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「おカネの教室」第2章 全文公開!

経済青春小説「おカネの教室」、2018年3月の出版から1年が経ちました。
おかげさまでお取り扱いくださる書店さんが日本全国津々浦々に広がり、出版当初とあまり変わらぬペースで売れております。
ありがとうございます!
1周年記念として、好評だった第1章「4月」に続き、第2章「5月」も全文公開します!
2章までで物語全体の3分の1ほどに当たります。気に入っていただけたら、下記リンクもしくは書店でお求めのうえ続きをお楽しみください。
公開済みの第1章「4月」のリンクもつけておきます。未読の方は、まずそちらからどうぞ。

では、第2章「5月」をお楽しみください!

4時間目 リーマンショックはなぜ起きた

 連休明けの月曜日の最高にかったるい授業が終わり、クラブの時間になった。今回の宿題はばっちり準備してきた。1週あいて余裕があっただけじゃなく、ビャッコさんとちゃんとやろうって約束したからだ。

 それは僕が中庭の藤棚で我が校伝統の「アブダッシュ」に挑んだときのことだった。満開の藤棚を長いホウキで10回叩いて周囲を10周、ダッシュで回る。ただそれだけのことだけど、この季節、藤棚にはアブがわんさといる。アブを振り切って最後は校舎に逃げ込むという、この狂気の度胸試しは今年、すでに二人も犠牲者を出している。なぜこんなアホなことをやるのかは謎だが、クリアしたやつは一目置かれる。アブを次々とホウキで撃ち落としながら歩いて10周した3組の岩国の兄貴は、今も伝説の勇者として語り継がれている。
 そういうことで、五月晴れに恵まれた連休の谷間の昼休み、僕は藤棚を派手に叩き、脇目もふらずに駆けだしたのだった。そして、2周目の途中で足が絡まり、顔から地面に突っ込む見事なダイブを演じた。アブのえじきになるのを覚悟したそのとき、離れて見ていた友だちがいっせいに「おおっ!」と叫んだ。痛みをこらえて膝立ちになると、砂が入ってぼやけた目が白い布を振り回す人影をとらえた。ビャッコさんが飛び交うアブを振り払っていた。
「早く! 立って! こっち!」
 僕は跳ね起き、ビャッコさんの後を追って走った。友だちの「ヒューヒュー!」と冷やかす声が聞こえる。僕らは職員室の中庭側の通用口に駆け込み、ガラスの引き戸をピシャリと閉めた。僕は息も絶え絶えで床に座り込んだ。引き戸にもたれて安堵の息を漏らすビャッコさんの手元を見て、振り回していたのが体操服だとわかった。
 担任のニタポンが「おい、アレは禁止だろうが! 福島まで、何やってるんだ!」と叫んだ。反論しようとしたが、息が切れて声にならない。ビャッコさんは「通りかかったらアブが飛んできたんです」としれっと答え、僕に「保健室行こ」と言った。保健室は職員室のすぐ隣だ。保健の先生はいなかった。
「まず顔をしっかり洗って。けっこう血が出てるよ」
 僕は手洗い場で顔の砂を洗い落とした。擦り傷に水がしみる。
「ありがと……それに、ごめん」
「お礼はともかく、ごめんって?」
「だって、共犯扱いされちゃったから。助けてくれただけなのに」
 ビャッコさんは「そんなのいいよ、別に」と言いながら、オキシドールを湿らせた脱脂綿を鼻とほっぺたに押し当てた。かなりしみたけど、なんとか平静を装った。
「男の子って、変だよね。なんであんなことするんだろ。何の役にも立たないのに」
 何の得にもならないし、役にも立たないよな。僕はふと、クラブのことを思い出した。
「あ。これ、昆虫学者みたいだね」
 ビャッコさんも同じことに思い当たったようだ。僕は「昆虫学者は役に立つし、アブをホウキでつついたりしないけどね」と言った。僕の顔を見て、ビャッコさんがはじめはクスクスと、そのうちコロコロと笑い出した。僕も笑いがこみあげてきた。
「でも、似てる。わけもなく、やらずにいられないって感じ。もう止まったかな」
 ビャッコさんはニコっと笑って立ち上がった。ドアから出ていくときに振り向いて、
「またクラブで。お互い、宿題、しっかりやっていこうね」と言った。

 カイシュウ先生は僕の顔のかさぶたを見るなり「お、これはこれは。名誉の負傷ですか」と満面の笑みを浮かべた後、「いや、それは……ただ単にすっ転びましたね」と言った。鋭い。
 ビャッコさんが「アブダッシュの最中に転んだんです」と笑った。いや、わかんないだろ、その説明じゃ。
「なんと、アレ、まだやってるんですか。始まったのはたしか、ワタクシが入る2、3年前のはずです。藤棚ができた次の年から、誰とも知れずやりだしたそうです」
 このおじさん、ここの卒業生だったのか。カイシュウ先生は楽しそうに肩をゆすって、「アブにどこをやられましたか」と聞いた。
「いえ、それが……助けてもらって、刺されてはいません」
「ほう。その友だちには、しばらくアタマが上がりませんね」
 僕が横目で見ると、ビャッコさんが口の端だけでニッと笑った。
「バカバカしい伝統ですが、特に男子に一人前の大人と認めるための通過儀礼を課す社会は珍しくありません。サッチョウさん、再挑戦、がんばってください」
 カイシュウ先生がウインクした。サマになってるけど、先生があおっていいのか。
「わたし、アブダッシュと昆虫学者が似てるって思いました。居てもたってもいられないというか、やりたいからただやる、みたいなところが」
「なるほど」
 カイシュウ先生はあごをなでながら少し考え、「お二人、天職って言葉、知ってますか」と聞いた。
「ぴったりの仕事、とかそういう意味ですよね」
「正解。英語ではコーリング、なんて言います」

天職=calling

「その仕事があなたを呼んでいるってわけです。かっこいい表現ですよね。でも、それだけじゃない、厳しさも含んだ言葉だとワタクシは思います」
 カイシュウ先生は黒板の前から僕たちの席の近くに戻ってきた。
「サッチョウさん、将来、何になりたいですか」
「それは、なれそうなモノ、じゃなくて、夢みたいな?」
「あなた、まだ中学生なんだから、夢を語りましょうよ」
「機械の設計とか発明とかそういうのをやりたいです。機械いじりが好きなので」
「なるほど。ビャッコさんは?」
「一人できちんと生きていけるなら、なんでもいいです」
 一人で、か。ビャッコさんは、早く家を出たいのかな。
 カイシュウ先生は深入りせず、「二人とも現実的ですねえ」とうまく引き取った。
「カイシュウさんは、何になりたかったんですか」
「ワタクシは研究者になりたかったのです。物理学の」
 カイシュウ先生の口元に笑みが浮かんだ。少しさびしげな笑顔だった。「大学までしがみついたのですが、諦めました。コーリングじゃなかったんですね」
「どうして天職じゃないって思ったんですか」
 カイシュウ先生は天井を見上げてしばらく考え、校庭に目をやった。
「アメリカの大学に通っていた頃、ラジーブという友人がいましてね。インドからの留学生で、寮も一緒。ワタクシはイギリスのインターナショナルスクールを卒業して18歳で大学に入ったのですが、ラジーブはまだ15歳でした」
 飛び級か。優秀ならどんどん学年をスキップしちゃう制度だ。
「彼は本物の天才でした。ワタクシが3年生になるときにはラジーブはもう大学院に上がっていました。フォトグラフィックメモリー、いわゆる写真記憶の持ち主で、一度見たものは二度と忘れない。それに加えて数学的センスも抜群だった」
 ビャッコさんが「でも、何も忘れられないっていろいろとつらそう」とつぶやいた。
「ラジーブがそう言ってましたね。何年たってもつらい場面や腹が立った出来事があまりに鮮明に頭に浮かんで寝られないことがあるって」
 それはきつい。適当に忘れっぽくてよかった。
「でも、ワタクシはただただうらやましかった。逆立ちしてもかなわない天才なのです。おまけに超がつくハードワーカーで、ときには徹夜で研究に没頭する。それを見て、ワタクシは物理学を諦めました」
「いや、別にその人に勝たなくたって、研究者にはなれますよね」
「彼ほどの才能がないことより、彼より物理学を愛せない自分に気づいたのがショックでした。彼のように、何が何でもこれをやりたい、やらずにいられない、というほどの衝動がわいてこない。これは天職じゃない、と思い知らされた」
 ビャッコさんがカイシュウ先生の顔をじっと見て、ゆっくり大きくうなずいた。僕もわかったような顔をしておいた。カイシュウ先生が「これはまた豪快に脇道にそれましたね」と言いながら腕時計を見た。
「お二人、今日はこの後、空いてますか」
 ビャッコさんと目が合った。僕たちはそろってコクリとうなずいた。
「おお、息がぴったり。チームワークが芽生えてきましたね。では、お茶でも飲みに行きましょう。担任には伝言しておきます。荷物を持って10分後に北門集合です」
 そう言い終わるや、教室から出ていってしまった。僕たちは顔を見合わせた。ビャッコさんが「ま、いいか。一応、先生の提案なんだから」と笑った。

