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「千の引き出し」持つ男

私は褒められると伸びるタイプだ。
このnoteなど典型で、フォロワーやビューが伸び、「スキ」が増えると、ホイホイと書きたくなる。
要は、お調子者なのである。

世の中にはそうでない方もいる。
たとえば最近、コルクの佐渡島さんのnoteを読んで「へえ」とうなった。

少しだけ引用する。太字は高井。

子育て、新人漫画家の育成で、リラックスさせて伸ばすことが、僕はうまくない。そのことをテーマにコーチングを始めた。様々な研究を読んでいると、褒められる方が、管理されるよりも、成長が早い。

なのに、どうしても厳しく指摘するほうが、成長が早いと僕は思ってしまう。そして、そちらを選択して、行動する。

僕自身が、僕をリラックスさせて伸ばしたことがない!リラックスさせるということが、自分に対してできていないから、他人にもできない。

僕は、自分自身に対して、強みより先に、いつも弱みが目についてしまう。

「まだ甘い」「もっとやれるはず」「もっと上を見ないといけない」「あの経営者と比べると自分なんて甘い」と、自分を追い込む方法で自分を成長させてきた。緊張によって、僕は成長してきた。

佐渡島さんはこれをご自分のウィークポイントと認識しておられるようだが、私からしたら「なんて立派なんだ!」と感心する。

わが身を振り返ると、「緊張」と「リラックス」のバランスは、記者になって数年は「まだプロとは言えない」と「緊張」寄りだったが、10年目を超えたあたりから思いっきり「リラックス」サイドに偏っている。
イメージで言うと、「緊張」ブレンド比率は入社5年目くらいまで7割くらいをキープした後はダダ下がりとなり、今は自分に厳しいときでも1対9ぐらいでリラックス型だ。普段はほぼリラックス全振りである。
「だから伸び悩んでいるのかな」と思わないでもないが、もはや追い込んでも末脚が伸びるわけもなし。このペースで参ります。
ちなみに後進の育成に当たっては、アメとムチのブレンドは五分五分くらいで臨んでいる。
他人に厳しく、自分に甘いお調子者である。

さて、褒められると伸びるタイプとしては、誰かが褒めてくれるのがベストだが、私は「自家発電」でもイケるクチである。
再びnoteを例に挙げれば、自分の投稿を読み返して「エエこと書いてるやん!」と自分で褒めてあげれば、けっこう、いい気分になれる。
他人に厳しく、自分には徹底的に甘い筋金入りのお調子者である。

「アホか、このオッサン」と思うなかれ。
このお調子者スタイルは、メンタルヘルスの管理では非常に有効な自己防衛策となる。
お小言は速やかに忘れ、褒められたことはしっかり覚えておく。
的を射た忠告や助言は有り難く拝聴します。
でも、お小言やご注進には、誤解や嫉妬、あえて言えば相手のアタマの悪さから生じているものもそこそこある(と思えるあたりがすでにお調子者)。
そんなものは、スルーしておくのが一番なのだ。

さて、先週は引っ越し作業が大変捗って念願の書斎をゲットし、いくつかの宿題的なお仕事もちゃんと進めた。書評を書いたご縁で「国境なき医師団」の白川優子さんと夕食を共にする僥倖にも恵まれ、大変充実した一週間だった。

休暇明け初日だった今日(というかすでに昨日)も、そこそこ仕事をこなした。
これだけ自分を褒めてあげても良いタイミングは、年に何回もない。
自家発電型お調子者として、逃せない好機である。
ということで、これまでの人生で頂戴した数々の愉快な賛辞をご紹介したい。
「自慢傲慢バカのうち」なんて言葉があるのは承知しているし、ネタ的にどうやっても自慢話臭が漂いますが、ちゃんと笑えるものを選んで参ります。

Here we go!

