かした絶妙な翻訳

ところが、である。
英語版の翻訳も、ナチュラルで味があり、実に素晴らしいのだ。
「英語教育の足しになるかも」という下心半分で買ったのだが、すっかり私がハマってしまった。

例を引いたほうがわかりやすいだろう。

単行本第2巻に、綾瀬家の長女・あさぎが沖縄旅行から帰り、母と次女・風香、三女・恵那の妹2人が土産話を聞くシーンがある。ここでのオリジナルのセリフは以下の通りだ。

恵那 ね―― 沖縄って何があるの?
あさぎ ん――… なんにもないねー
恵那 え―― 何にもないの?
風香 恵那! 恵那!
  「何もない」が あるのよ
恵那 ほ――
風香 いいこと言った!? わたしいいこと言った!?

続いて英語版。

Ena WAHT KIND OF STUFF IS IN OKINAWA?
Asagi HMMM... NOTHING REALLY.
Ena WHAT? NOTHING AT ALL?
Fuka ENA! ENA! THE “THING” THEY HAVE......IS “NOTHING”!
Ena OHHHH!
Fuka GET IT? ISN’T THAT CLEVER AND WITTY!?

このあと、調子に乗った風香にあさぎがチョップをお見舞いするわけだが、会話のテンポとニュアンスがうまく再現されているのに感心する。

このシーンに限らず、『YOTSUBA&!』の翻訳にはオリジナルのテイストをできるだけそのまま伝えようという強い熱意を感じる。「ここをそう訳すのか!」と感心し、ナチュラルな英語表現の勉強にもなる。
おそらく他のマンガでも、作品への愛情と敬意をエネルギーとした優れた翻訳が、海外でのMANGAの隆盛に一役も二役も買っていることだろう。

私のお気に入りは、単行本第1巻の最終話、雷鳴を聞きつけたよつばが表に飛び出し、土砂降りの雨に濡れて大喜びするエピソードの訳だ。「ズブ濡れだよ⁉」と呼びかける風香の心配をよそに、よつばはにわか雨に興奮してはしゃぎまわる。

それを見守るとーちゃんの「あいつは何でも楽しめるからな」という言葉に続くのが、『よつばと!』という作品全体に通じるテーマの宣言ともいえる名セリフだ。

曰く、

「よつばは 無敵だ」
あなたなら、これをどう訳しますか。最後に「正解」をご紹介する。

教科書では習えない生きた英語

英語版は全体を通じて語彙は中学英語レベルの平易で、それでいて学校の教科書とは違った生き生きとした表現が溢れ、教材としてもレベルは高い。
よつばのいわゆる「いいまつがい」も、うまくスペルミスなどで再現されているのも楽しい。たとえば、地球温暖化、"global warming"が好例。

(日本語版でも、ここは「ちきゅうおんだんか」と言えてるが、その後は「おんかんば」「ほんはんばー」と「いいまつがい」を連発する)

英語圏の子どもが使いがちな文法の間違いもサラッと入っている。
よつばが勝手にバスに乗ってしまうシーンでは、RIDEの過去形が"RIDED"と「子ども言葉」になっていて、ムチャな行動とマッチした幼さをうまく伝えている。

お彼岸の日に公園で会ったおばあさんによつばが話しかけるシーン。

口語では、学校で習うgrand motherが使われることは少ないし、grandmaぐらいまでは英会話の一環で覚える単語だろうが、grannyは大人が使うとネガティブなニュアンスが出かねないこともあって、滅多にお目にかかれない。
昔、トリリンガルレベルのある語学の達人に「その言語で小さい子供をあやせるようにならないと『話せる』とは言えない」と豪語されたことがある。
私の英語は到底そのレベルにはないし、「ほんまかいな?」とも思うが、子ども相手に話すのが大変なのは確かだ。
もし英語圏に住む予定があるなら、「子ども英語」の予備テキストとしても有用だろう。