 ベンツが滑るようにカーブを描き、ホテルのロータリーで停車した。左の後部ドアからビャッコさんが降りる。僕も続くと、真っ白な手袋のお兄さんがドアを支えていた。
 カイシュウ先生が大きな玄関に向かって歩いていく。車を置きっぱなしでいいのかなと振り向くと、お兄さんが運転して駐車場に向かうところだった。
 数年前にできたこのホテルに、僕は初めて足を踏み入れた。以前、近くを通ったとき、お母さんが「あの外資系のホテル、泊まってみたいわねえ」と言うと、お父さんが「素泊まりで1泊5万も10万も取るなんて、ただのボッタクリだろ」と鼻で笑った。その瞬間、このガイシケイのホテルは「僕には関係ない物リスト」に加わった。福島家と同じカテゴリーだ。
 その思いは今、確信に変わった。居心地が悪い。無駄に天井が高いし。庭に面した床から天井までのガラス壁は曇り一つなく磨きあげられ、午後の光が照明の薄暗さを補っていた。ホテルの人たちは、やわらかい、張りついた仮面のような笑顔を見せていた。
 カイシュウ先生は短い階段を下りてソファの一つに腰を沈めた。一段低くなった場所がカフェになっているようだ。周りのソファでは普段、近所では見かけない身なりの人たちがくつろいでいる。ビャッコさんと僕はカイシュウ先生の向かいのソファに座った。
 「いらっしゃいませ。カフェタイムのメニューでございます」
 足音もなく忍び寄ってきていたおじさんが大きな茶色の革張りのメニューを渡す。しわ一つない黒い制服と真っ白なシャツに赤い蝶ネクタイ、そして張りついた笑顔の仮面。
 カイシュウ先生は「プリンス・オブ・ウェールズを」とメニューも見ないで注文した。おじさんがビャッコさんに「お嬢さまはロシアンティーでよろしいですか」と聞いた。ビャッコさんがうなずく。おじさん、エスパーかよ。
 カイシュウ先生が「よく来るんですか、ここ」と聞くと、ビャッコさんが「週末、たまに」と答えた。常連さんですか。そうですか。
 注文が決まっていないのは僕だけになってしまった。妙に重いメニューのページをめくると、紅茶やコーヒーの名前らしきものがいっぱい並んでいる。あせる。よし、このミックスジュースにしよう、と決めかけて、値段に目玉が飛び出た。ジュース一杯で1500円って……。おじさんは今にも「お決まりになりましたら」とか言って向こうに行ってしまいそうな気配だ。そうなると、お決まりになってからまた呼び戻さないといけない。
 そのとき、名案がひらめいた。
「ロシアンティーって、おいしい?」
 ビャッコさんが「うん」と笑った。
「僕もそれにします」
「3人ともスコーンのセットにしてください」
 蝶ネクタイのおじさんは「かしこまりました」とかしこまって、歩み去った。
 しばらくして3人分の紅茶が運ばれてきた。スコーンも二つずつ、綺麗な花柄の入った皿に並んでいる。ビャッコさんがイチゴジャムをスプーンですくって紅茶に溶かした。なるほど、これはおいしそうだ。
「お二人、ロシア人がそんなふうに紅茶を飲んでると思うでしょ。でも、ロシアでは混ぜたりしないで、紅茶を飲みながらジャムをスプーンで舐めるんです」
 それはそれでおいしそうだ、と思いながら、和風ロシアンティーを飲んでみた。おいしい。ロシアの人も、ぺロぺロしてないで、混ぜちゃえばいいのに。
 ビャッコさんが「それで、ここで宿題をやるんですか?」とスコーンを手に取りながら聞いた。
「さすがにここで売春婦や高利貸しについて声高に論じるのは気が引けますね」
 隣のテーブルの老夫婦がぎょっとした顔で僕らを見た。十分、声高ですよ、先生。
「ですので、前回ワタクシが挙げた中で当たり障りがない職種を掘り下げます。どれだと思いますか」
 僕はちょっと考えてから、「一つはサラリーマン、かな」と言った。
「正解。ではビャッコさん。サラリーマンは世の中の役に立ちますか」
「それは、人によると思います」
 ここは僕もけっこう迷った。クラスの委員でも、いないほうが仕事がはかどるヤツもいるしな。
「ケースバイケース、というわけですか。では、サラリーマンという集団でみたら、世の中の役に立っているでしょうか。サッチョウさん、どうですか」
「それは会社によるってことになるのかな。勤めてる会社が世の中の役に立つなら、そこで働くサラリーマンも役に立つことをしているわけだし」
「その通り。ですから、サラリーマンは勤め先選びがすべてと言ってもいい。世界一の投資家と言われるバフェットというおじさんがこんなことを言っています。『やる価値のないことなら、うまくやる価値もない』。ダメな会社の中でいくらがんばっても、世の中の役には立たないってわけです」
 すごく当たり前な感じがするけど、ずっとがんばったあとで自分の会社がダメだって気づいたら、ショックだろうなあ。
「ところでワタクシは別に一つ、サラリーマンのやる職業を挙げました。覚えてますか」
 ビャッコさんが「銀行家」と即答した。すごい。
 僕は「銀行家って、銀行員とは何が違うんですか」と聞いた。「わざわざちょっと古めかしい言葉を使ったのは、英語のバンカーに当たる職業をイメージしているからです。高度で専門的な金融業を担っている人々。名前からして音楽家とか芸術家、あるいは政治家みたいでちょっと偉そうでしょう。銀行員というと普通の会社員、事務員に近い感じですかね。さてその銀行家、あるいは銀行というビジネスは世の中の役に立っていますか」
 実はこれ、ちょっと前に社会の時間でやったんだよね。
「役に立っていると思います。預金しておけば泥棒の心配がなくて安全だし、みんなから集めたお金を会社や住宅ローンみたいに貸すのも銀行の大事な役割です」
「完璧な模範解答ですね。誰の入れ知恵ですか」
 入れ知恵って……授業で習ったんだけど。
「ご指摘の通り、お金が余っている人と足りない人の間に立ってお金をうまく流すのが銀行の仕事です。そのほかにもお客さんのいろんな相談に乗ったり、経営や資産運用のアドバイスをしたり、役割は多い。ヘタな助言がアダになることもありますが」
 言葉の端々にトゲがある。カイシュウ先生は銀行が嫌いなのかな。
「銀行の詳しい役割についてはもうちょっと先でまとめてやります。今日は、役に立つ、立たないという視点だけで話をしましょう。まず、銀行は役に立つ組織であり、銀行家は極めて重要な仕事です。なかったら世の中まったく回らないぐらい重要です。ただ、だからといって銀行のやることが全部、役に立っているとはかぎらない」
 カイシュウ先生が身を乗り出した。つられて僕らも少し前のめりになった。
「お二人、リーマンショックって、ご存じですか」
 テレビのドキュメンタリー番組とかで聞いたことはある。
「2008年にリーマン・ブラザーズという名門銀行がつぶれました。誰もそんな大銀行が破綻するとは思わなかったから、『次はどこだ』とパニックが広がり、銀行同士のお金の貸し借りが止まって、金融システム全体が機能不全に陥りました」
 ビャッコさんが「え。銀行が銀行にお金を貸したりするんですか」と質問した。「銀行は毎日、世界中でものすごい額のお金をお互いに貸し借りしています。今日借りて明日返す、といった超短期で。お金が足りない銀行が余っている銀行から借りて帳尻を合わせているのです。そうした流れが止まってお金の大渋滞が起き、その結果、世界恐慌の一歩手前までいってしまった。これがリーマンショックです」
 僕は「世界恐慌って、歴史の授業で習ったような、ですか」と聞いた。
「そうです。世界中がパニックになり、企業がどんどんつぶれて失業者があふれる寸前までいったのです。教科書に出てくる1929年以降の大恐慌は、第二次大戦の遠因になりました」
 割と最近、そんな大変なことがあったとは、知らなかった。
「でも、変だと思いませんか。世の中の役に立つはずの銀行が突然つぶれる。しかも、名門中の名門の大銀行が。なぜそんなことが起きたのか」
 あらためて言われてみると、たしかに変だな。
「煎じつめると、危機の根っこにあったのは、リーマンや他の大銀行が、所得の低い人たちに自力で返せっこない金額の住宅ローンを貸しまくったことでした。住宅の値段が上がっているうちは問題なかったのですが、そんな無理な融資を垂れ流す状態が長持ちするはずがありません。住宅価格が下がりだしたら、ローンを返済できない人が急増した」
 カイシュウ先生がカップを口に運んだ。僕たちが理解するのを待っているのだろう。
「それで、貸したお金が返ってこなくて銀行が損をしたってことですか」
 ビャッコさんが質問すると、カイシュウ先生が首を軽く左右に振って応じた。
「まだ先があります。欧米の大銀行は、無理にお金を貸すだけじゃなく、さらにひどいことをやった。証券化という特殊な手法を使って、自分たちの負うべき責任を世界中のいろんな投資家にばらまいていたのです。証券化というのは、『お金を貸した』という取引自体を、別の銀行や投資家に売り払ってしまう高度なテクニックです」
 取引自体を売り払うって、どうやるのかな。ちょっとついていけない。
「複雑な仕組み自体は重要ではありません。要点は、貸したお金を責任持って返してもらうのが銀行の本業なのに、野放図に他人に貸し倒れのリスクを押しつけたことです。もちろん証券化商品を買ったほうにも責任はあります。目先の利益に目がくらんで中身もわからないモノに手を出したわけですから。しかし、それを差し引いても、無謀な住宅ローンを証券化してばらまいた銀行の責任は重いとワタクシは思います」
「その、よくわからないものをばらまいた結果、どうなったんですか」
「欧米の住宅価格が異常に上がり続けた数年間、こうした取引が爆発的に増えました。その結果、世界中に、どこかで綻びが起きたら連鎖的に損失が広がる網の目ができてしまった。本当の価値がいくらなのか誰にもわからないゴミのようなモノが、何十兆円も積み上がってしまったのです。そして、ある日、ドカンと来た」
 カイシュウ先生がここでまた間をとった。
「これはたちの悪い『ジジ抜き』のようなものです。みんなでカードを引きっこしている。どれがジジかもわからずに。だんだん『どうもこれはあやしい』というカードが増えてくる。気がつけば、みんなの手札がほとんどジジだらけになっている。誰も逃げられない」
 それは実に精神衛生上よろしくないゲームだ。「再び、複雑な細部は重要ではありません。本質は、優秀な銀行家たちがなぜそんなバカなマネをしたのか、です。なかには本気で自分たちの仕事は素晴らしい新技術だと思っていた人たちもいましたが、そういう輩はただの間抜けです。本当に優秀な人間は、こんなことはいつか破綻するとわかっていながら、やっていたんです」
 ビャッコさんが「なぜですか」と聞いた。
「もうかるから、ですよ」
「え? もうかるって、おかしくないですか。銀行は損をするんでしょ?」
「銀行はもうかりません。もうかるのは銀行家です」
 訳がわからない。銀行が損すれば銀行家も損するんじゃないのか。
「極端な話、銀行がつぶれようがどうなろうが関係ない。その前にたんまりボーナスをもらえば。欧米の銀行のエラい人たちが、どんな高給をかっさらうか。誇張ではなく、サッチョウさんのお父さんの百倍、千倍の報酬です。たとえばアメリカの某銀行のトップは、リーマンショック直前に数十億円のボーナスをもらっています。信じられない高給ですが、それ以上に会社をもうけさせているからオーケーだって理屈です」
 そんなにもらえたら、何の躊躇もなくスコーンをおかわりできるんだろうな。
「もう少しおやつをつまみたいところですが、時間がないですね」
 僕らはロビーの壁時計に目をやった。たしかにもういい時間だ。「中途半端ですが、銀行家の話はひとまず切りあげましょう」
 カイシュウ先生が蝶ネクタイのおじさんに軽く握ったこぶしを小刻みに動かしてみせた。「今の何?」とビャッコさんに聞くと「サインのマネ。お勘定してくださいって意味」と教えてくれた。
 すると、おじさんがテーブルの脇に来てカイシュウ先生の耳元に口を寄せた。カイシュウ先生は軽く眉根を寄せると「そういうわけにはいきません」と静かに、きっぱりと言った。おじさんはほんの一瞬ビャッコさんに目をやってから席を離れた。
 支払いを済ませ、玄関のドアからロータリーに出ると、お兄さんが「お帰りですか」と駆け寄ってきた。しばらくしてベンツが姿を現した。カイシュウ先生は「いつもありがとう」と礼を言って運転席に乗り込んだ。お兄さんが回り込んで後部座席のドアを開けてくれた。
 帰り道、ビャッコさんが「気分を悪くされたなら、すいません」と言った。僕がキョトンとしていると、カイシュウ先生が「いや、まあ、ごちそうになっちゃう手もあったんですけどね」と応じた。何の話だろう。
 あ。そうだ、忘れてた。
「あの。ごちそうさまでした。紅茶もスコーンもすごくおいしかったです」
 カイシュウ先生とビャッコさんがバックミラー越しに目を合わせて、二人同時に笑いだした。変なこと言ったかな。「どういたしまして。でもね、サッチョウさん、世間には、タダより高くつくモノはない、なんて言葉もありますよ」
 高くつくって、何がどうなるのかな、と考えていると、ビャッコさんも「ごちそうさまでした」と言った。カイシュウ先生は「いえいえ、お粗末さまでした」とだけ答えた。