遠い昔の「見た目」系賛辞

今年で47歳とすっかりオジサンな私も、当たり前だが、昔は若かった。
そして、若い時は、それなりにイケていた。シュッとしていた。
いや、こんな投稿で謙遜はやめよう。
若いころは、ぶっちゃけ、かなりイケていた。
「引っ越しあるある」で昔の写真がポロッと出てきたので、お調子者らしく、参考画像を上げてしまおう。まず中学生。

うーん、好青年になりそうな少年だ。いいぞ!
続いて高校生。

シャープで精悍な若者だなぁ。というか、誰?
最後に大学生。

ええやん……ええやん!今と一致してるの、目が2つなのと髪型だけやな…。
さて、愉快な賛辞第1号として、この頃に大学のゼミの友人に頂戴したセリフを紹介したい。
曰く、

「その顔、1日貸してくんない? ナンパに行くから」

ゼミ一番というか法学部でトップクラスの美人さんの後輩に「お顔が美しくて羨ましいです」と言われて爆笑したのも忘れがたい。お顔って……(笑)

と、客観的にはかなりイケていたはずだが、そういう自覚は乏しかった。
今もそうだがファッションセンスが絶望的に無く、そもそもほとんど鏡など見ない人間で、当時はバスケに夢中でそれどころではなかった。
「この武器をもっと有効活用できたのではないか」と思わないでもないが、まぁ、正直、どうでもいい。

オジサンになると、外見を褒められるなんてことはほぼ無くなる。
オッサンの見た目など、誰も気にしません。
童顔で、歳をとると味が出る顔でもない。「若いですね」とはよく言われるし、自分でもそう思うが、ちょっとベクトルが違うだろう。この投稿に書いたように、得か損かも微妙だ。

記憶に残る「見た目系」の誉め言葉を最後に頂戴したのは10年ほど前、30代半ばのころだ。
運動会だかお祭りだか、小学校で親も参加する行事があった。私も顔を出し、校庭をトコトコと歩いていたら、すれ違いざまに見知らぬお母さまが、早口でこんな言葉を漏らした。

「あら、いい男!」

その場で大笑いして、未だに我が家の定番ネタになっている。
しかし、なかなかスッと出てきませんよ、「あら、いい男!」なんてセリフ。「野に賢あり」ですね。ちょっと違うか。

一番のツボは文章

正直、見た目は年々、自分でも関心が薄れているのでこの辺りで終わりにして、お次はおそらく一生モノのスイートスポットについて。
私の場合、褒められると一番うれしいのは、文章である。
おかげさまで、この2年ほどは、「おカネの教室」のレビューやnoteへのコメントでご褒美が大量供給され、ウハウハである。もちろん、星1つのAmazonレビューのことなどすぐ忘れる。いい性格だなぁ。

文章を最初に褒めてもらったのは、小学校の読書感想文コンクールだった。1年生から4年生まで毎年賞状をもらった。
残念ながら手元に作文は残っていないが、自分がプロフェッショナリズムを持って事に臨んだのはよく覚えている。課題図書を読み、「大人はこんな感想を書いてほしいのだろう」と忖度し、ストライクゾーンど真ん中めがけて書いた。チョロいね。
ちなみに、高学年になって自我が目覚め(というかひねくれて)、本音を書くようになったら、賞状とは無縁になった。
読者ニーズを無視して文章を書いてはいかんということである。

例外は小学校の卒業文集だった。明治村(愛知県屈指のオススメ観光スポットです)への遠足をテーマに選び、そこで他の小学校の団体と集団乱闘になりかけた顛末を面白おかしく書いた。
この時は「読者を笑わせよう」とエンターテインメント性を意識し、文体にも工夫を凝らした。この一文が、以前こちらのnoteで書いた「ビンタ上等」の担任に絶賛された。

担任は、私の原稿をクラスで回覧して、

「みんな、高井のを読んでみろ。読んだ人に楽しんでもらえるように、大きくなって自分で読み返して楽しめるように、工夫しているだろう」

と言ったのだった。このコメントには、「おお、分かってるじゃねぇか」と感心したものだ。上から目線やな…。

中学時代には文章に関する面白い賛辞の記憶はない。
一度、国語教師に作文をディスられたような気がするが、得な性格なのでディテールは忘れた。

高校生の時には、世界史のS先生の忘れがたい言葉がある。
高3になり、受験対策の小論文指導講座が開かれ、私も参加した。テーマを与えられ、1週間に1度、原稿用紙3枚ほどの小文を提出するといった形式だったと記憶する。
2回目の課題が終わった後、担当のS先生、私をちょいちょいと呼んでこう言った。