他にも自然な英語表現を学べるところをいくつか挙げてみよう。
連載初回、お隣りへのご挨拶用にジャンボが何か買いに行くシーン。
元のセリフは、

とーちゃん 変なもん持ってくんなよ 俺はプリンが好きなんだ
ジャンボ いや、お前の嗜好はいい

"partial to ~"は「~が大好き」「~に目がない」といった意味。少なくとも私は学校等で習った記憶がない。ジャンボの"Enough about"という切り返しも、非ネイティブにはすっと出てこない言い回しだ。
この直後の風香との出会いのシーンも自然な表現が詰まっている。

風香の元のセリフは「もしかしてこちらに引っ越してこられた方ですか?」「やっぱり!」。
"BY ANY CHANCE,” 以下の言い回しや、"I KNEW IT!" という定番フレーズも、お仕事英会話から入ると、なかなか口をついて出てこない英語だ。

同じようにネイティブがスッと使う"NO SWEAT"という表現。「お安い御用だから、気にすんな」というニュアンスのこのフレーズが、「どんまい!!」の訳として使われている。

蛇足だが、「どんまい!」は"Don't mind"なわけだが、英語だと「私は気にしない」という意味になってしまう。相手に「気にしないで」と声をかけるなら"Don't worry about it"とでも言うところだが、この翻訳は語感といい、「これしかない」という感じがする。

私の英語は「お仕事用」に特化しているので、「男(女)を振る」という意味でdumpという動詞を使ったこともないし、おそらく今後もその機会もなさそうなのだが、これもこの英語版にちょいちょい出てくるので覚えてしまい、おかげで映画などを見ていて耳で拾えるようになった。

「とら」の登場シーン、「なんでタバコすってんだ?」と聞くよつばに「カッコつけてんの」と答えるセリフの訳はこちら。自身を客観視するクールなキャラぶりがうまく出ている。

気があるあさぎとの会話を一人で妄想して、思いついたくさいセリフに一人で勝手にジャンボが照れるシーンの訳も、うまい。
元のセリフは「言えるかバカヤロー!!」という一人ツッコミなのだが、これは主語がない自己言及型のセリフであり、極めて日本語的な表現だ。

この"JUST CAN'T BRING MYSELF"という部分は、丸一日うなっても私では思いつかないな、と感心する。ニュアンスがうまく出ている。
訳に感心するとともに、日本語の融通無碍な自由度の高さも再認識できる。

同じく「うまいな」と思ったのは、はるか昔に学校で習った「噂をすれば影」に当たる"Speak of the devil”という表現が出てくるこのシーン。
元のセリフは何だろうと見てみたら、あっさり「あ 帰ってきた」とあるだけなのだ。日本語ではなんということはない流れを、英語の会話としても自然なものにしている。


生きた表現といえば、こんなスラングも。

これは風香を小岩井家で初めてみかけたジャンボが、とーちゃんを「この犯罪者ァ」と責めるシーン。私はこれを読むまで、"Jail bait"というスラングを知らなかった。「刑務所のエサ」とはこれいかに、と検索してみると、

《米俗》 ムショ行きを誘うような女性 《性交すればレイプ罪となる承認年齢以下の女性》.

風香は16歳。日本語の「おいおい、犯罪だろ」という表現にピッタリだ。

「あのシーンはどう訳すのかな」と見たら、「直訳」で笑ってしまったのはこちら。元のセリフは「動くな!! ノンストップ!!」だ。

「言葉遊び」で苦戦してる部分もあり、それはそれで面白い。
とーちゃんは特殊言語の翻訳家という設定なのだが、よつばが伝言ゲーム的にやらかして、風香には「こんにゃくや」と伝わってしまう。ここは"TRANSLATOR"を"TRASH-LOADER"としたうえで、欄外に詳しく「こんにゃく」について注を加えている。苦しさはぬぐえない。
同じようなケースでは、一部の注の内容がちょっとズレていてツッコミたくなることもあって、原語話者としての優越感も味わえる。