放課後 図書室で会いましょう

 金曜の夕方、僕はふと学校の図書室に向かった。宿題を考えるヒントを探すためだ。しばらく職業紹介や『お金の秘密』といった題の本を流し読みしてみた。収穫はゼロ。まあ、高利貸しや売春なんてテーマが中学校の図書室の蔵書でカバーされているはずもないけれど。
 諦めて帰ろうとしたとき、視界の端にビャッコさんの姿がひっかかった。隅のほうで、大判の本を棚のへりとお腹で支えながら熱心に眺めている。そこは「郷土と学校の歴史」という、退屈な図書室の中でも極めつきに退屈なコーナーだった。
「何読んでるの?」と声をかけると、ビャッコさんはビクッと心底驚いた顔をした。なんだか悲しい反応だ。僕は話しかけたことを後悔した。
 ビャッコさんは「何となく、いろいろ見てただけ」と言いながら本を棚に戻した。
「宿題のヒントを探しに来たけど、無駄足だった」
「だろうね。あのクラブ、変すぎるから」
「だよね。ほんと、変。宿題も、先生も」
 ビャッコさんはニコリと笑うと「わたし、もう帰るね」と立ち去った。
 僕はビャッコさんが読んでいた本の棚を見た。そこは開校以来の卒業アルバムが並ぶ一角だった。
 なんでこんなモノ、と思ったところでお腹が盛大に鳴った。今日の晩ご飯、何かな。