「君はもう受けなくていい。小論文だけなら、どこでも受かる」

ホンマかいなと思いつつ、続けて「他の教科、特に数学の方がヤバいだろうから、そっちに時間を使え」と言われたような気がするが、こちらもネガティブ情報なので記憶は曖昧だ。

大学在学時にはゼミのO教授から、

「私は高井君の文章のファンです」

という最大の賛辞をいただいた。高井浩章(いや、ペンネームじゃなかったけどね)のファン第1号である。
この恩師には、お調子者の私でも忘れがたい、グサリと刺さるお叱りの言葉もいただいた。
「高井君は、系統立った知的訓練が足りない」。
おっしゃる通りで、これは今も変わらない弱点でございます。
もうこの歳になったら、その場しのぎで乗り切るしかなかろう、と開き直っている。

記者になってからは、まわりに自分より原稿のうまい人はいくらでもいるわけで、褒められるようなことは滅多になくなった。
それでも、チョイチョイ、記憶に残っている言葉はある。
1つは入社4年目で大阪にいたころのキャップの一言。
ある日、私が書いた新製品の紹介記事を読んでいたキャップがポツリと、

「……高井の原稿、読みやすいな……めちゃくちゃ分かりやすい……」

と頷きながらつぶやいているのが聞こえたのだ。
これは凄く嬉しかった。
私は「入社5年目までにデスクに手直しされないレベルであらゆる原稿を書けるようになる」という目標を設定して、どんな短い原稿でも時間が許す限り徹底的に推敲していた。
その原稿も、50行ぐらいのどうということはない雑報記事だったが、その日は暇だったので、磨きに磨いた一本だった。

4年の大阪勤務が終わり、東京に戻って数年たち、入社10年目くらいになったころに言われた言葉もよく覚えている。
ある日、マーケットに関するマニアックなコラムを書いた。新聞記事としては長尺で、我ながら会心の出来だった。
原稿を出してしばらくして興奮気味のデスクから電話がかかってきた。

「おい、この原稿、完璧だな!」

ああ、俺はこの仕事で飯が食えるな、と思った瞬間だった。

義母のナイスな一句

うーん。
やっぱりただの自家発電型の自慢話になってしまった。
でも、もう4000字以上書いてしまったので、引き返せない。
これ以上捻れないし、もう夜中1時半過ぎなんで、サクッと投稿しちゃいます。
最後に今年になって頂戴した2つの愉快なお言葉を並べて、締めとしたい。

1つは1月にロシアに遊びに行った際に、モスクワ駐在の女性記者Oさんがもらした言葉。
この旅では、友人の支局長宅に私が転がり込み、Oさんのフラットに次女が泊めてもらい、親子ともどもお世話になりまくった。ありがとうございました。
で、みんなでワイワイと雑談しているとき、Oさんが私を評して次女にこんなセリフを言った。

「もう、この、どこに出しても恥ずかしくないお父さん!」

「どこに出しても」ってのがおかしくて、高井家では今でもネタになっている。まあ、娘はまた違う見解を持っていると思いますが。

最後は身内ネタ。
今年2月、私は昨秋に藍綬褒章を受けた義父の叙勲記念パーティーで帰省し、その顛末をnoteに書いた。この投稿です。

2月上旬にあったこのパーティーの後に、俳句が趣味の義母がひねり出してくれたのが、こんな一句であった。

立春や 千の引き出し 持つ男

いやいやいや。
ミルマスカラスじゃないんだから!
というオチは、どのジェネレーションまで通じるんだろう……。
おあとがよろし…くないですよね?

(タイトル画像はWikipediaから拝借しました。マスカラス、下手したらまだ現役?70歳過ぎて空中殺法やってる画像がネットに落ちてました…)

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