子育ての「おいしいところ」の缶詰

ここまで英語版の翻訳にスポットを当ててきたが、せっかくの機会なので「子育てマンガ」としての『よつばと!』にも触れておきたい。

このマンガを引っ張る最大のエネルギー源がよつばという少女のキャラクターの立ち具合なのは間違いないが、「いつまでも読んでいたい」と思わせる心地よい世界観を形作っているのは、とーちゃんをはじめ、よつばを見守る周囲の大人たちの愛情や包容力だ。

経緯は明らかにされないが、よつばは実の両親とは何らかの事情で離ればなれの状態にあり、転居を繰り返し、幼稚園にも通っていない。それでも、よつばの日常は、大人が郷愁をもって思い返すような子ども時代の幸福な日々、世界が発見と驚きに満ちていたころのワクワクした気持ちに満ち溢れている。

無論、これはマンガであり、悪意を持ったキャラクターは登場せず、綾瀬家との濃密なご近所付き合い、お店の人たちとの交流など、善意だけで構成されたある種のファンタジーであるのは否めない。

だが、それを割り引いても、『よつばと!』では、子育ての楽しさと喜び、子どもの成長がそれを見守る周囲の大人にも幸福をもたらすという、理想的な在り様がリアリティーをもって描かれている。まるで子育ての「おいしいところ」を集めた缶詰のようで、かなり中毒性があるのはそのためだろう。

「子どもで遊ぶ」

現実の日本は、保育園不足は言うに及ばず、子育てに優しい環境ではない。世界最低レベルの乳幼児死亡率など医療での手厚さと比べ、未就園児から小学校あたりまでの社会とコミュニティーの子育てに対する支援や理解は、残念ながら高い水準にあるとは言い難い。
保育園・幼稚園の建設に「騒音」を理由に反対運動が起き、電車にベビーカーを押して乗れば煙たがられ、「泣くのが商売」の赤ん坊の泣き声への冷たい視線に親が肩身の狭い思いをする。

そんな冷たい現実があるからこそ、『よつばと!』の温かい世界が魅力的に映るという側面があるのだろう。

だが、一歩引いた視点でみれば、『よつばと!』に登場する大人たちは、何かを我慢したり、よつばのために犠牲を払ったりして、理想の世界を作り上げているわけではない。
とーちゃんや綾瀬家の人々、とーちゃんの友人の「ジャンボ(竹田隆)」や「やんだ」こと安田は、大人として子どもに接するだけでなく、時には自分たちも童心に帰って本気で子どもと遊ぶ。
とくに「やんだ」は5歳児や小学生と同レベルの友だちとして振る舞う。
愛読者ならわかってもらえると思うが、「油性だ」と即答するシーンは爆笑必至。

(バカで男前な秒速の「油性だ」。いいね、やんだ!)

『よつばと!』の世界が理想像でしかないのは承知だが、それでも、子育てにおいて「子どもと遊んでやる」のではなく、「子どもと遊ぶ」、何なら「子どもで遊ぶ」ぐらいの姿勢で大人自身が楽しむこと、その喜びが子どもに伝わることは、もっと意識されてよいと思う。
そういう意味で、この作品の登場人物たちはある種のロールモデルになり得るのではないだろうか。
ちなみに私は「やんだ」スタイルに近い(笑)。

未読の方には、ひとまず12巻までは鉄板でお勧めできる。13巻以降は刊行スピードが落ちた影響か、絵柄と読み味が少々変わった印象が強い。それでも十分に面白いが。

さて最後に、「よつばは 無敵だ」の翻訳をお示しして、締めくくりとしよう。
私は「うまい!」と膝を打ったが、いかがだろうか。

(NOTHING CAN.....EVER GET YOTSUBA DOWN.)

機会があったら、ぜひご一読を。少々、値が張りますが、日本のAmazonでも買えます。
あ、在庫が危険水域だ……。私のコラムのせい?
ってことはないか(笑)

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ご愛読ありがとうございます。
本記事は6月21日に新潮社のニュースサイト「Foresight(フォーサイト)」に掲載されたコラム、独選「大人の必読マンガ」の「『育てにくさ』を解毒するMANGA」の転載です。編集部のご厚意により、公開から一定期間後にこちらにもアップしています。
今回は本文、画像ふくめ、大幅に加筆修正しています。

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