5時間目 もうけは銀行家、損は国民に

「さて、尻切れトンボのお茶会の続きです。有能なはずの銀行家がなぜ世界を混乱に陥れる愚行を犯したか、というお題でした。サッチョウさん、覚えてますか」
「銀行は損しても銀行家はボーナスがいっぱいもらえることがある、という話でした」
「簡潔なまとめ、ありがとうございます。一部の銀行家が、うさんくさい商品を編み出して大量に売りさばき、ボーナスをもらってとんずらしたわけです」
 相変わらずいまひとつわからないけど、なんだかひどそうだ。
「世界屈指の優秀な人材を集めた銀行がつぶれた。その連中は、詐欺まがいの仕事をやっていたのに、いや、だからこそ、つぶれる前の数年間は信じられないような報酬を手にしていた。さて、実は、話はここからさらに輪をかけてひどくなります」
 これ以上、ひどくなりようもない気がするけど。
「リーマン・ブラザーズが破綻したとき、世界中でお金の大渋滞が起きました。疑心暗鬼になった銀行同士がお金を融通しあうのをやめてしまった。企業や個人も銀行からお金を借りられなくなった。それで世界は恐慌の一歩手前までいったわけですが、それはギリギリで回避された。国が銀行の借金を肩代わりすると宣言し、危ない銀行に資本を入れて、金融システムを支えたからです。危機一髪、一件落着。と言いたいところですが、国あるいは政府のお金は、突き詰めると誰のお金でしょうか」
 カイシュウ先生はちょっと間をおいた。
 ビャッコさんが「国民、ですか」と答えた。
「正解。銀行が連鎖破綻したら世界が大打撃を受ける。だから国は銀行を救った。納税者負担で」
 再び、しばしの間。つまり、これは、銀行家と縁のない僕らにも関係ある話ってことだな。
「まとめてしまえばこういう構図です。一部の銀行家は他人のお金で派手なギャンブルをやっていた。勝ったときだけ自分が大もうけして、負けたら納税者にツケを回す。そういう、まことにおいしいゲームです。無論、すべての銀行、すべての銀行家がそうだと言っているわけじゃない。大部分の銀行家は世のため人のため、お金を回すという銀行の本分に真面目に取り組んでいます。でも、一部の連中は、突き詰めると他人の褌で相撲を取って甘い汁を吸っていた」
 いくら汁が甘くても、他人のフンドシは、ちょっと臭そうで、いやだな。
「そういうケシカラン連中を仮にダニ軍団と名づけましょう。平時はダニ軍団はけっこうなお金を稼いで、ボーナスをたんまりもらっている。そこにリーマンショックみたいな危機がきて、金融市場がパニックに陥る。マーケットは恐ろしいもので、ひとたび荒れると人間の力ではパニックは簡単に収められない」
 ずいぶん危なっかしいな。しかし、ダニ軍団ってすごいネーミングだ。
「そのときダニ軍団は、このままでは世界恐慌になりますよ、と政府や国民を脅す。我々を助けたほうが結果的に安上がりですよ、と言いつのる。無茶な話ですが、無理が通れば道理が引っ込む。ダニ軍団にも多少の犠牲は出ますが、見事、世間様のサポートを得て生き残る。あるいは、ほとぼりが冷めた頃に、新たなダニがわいて出てくる」
 カイシュウ先生は一気に話すと、すっと立ち上がって窓に歩み寄った。「そういう銀行家は役に立たないってことですよね」
 ビャッコさんのひと言で、無性に腹が立っていた僕は我に返った。
「そろばん勘定クラブの本領発揮ですね。ビャッコさんの評価はいかがですか」
「役に立たないというより、迷惑って感じです」
カイシュウ先生が「迷惑、ですか。こりゃいい」と笑い、僕もつられて笑った。
「ワタクシは迷惑ではすまないし、ダニと呼ぶのもまだ甘いと思います。寄生虫は致命的な害はないものです。寄生している相手を生かさず殺さず末永くお付き合いする。ダニ軍団のロクデナシ銀行家はその寄生虫の域を出ている。長い目でみれば宿主の健康、つまり世界の秩序を大いに損ねる危険をはらんでいます」
 言ってた通り、だんだんと話がひどくなるな。
「我々の社会は資本主義という仕組みを採用しています。そのもっとも大事な土台は、社会に貢献した企業や人が正当な評価を受けること、です。役に立つ発明やサービスを提供する会社や、まともに働く人たちが世界の富を増やす。企業や人々は、その貢献度に応じて相応の報酬を得る。この『世の中のために役に立った人はちゃんと報われる』という仕組みが、経済の決定的に重要なエンジンになっている。そして、この仕組みを根幹から支えるのが『市場』です。それゆえ、我々の経済システムは市場経済とも呼ばれます

市場経済

「売り手と買い手が出会ってモノやサービスについて値段の折り合いをつける場所、それが市場です。ダニ軍団はこの市場経済の根っこを腐らせます。長い目でみれば社会に害毒を与える連中が、分不相応な分け前をさらっていくからです。富の分配がゆがめば、経済の効率は落ちるし、不平等感や不満も高まり、社会全体への信頼が損なわれます。ダニどころか経済を殺す病原菌なんです」
 今日の話は半分ぐらいしかわからない。とにかく感じるのは、カイシュウ先生の怒り、嫌悪感だった。
「カイシュウ先生は、どうしてそんなにダニ軍団を嫌うんですか」
 カイシュウ先生は僕たちの前の席に戻ると、笑みを浮かべてこう言った。
「なぜなら、ワタクシもかつてダニ軍団の一員だったからです」
 教室が静まりかえった。
「ワタクシは長年、金融業界で経済を分析する仕事をやっていました。経済の中でも、マーケットの非常に細かくてややこしい分析が専門でした。クオンツというのですが、こんな専門用語は大人でも知らないから忘れてください」
 僕は「でも、物理学と銀行って、ずいぶん違うような」と素朴な疑問をぶつけた。
 「それが似ているんです。使う数学はほぼ一緒で、コツをつかめば楽勝です。実際、周囲にも物理から金融に行く連中は多かったですよ」
「ラジーブさんとは全然違うことをやりたかったんですか」
「ビャッコさん、痛いところを突きますね。そう、心のどこかで、稼ぎで天才を見返そうという下心があったのでしょう。皮肉なことに、ワタクシはクオンツとしてはちょっとした天才でした。実にロクデモナイ分野で才能があったのです」
 頭が良い人の贅沢な悩みだな。カイシュウ先生はため息をついて天井を見上げた。
「今でも忘れられない出来事があります。父のファミリーに、誰からも尊敬される大伯父がいましてね。大伯父は現役時代、世界有数の銀行家でした。子どもの頃からとても可愛がられていたワタクシは、仕事が決まったとき、アメリカの彼の自宅まで報告に行ったのです。同じ道に進んだことを喜んでくれると思って。結果はまるで逆でした。銀行でクオンツになると話すと、彼は心底落胆しました。そしてこう言ったのです。『本気でそんな無駄なことに人生を浪費するつもりなのか』と」
 今度の間は長かった。これで話が終わってしまったのかと思うほどだった。
「戸惑うワタクシに、大伯父はとどめをさしました。『悪いがもう帰ってくれ。今日は人生で一番悲しい日になった。二度と家には来ないでくれ』。そう言ったのです」
 それはきつい。
「ワタクシにも人生があります。気を取り直して銀行で一生懸命働きました。やってみると、先ほど言った通り、才能があった。あっという間に出世してとんでもない報酬をもらいました。あぶく銭にうかれて、3回転職するうちに2回離婚しました」
 いやいや。思わず「転職と離婚は関係ないような……」と笑ってしまった。
「ところが実際、稼ぎが桁外れに増えると離婚するケースは少なくないのです。トロフィーワイフなんて言ってね。成功を誇示するためにモデルさんみたいな美人を奥さんにしたりする。バカバカしい話ですが、まあ、似たようなマネをしたわけです」
 そんなことをする人には見えないけど、自己申告だから本当なんだろう。
「そんなこんなで、たんまり稼いで我が世の春を謳歌していたところに金融危機がやってきたのです。リーマンショックは2008年の出来事ですが、ワタクシの破滅はその1年前にきました。詳細は省きますが、高度な数学を使うクオンツが、ある夏の日に突然、軒並み吹き飛ばされたのです。ほんのちょっとしたきっかけで、マーケットがこれまでとまったく違うものに変質してしまった」
 さっぱりわからないけど、とにかく大損したみたいだ。
「ちょっと告白タイムが長くなりすぎましたね。質問タイムにしましょう」
「銀行で働いている間に、その大伯父さんには会わなかったんですか」
「結婚式と葬儀で2回ほど顔を合わせました。そうそう、そのとき、彼がとても印象深いことを言いました。『ATMを最後に、銀行の発明したものは人類に貢献していない』と。ワタクシのような仕事をあらためて全否定したわけです。大伯父も呆けたな、と思いましたね。実際は欲で呆けてたのはワタクシのほうでしたが」
「今は3人目の奥さんがいるんですか。子どもはいますか」
 ビャッコさん、ツッコミ鋭いなあ。そこはちょっと知りたいところだ。
「今は独身です。2回結婚して2回離婚ですから、打率10割です」
 そんな打率は計算しなくていいから。
「子どもはアッチとソッチに、あわせて息子2人と娘3人がいます。みんな元奥さんと暮らしています。長期休暇には遊びに来ますし、子ども同士は仲良しで一緒に旅行に行ったりしますね」
 どうにも想像を絶する。僕とビャッコさんは顔を見合わせて思わず笑ってしまった。
「それで、その後、仕事はどうなったんですか。その我が世の春が終わって」
「春の次はいきなり真冬でした。夏とか秋とかなしで。長年やってきたことがまったく通用しなくなった。やればやるほど損するのです。それですっぱり仕事を辞めました。辞めて頭を冷やして、遅まきながら気づきました。自分が正真正銘のダニだってね」
 そんなきつい決め台詞を、そんなにこやかに話されても困るんだけど。
「うすうす感づいてはいました。でも、辞めてみて、すーっと未来が見えたのです。1年後のリーマンショックのような暗い未来が。自分がやってきたことが世界中の人たちの人生を破壊しかねないことに戦慄しました」
 僕はふと「未来が見えたら、それでもうけられそうな気もするけど」とつぶやいた。
「これはまた鋭い。実際、知り合いはその後、この世の終わりが来たらもうかるような取引をガンガンやってがっぽりもうけましたよ」
「その、びっくりするぐらいのお給料ってのは、ちゃんと貯金してあるんですか」
「蓄えは、今はあるにはあるんですが、ある種の借金みたいなものも残ってましてね。それでほぼ帳消しになっちゃう予定なんです」
 ビャッコさんが「あ、もしかして、養育費?」と突っ込むと、「大正解。狂った金銭感覚で離婚協議をやりましたから、まあ、自業自得です。悪銭身に付かずってね」と笑った。
 僕がなんと反応したらいいか困っていると、ビャッコさんが「その言葉、ピッタリすぎ」と独り言のように言った。ワンテンポおいて、僕たち3人は声を上げて笑った。

放課後 先生とお父さんは同級生?

 晩ご飯のとき、お母さんが「あら。クラス会あるのね」とハガキを手につぶやいた。
「たまにはそういうの、行けばいいのに」
 姉貴の言葉にお母さんはこたえもせず、ハガキの表と裏をくるくると眺めている。
「お母さんって、うちの中学だったんだよね」
「お父さんもよ」
 そうだった。お父さんは今日も夜勤だ。
「ねえ、カイシュウ、じゃなくて、江守って人、いなかった?」
「エモリ?」
「そう。ハーフっぽくて、もしかしたら背が高かったかも」
「ああ、いた、いた。でっかい男の子。一つか二つ、上の学年に」
 世間は狭い。同世代だからそれほど驚くほどのことでもないか。
「どこでそんな情報仕入れたの? わたしだってすっかり忘れてたのに」
「今のクラブの先生なんだ。卒業生だって言ってたから。もしかして、その人、お父さんと同学年だったんじゃない?」
「かもね。そこまで覚えてない」
 僕は図書室でのビャッコさんの行動の謎が解けた気がした。
「ねえ、お父さんの卒業アルバム、出してよ」
「無理。たぶん、一番奥の写真のダンボールの、そのまた底にあるのよ」
 お母さんが押入れのほうにアゴをしゃくった。姉貴が「くだらないこと言ってないで、早く食べな」と割って入った。もう8時か。
 押入れをひっくり返すより、図書室に行くほうが早そうだ。

6時間目 いる? いらない? 最古の職業

「さて、まずは我々がリストアップした職業をおさらいしましょうか」
 結局、僕は僕なりに忙しく、卒業アルバムを探す作戦は手つかずだった。

先生
昆虫学者
パン屋
高利貸し
パチンコ屋
地主
サラリーマン
銀行家
バイシュンフ

 カイシュウ先生が「このうち、議論ができていないものは4つですね」と板書をながめて言った。
 高利貸し、パチンコ屋、地主、バイシュンフ、だな。なかなかのメンツだ。
「今日はこのうちパチンコ屋とバイシュンフの2つを取り上げます。さて、さすがにギャンブルと売春について教室で声高に論じるのは気が引けます。ちょいとまたドライブと洒落込みましょう。荷物を持って北門前に集合です」
 そう言い置くと、カイシュウ先生は教室から出ていった。板書は声高に放置されたままだった。僕たちは苦笑しながら黒板消しをふるった。

「さて、密室の講義を始めましょう。売春からいきましょうか」
 身長2メートルのオジサンが中学生に売春を語る。なんとも言えない空間だ。
「ところで、お二人、なぜバイシュンフなんて職業があるんだと思いますか」
 しばしの沈黙のあと、ビャッコさんが「オトコの人がエッチだから」と言った。
「その通り。しかし、それでは『フ』に夫という字も当てた甲斐がない。つまり、ビャッコさんのお言葉は、こう言い換えられます。人類がスケベだから」
 ビャッコさんはかなり不満げだ。僕としては、うん、なんとも言えない気持ちです。
「もちろんバイシュンフのお客にならない人もいる。しかし、最古の職業と言われるほど普遍的なニーズがあるのも事実です。売春までいかなくても、綺麗な女性やカッコいい男性がお酒のお相手をするお店は山ほどある。いわゆる水商売です。見目麗わしい異性と、お金を介した偽りの関係でも仲良くなりたい人はたくさんいる。水商売や売春は人間の本能に根ざしたビジネスです」
 カイシュウ先生はそこまで話すと、少し間をとって、「いや、迂闊でした。世の中には同性愛者もたくさんいます。異性間売春だけ取り上げるのはバランスを失する。ただ、そうした人々も本質的な欲求は同じでしょう」と付け加えた。
 ちょっと中学生相手に高度すぎないか。教室を抜け出したのは正解だったようだ。
「本筋に戻りましょう。売春およびバイシュンフは世の中の役に立っているか」
 ビャッコさんが「立ってないに決まってます」と秒速で切り返した。
「ほほう。なぜ」
「なぜって……法律違反だし、良くないことだから」
「ビャッコさんらしからぬ紋切調ですね。サッチョウさん、ご意見は」
 こっちに振るなよ。
「そりゃ、できればないほうがいいんじゃないでしょうか」
「倫理的に売春を否定するのは簡単なようで難しい。現代日本では売春は犯罪です。でも、違法化されたのは1957年、ほんの半世紀前なのです。現在でも、たとえばオランダは政府公認の場所での営業を認めています」
 そうなのか。
「時代をさかのぼればバイシュンフのステータスはぐっと上がります。日本では花魁、西洋でも貴族を相手にする高級娼婦が文学やオペラの題材になっている。たとえば樋口一葉の『たけくらべ』。ヒロインの美登利は花魁になる身を恥じてはいない。価値観は時代や場所によって変わる。古今東西、いつの世も犯罪である殺人や盗みとは決定的に違います」
 僕らはカイシュウ先生の勢いに押されて黙り込んでしまった。
「お二人、必要悪、という言葉を知っていますか」
 畳みかけるように、カイシュウ先生が僕らに問いかけた。
 すかさずビャッコさんが「売春は必要じゃないと思います」と切り返した。
「では、根絶できないほど普遍的なニーズがある、と言い換えましょう。廃人を量産する麻薬と違って、感染症の問題さえクリアすれば売春は健康にはニュートラルか、ヘタしたらプラスです。子作りで寿命が縮むなら人類は70億人にまで増えてません」
 ズバズバくるな、このおじさん。ビャッコさんの不機嫌オーラが強まっている。
「売春は、この世からなくせないのに建前では根絶すべきという矛盾を抱えている。なくすべきモノに社会的地位は与えられないというコドモの発想で対処しているせいで、事態をコントロールできなくなっている。人間は欲に負ける弱いモノです。必要悪と認めて害を最小限に抑えるべきです。たとえば場所と従事者を厳格に管理して働く人の健康と人権を守る。人身売買を防ぎ、若者が小遣い稼ぎで手出しできないようにする。収入を把握して税金を取るのも重要です。日本なら、広い意味の売春は年間数千億円から兆円単位に達するでしょうから」
 マジですか。やっぱり人類はエッチなんだな。
「ワタクシは売春を明確に否定します。しかし、リアリストとして、現実に立ち向かわなければならない。その前提のうえで、あらためて問います。もし合法なら、売春は世の中の役に立ちますか」
 ビャッコさんは長考モードに入った。僕もじっくり考えよう。まず、買うほうは、高いおカネを払うぐらいなんだからまあ、嬉しいんだろう。売るほうはどうなのか。
「あの、働く人の気持ちはどう考えたらいいですか。無理やりやらされたり、貧乏で困ってするとかって、とても不幸なわけだから、世の中にはマイナスですよね」
「条件を厳しくしましょう。従事者は自分の意思で売春を営んでいるとする」
 売る人がいて、買う人がいて、お互い納得している。困る人はいないのかな。
 いや、困るのは、世の中、じゃないか。以前、援助交際の特集番組で、顔にモザイクのかかった女子高生がリポーターに「誰にも迷惑かけてないんだからほっといてよ」と毒づいていた。このセリフ、一見、反論しにくい。でも、「そんなヤツがいる世の中は嫌だ」という人にはやっぱり迷惑だ。嫌だと思う人がたくさんいるなら、売春は迷惑なのだ。
 いや待てよ。売春反対が少数派ならOKなのか。それも違う気がする。頭の中で堂々巡りが始まった頃、車が止まった。
「堤防に着きました。ちょいと散歩しましょう」

 向こう岸から吹きわたってくる風に日差しと草の匂いが混じる。堤防沿いの遊歩道を行き交う人たちがバカデカいおじさんをちらちら見る。カイシュウ先生が「晴天の下、気持ち良く議論しましょう」と伸びをした。正直、話題が話題だけに、そんな気分にはなれない。でも、初夏らしい、本当に気持ちが良い陽気で、車内で話し込むよりマシなのは確かだった。
「サッチョウさん、考えはまとまりましたか」
「どうもうまくまとまらないんですけど……売春は役に立たないというか、世の中にマイナスだと思う。働く人やお客さんがOKでも、世の中にはやっぱり悪い影響を与えるから。ないほうが良い世界になるモノなら、ないほうがいい」
 これ、何も言ってないよな、と自分で呆れていたら、カイシュウ先生が立ち止まって大きな拍手をしてくれた。
「素晴らしい。ビャッコさん、ご意見は」
「サッチョウさんに賛成します。どう考えたって悪いことだし、売春が役に立ってると思わなきゃいけないような世の中は、嫌です」
 僕よりシンプルでいい答えだな。そう、嫌なんだよな、そんなの。
「これまた素晴らしい。嫌、という表現は感情論に聞こえる恐れ無きにしも非ずですが、社会はそれを許容すべきでないという価値観に基づく見解ですね」
 カイシュウ先生は交互に僕らの顔を見ると、満面の笑みを浮かべた。
「エクセレント! ワタクシの仕掛けたワナをかいくぐりましたね。ワタクシはずっと、売春は世の中の役に立つ、売春否定は安っぽい正義派の自己満足だと誘導しました。お二人はそれをはねのけた」
 なんだ、ぐいぐい来てたのは、ワナだったのか。
「英語にデビルズ・アドボケイトという言葉があります。直訳すると悪魔の代弁者。討論や会議で使うテクニックです。本人の主義主張とは関係なく、誰かが徹底的に反対派を演じる。それに反論する過程で議論を深める仕掛けです」
 姉貴と口ゲンカしているうちに屁理屈が磨かれるのとちょっと似てるな。
「さてネタバラシしたのはですね、このままビャッコさんに嫌われたままなのは勘弁願いたいからです。オトナでも代弁者役に本気で怒り出す困った人がいますから」
 ビャッコさんは大きく目を見開くと、笑顔で手を差し出した。和解の握手か。
「ワタクシ如きとはいえ、教師に異を唱えて踏ん張ったのですから、お見事でした」
「サッチョウさんのおかげです。順番に問題点を挙げてくれたから」
「ビャッコさんのおかげだよ。あんなに怒ってちゃ、売春賛成とか言えないって」
「あ、それ、蒸し返すんだ」
 ビャッコさんのムッとした口調に、僕が「いや、あの」と慌てると、ビャッコさんが「うそ、うそ。たしかにわたし、冷静じゃなかった。まんまと騙されちゃった」と笑った。
 カイシュウ先生の提案で、僕らは電車が川を渡る鉄橋の手前で腰をおろした。大きなクスノキが影を落とし、風が心地良い。
「では、サッチョウさんに追加問題です。バイシュンフは『ぬすむ』人ですか」
 そう来るのか。僕はかなりの時間考えてから、「わかりません。役に立たないなら『ぬすむ』になりそうだけど……ちょっとモヤモヤします」と答えた。
「どのあたりがモヤモヤしますか」
「引っかかるのは売春はなくならないと言われたことです。それが本当なら、常にそんな仕事をやる人はいるわけで、それを単純に『ぬすむ』って言っていいのか迷う」
「なるほど。ワタクシなりに補足すると、売春が必要悪であり、バイシュンフが社会の中で誰かがやらされる汚れ仕事だとすれば、単純に『ぬすむ』と片づけるのは無責任じゃないか。こういうことですね」
 カイシュウ先生の話は僕の腹にストンと落ちた。ビャッコさんはどうなのかな、と目を向けると、そこには硬い表情でうつむき、身を守るように固く膝を抱え込む姿があった。さっきの笑顔との落差に僕は動揺した。カイシュウ先生が僕にゆっくりうなずいた。目が、待ちましょう、と言っていた。
「カイシュウさんは、パチンコもそうだって、言うんですね」
 長い沈黙の後、ビャッコさんが口を開いた。
 パチンコ? そんなの、どこから出てきたんだ? カイシュウ先生を見ると、穏やかにほほ笑んでいる。
 僕は頭を落ち着かせて順に考えてみた。パチンコも、売春同様、この世からなくなったほうが良さそうだ。でも、ギャンブルも、法律で禁止したってなくなりそうもない。うん、たしかに似てる。
 そこまで思い至って、僕は猛烈に腹が立ってきた。これは、親の仕事で悩む女の子に、お前の父親はバイシュンフと同類だと言い放ったようなもんじゃないか。なのにニヤニヤ笑ってやがる。最低の野郎だ。僕はカイシュウ先生をにらみつけた。目が合うと、カイシュウ先生は首を静かに左右に振り、視線をビャッコさんに戻した。促されるように、僕もうつむくビャッコさんに目を移した。
 しばらくして、ビャッコさんがゆっくり目を上げ、まっすぐカイシュウ先生に向き合った。
「続きが聞きたいです。わたしは、自分だけいい子になってお父さんを断罪していたんでしょうか」
 それは僕の同情を跳ね返すような強い眼差しだった。僕の胸から怒りが消えて、入れ替わるように尊敬の気持ちが広がった。
「個別のケースに踏み込むのはここでは控えます。ワタクシにできるのは一般論として自分の意見を述べることだけです。それでもいいですか」
「はい」
 二人の間に入り込めない。そんな思いが浮かんで、胸にチリリと痛みが走った。何だろう。それは、今まで感じたことがない感覚だった。
「善意と悪意、光と影があるのが浮世の常です。お酒をなくそう、売春をなくそう、ギャンブルをなくそう。歴史上、理想に燃える政治家や若者が行動した例はいくらもあります。でも、成功例は稀です。皆無と言ってもいい。なぜなら、社会が闇を抱えたまま走るのは、人間の本性に根ざした不変の部分だからでしょう。では我々はどうすべきか。ワタクシはセカンドベストを目指すしかないと思います。次善の道です」
 カイシュウ先生は眼鏡を外し、遠くに目をやった。
「たとえばこんなイメージです。普通の人たちが住む明るい街に、そこかしこに暗部が残っている。闇は点在するけど、すべての人々を吸い込んでしまうほどの引力はない。暗部には、そこで生きる人もいる。闇を覗きに行く人もいる。人々は暗部を黙認し、その担い手は責任を持ってある種の秩序を守る。未成年の売春のように、闇が光の世界に野放図にはみ出てくるのは許されない」
 安全地帯と危険地帯の区別をしっかりつけようということか。
「ワタクシ好みの表現は玄人と素人というものです。山本夏彦さんというオジサンからの拝借です。この場合、玄人は裏稼業や芸能など尋常ならざる職業、素人は一般人を指します。もともと、黒い人、白い人が訛った言葉ですから、闇と光にピッタリ呼応するようにも思います。昔は玄人と素人の世界にはきっちりと壁があった。玄人の組織、ヤクザの組なり遊廓なりを通じてしか玄人になれなかった。裏稼業を営む人々には世間から外れているという自覚があった。バイシュンもギャンブルも本来は裏稼業、『向こう側』にいってしまった人たちが営む生業です。素人は、向こう側と接点を持っても、すぐ戻ってくる」
「戻れなくなっちゃったら、どうなるんですか」
「破滅します。水商売やギャンブルで身を滅ぼす例は古今東西いくらでもある。素人は玄人を一段下に見つつ、同時に畏れる。下に見るのは、まともな商売じゃないからです。いくらもうけたって、それはダーティー・マネーです。そして素人が玄人を畏れるのは、彼らが人間の本性に根差す、破壊力のある生業に就いているからです」
 破壊力、か。安易に手を出しちゃダメってことだな。
「裏稼業は社会を理想から遠ざける存在であり続ける。部分的にみれば有害です。しかし、表と裏、両面がなければ人の世は成り立たない。我々は、その負の部分をも引き受けなければならない。玄人はもちろんのこと、素人もです」
「わたしはそんなの嫌です。そんなこといつ誰が決めたんですか」
「サッチョウさん、誰が、いつ決めたんだと思いますか」
 ふいに振られてグッと詰まった。それは、いつとも、誰とも、決められっこない。
「ずっと前から自然にそうなっていた、としか言えない気がします」
「大人が悪いと叫ばなかったのは偉い。我々はね、常に遅れてやってくるのですよ。生まれたときには出来上がった世界が回っている。誰もがそこに遅れて参加する」
 今の大人も昔は赤ちゃんだったわけだから、その通りかもしれない。
「社会は玄人なしでは回らない。より害の少ない形は追求できても、根絶はできない。つまり玄人も人間社会に不可欠な部分を担っている。それを『ぬすむ』と断罪するのは無責任だし、傲慢ではないか」
 問いかけの形で、カイシュウ先生が少し間をおいた。
「これがワタクシの考えです。ひと言で表すなら、清濁併わせ呑む、となりますかね。清い水も濁った水も共に飲む。善も悪も受け入れるのが大人の度量という意味です」
 気がつくともう陽が傾いていた。僕は何を言ったらいいかわからずにいた。ビャッコさんはうつむいてじっと考え込んでいる。夕暮れの川辺には、重く、濃い空気が流れていた。
 しばらくして、カイシュウ先生が立ち上がった。
「そろそろ引き揚げるとしましょう。送りますよ」
 僕も立ち上がった。
「わたし、もうしばらくここにいます」
 僕とカイシュウ先生の目が合った。
「わかりました。今日はここで解散とします」
 僕も残ろうかなと迷ったそのとき、カイシュウ先生が「サッチョウさん、行きましょう」と僕の肩に手をかけた。一人にしてあげなさい、ということか。
 車に向かう途中、振り返ったときも、ビャッコさんは視線をじっと足元の草むらに落としたままだった。

7時間目 戦争と軍人

 あの日の後、何度かビャッコさんと廊下ですれ違ったけれど、どんな顔で話しかけたらいいかわからなかった。ビャッコさんも視線を避けている気配があった。
 こんな気まずいのは嫌だな、今日のクラブで仕切り直そう、と気合いを入れて足を踏み入れた2年6組の教室には、バカデカいおじさんの姿しかなかった。
「残念なお知らせです。ビャッコさんは欠席すると担任から伝言がありました」
 昼休みに見かけたから学校には来ていたはずだ。気合いを入れた分、ショックだった。もし、これからずっとこのおじさんとマンツーマンだったら嫌だな。嫌すぎる。
 僕らはどちらからともなく校庭に目をやり、ため息をついた。
「我々だけで先に進むわけにはいかないので今日は足踏みします。オトコとオトコの話をしましょう。なんて言うと変な期待をするかもしれませんが、ソチラ方面ではありません」
「ドチラ方面ですか」
「戦争、です。我々は職業について議論してきました。ですからテーマは軍人です。サッチョウさん、軍人は『かせぐ』と『ぬすむ』、どちらだと思いますか」
「え? 兵隊さんが泥棒するってことですか」
「それじゃ、ただの犯罪者です。そうじゃなくて、普通に勤務している軍人さんです」
「いや、それは『ぬすむ』なわけないでしょ。だって消防士とか警察官と同じですよね。お金もうけはしていないけど、みんなのために仕事をしているんだから」
「では、軍人は役に立つと。さて、何の?」
「んー……あ、地震や津波のときの救助とか」
「さすがは専守防衛の自衛隊を擁する日本国民。たしかに災害救助は重要な仕事です。でも本業ではない。軍人の本業は何ですか」
「それは……戦争です」
「その通り。では、重ねて伺います。戦争は、善ですか、悪ですか」
 そりゃ、悪でしょ、と即答しかけて、口をつぐんだ。じゃあ、その悪がお仕事の軍人も悪なのかといえば、そんなわけはない。これ、かなり難問だな。
「サッチョウさん、日本国憲法の施行は何年ですか」
 何だよ急に。うーん。すぐには出てこない。
「1947年です。敗戦の翌年、46年11月3日に憲法が公布されて、その半年後の47年5月3日に施行されました。流れが頭に入れば忘れっこないです。ご存じの通り、この憲法の第9条に戦争の永久放棄が明記されました。でも、憲法だけで戦争がなくなるわけがない。『イマジン』なんてカッコよく世界平和を歌っても、たった4人でケンカ別れしちゃうのが人類です」
「4人って、何のことですか」
「ビートルズ、ご存じないですか。『イマジン』という、全人類が願えば明日にも戦争はなくなると唱える夢想的な曲を作ったジョン・レノンがいたロックバンドです。現実には、憲法施行からわずか3年後の1950年、お隣の朝鮮半島で戦争が勃発すると、アメリカのあと押しで警察予備隊、後の自衛隊が作られた。専守防衛だろうが、軍隊は軍隊です。世界は物騒なんだから、丸腰ではいられない」
 たしかに、いまだにお隣さんは、しょっちゅうミサイル飛ばしてるからなあ。
「戦闘行為だけが軍人の仕事なわけではありません。軍備を整えれば敵国が開戦に慎重になり、戦争が回避できる場合がある。核抑止力はその典型です。さはさりとて、軍人の究極の職務は戦争です。戦争は我々の尺度、そろばん勘定で言えば大いにマイナスです。戦争とそれを担う軍人。ともにこの世にないほうがいいに決まっている。でもなくせない。これを必要悪と呼ばずして何と呼ぶ」
 出たな、必要悪。つまり、売春やギャンブルと戦争を並べるってことか。いや、でも、バイシュンフと軍人を並べるのは絶対おかしい。火事だってないほうがいいけど、なくならないから消防士がいるんだし、お父さんは体を張って危険な仕事をしている。軍人なんて、戦争になれば消防士よりずっと危ない目にあうはずだ。
「でも、軍人とバイシュンフを一緒くたにするのは、ひどくないですか」
「もちろんバイシュンフと国を守る人々を同列に扱うつもりはありません。軍人は職務に見合った報酬と敬意を得るべき立派な仕事です。でも、その役割が戦争である以上、突き詰めるとその本業はこの世界にとってマイナスなのです。戦争がない平時ですら、軍備にヒトとモノとカネが回ってしまうデメリットがあります」
 理屈ではそうなるのか。でも、まだ納得いかない。
「悪い国を倒す戦争なら仕方がないというか、プラスのことだってありませんか。ひどい独裁者に国民が苦しめられている場合とか」
「そういうケースはありえるかもしれない。戦争がその後の経済成長につながった例もある。たとえばアメリカの独立戦争。イギリスの植民地のままだったら今のアメリカはなかったかもしれない。でも逆に、アメリカが主導したイラク戦争のように、独裁者打倒を旗印に不用意に他国に介入して混乱を招いただけのケースもあります」
 例がアメリカばっかりだ。戦争、好きなんだな。
「個々の戦争には歴史と時代状況がへばりついている。正義の反対は別の正義、なんて言葉があります。評価は難しい。だから、あくまで普遍的な価値判断を議論しましょう。一般論として軍人や軍隊が必要悪かどうかを考える」
 カイシュウ先生がここでひと息入れた。校庭からはいつもの通りサッカークラブのかけ声が聞こえる。雲が低く垂れこめる曇り空で、梅雨の気配が忍び寄ってきている。
 僕は数分、それなりに一生懸命考えてみてから、ギブアップした。
「うまく考えがまとまりません。悪、という言葉が、嫌な感じがするんだけど」
 カイシュウ先生が口元に笑みを浮かべた。
「その感覚は大切にしてください。サッチョウさんの年頃なら、ワタクシも同じように感じたことでしょう。でも、今はそうでもない。なぜならワタクシには、戦争抜きでやっていけない社会の一員としての当事者意識があるからです。悪という語感が嫌なのは、失礼だという感覚でしょう。相手を断罪して貶しめるような」
 そう、自分を棚に上げて他人をけなす感じだ。
「それはそれで良いのです。あなた、まだ中学生なんだから。でも、いい大人になったら、そうはいかない。いつまでも戦争が絶えず、今日もどこかで誰かが銃を取り、別の誰かと撃ち合うという現実に対して一定の責任があるからです。直接、政治や軍事に携わっていなくても、です。この現実から目をそらしてはいけない」
 僕はカイシュウ先生の迫力に圧倒されていた。
「だから、ワタクシが戦争と軍人を必要悪と呼ぶときには、痛みがあるのです。自分自身の手足が世界に害をなすものであると認める痛みが。子どもたちの世代に戦争のない世界を引き継げなかったという痛みが。なぜならワタクシも、その必要悪を抱え込んだ社会の担い手だからです。戦争も軍人も、人ごとではないのです」
 子どもの僕には理解不能な感情だ。それに、大人が皆、こんなふうに考えるわけじゃないだろう。この先生、意外と立派な大人だな。
「一方、リアリストであるワタクシはこうも考える。戦争はなくならない。宇宙人でも攻め込んできて人類が団結するときがこないかぎり、人々は憎みあい、殺しあうでしょう。少なくともあと100年くらいは。人類はそれほど愚かな存在です。歴史がそれを証明している」
 身もフタも、救いもない話だ。
「悲観的だと思いますか。でも、そういう覚悟を固めておいたほうがいい。そういう前提で世界をとらえ、生きていくべきです。だとすれば、戦争や軍備、軍人は、我々の社会の背負う宿業なのです。なくそうと思ってもなくせない必要悪です。有事には命をかけて任務にあたる軍人は崇高な職業です。でも、その本領を発揮する出番はないほうがいい。究極的にはいないほうがいいのです」
 少し間をおいて、カイシュウ先生が僕に問いかけた。
「彼らは、世の中の役に立っているのでしょうか」
 教室が静まり返り、雨の音が耳に入ってきた。とうとう降ってきたか。
「オトコとオトコの話は、ここまでです」
 少し中途半端でモヤモヤするけど、ここから先は「足踏み」を越えちゃうのだろう。
 教室の出入り口をくぐりかけたカイシュウ先生が、振り返って言った。
「そうだ、サッチョウさん、ビャッコさんを口説いてみてください」
 え。く、口説くって……。
 カイシュウ先生が目をぐるりと回してため息をついた。
「クラブに復帰するよう、説得してくださいってことですよ。まことに僭越ながら、ソチラ方面で口説くのは、時期尚早とお見受けします」
 カイシュウ先生は巨体を翻し、今度こそ廊下の先に姿を消してしまった。

(「6月」につづく)

「おカネの教室」第2章「5月」、いかがでしたか。
存亡の危機を迎えた「そろばん勘定クラブ」はどうなるのか。物語と講義はここから一気にスピードアップします。「お金を手に入れる6つ目の方法」ともう1つの隠された謎、そしてサッチョウさんの無謀な(?)恋の行方は?
ぜひ、本編で続きをお楽しみください!

執筆の経緯や狙いのご興味のある方はこちらの著者インタビュー「お金は怖くて、面白い」と娘に伝えたかった」 、創作秘話・出版体験記「『おカネの教室』ができるまで 兼業作家のデビュー奮闘記」も無料公開しています。

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