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【小説】キヨメの慈雨 第三十二話(マガジンのリンク付。これまでの話に飛べます)

↑ようやくマガジンにまとめられました。遅くなってすみません。







 背後から迫った黒い腕が意澄の首をホールドし、固く絞め上げた。

「がっ······ぁっ······!」

「御槌!」

 薄暗い迷路で敵の襲撃に気づくのが遅れた。武蔵野は意澄を助けようとするが、闇の中から飛び出てきた黒い拳に顔面を打ち抜かれて近寄ることができない。

(······やるしかない!)

 意澄は首を水に変化させて拘束から逃れるが、すぐに黒い腕が意澄の首めがけて猛進する。高圧水をカッターのように飛ばしてそれを切断した直後、足を強い力で引っ張られ転倒してしまった。先ほど切断した腕が再生し、仰向けになった意澄の首を上から圧迫した。

(本体を叩かない限りキリがない!)

 水圧のカッターを放って拘束から逃れるが、即座にもう一本の腕が畳み掛ける。

「御槌!どこにいる!?大丈夫か!?」

(武蔵野くんがわたしを探してる······!近づいてきたらカッターに巻き込むかもしれない!)

 来ちゃ駄目。そう叫ぼうとした瞬間、口と鼻を再生した腕に塞がれた。呼吸が阻まれ、急速に意識が落ちていく。

「くそ、どこだ!」

 意澄が突然倒れて視界から外れてしまった上に薄暗く足元が見えないために、武蔵野は見つけられずにいるのだろう。武蔵野がどこにいるかわからない以上迂闊に攻撃する訳にもいかない。かといってこのままでは確実に負ける。

(暗いっていうのが······地味にきつい······そういえば、持ってきた懐中電灯、どこにやっちゃったっけ······?)

 美温がくれた懐中電灯があれば自分が何をしようとしているのか知らせることができるかもしれない。意澄は必死に手を動かして辺りを探るが、何も手応えが無い。体内の酸素が枯渇していくのを実感する。この状態で体を水に変化させたとして、制御できるだろうか。二通りの最悪の結末が、意澄の頭をよぎった。

 そのとき。

「御槌!大丈夫か!?」

 黄色がかった強い光が意澄の目に飛び込んできた。意澄が落とした懐中電灯を武蔵野が拾ったのだ。同時に、空気が一気に体に流れ込んでくる。どういう訳か、呼吸を阻んでいた黒い腕が消え失せていた。

「はぁ、はあ、はぁ、はぁ、はぁっ······!ありがと武蔵野くん、助かった」

「まだ助かってねえだろ。何か光に当たると消えちまうみてえだけど、あの腕が復活し続けるんだったら勝てねえぞ」

「うん。それについては考えがある」

 意澄は武蔵野の手を取って立ち上がり、呼吸を整えた後で、

「迷路の入り口に戻ろう。たぶんここの事務所があるよね?」

「ああ、あったけど······どうして?」

 武蔵野が照らす道を辿りながら意澄は、

「この暗い中でわたし達の位置を認知して、尚かつ近づいて来てはいない。まあここはからくり屋敷だからどっかに潜んでる可能性もゼロじゃないけど······でも、それにしたって気配が無さすぎる」

「じゃあ、どうやって俺達の位置を探ってるんだよ」

 すると意澄は武蔵野が持っている懐中電灯を手で押し上げて天井に向けた。その光が暴いたものを見て、武蔵野は感嘆の声を上げる。

「防犯カメラか。すげえな御槌、よく気づくよ」

「普通でしょ」

 そう言った直後に黒い二本の腕が向かってくるが、武蔵野が懐中電灯を向けてそれを退け、意澄は水塊を放ってカメラを破壊した。光の外側から黒い腕がしつこく襲い来るが、的外れな方向へ指を叩きつけるだけだった。

「当たりだね。このまま視界カメラを壊しながら、モニターの前でふんぞり返ってる敵を倒しに行こう」

「その必要は無い」

「「······!?」」

 薄闇のどこかから、若い男の声がした。意澄と武蔵野は足を止めて警戒を強めるが、声の主の姿は見えない。

「ここでお前達を始末するからだ」

 薄闇でもわずかにわかる曲がり角の向こうから、声の主が現れた。容貌はよく見えないが、美温と同じぐらいの身長のようだ。

(わざわざ出てきた······ってことは何か狙いがあるよね。でも本体を叩くチャンス。一発で仕留める!)

 意澄は何も言わずに一気に駆け出す。すぐさま武蔵野が明かりを点け、意澄の体に重ならないよう脇を縫うように懐中電灯を向けて男の能力を封じた。男まではあと四歩ほど。意澄は水の拳を作り上げ、固く握り締める。男の傍の薄闇から黒い腕が伸びるが、光を浴びて霧散してしまった。

「おおおおおおりゃあっ!」

 意澄の拳が放たれた瞬間、男が後ろへ跳んだ。少しでも威力を逃がすためだろう。

(でも、後ろは壁なんだけど······?)

 何かがおかしい。直感がそう告げたが、振り抜かれた拳に引っ張られた体は止まらない。水の拳は男の顔面を捉えたが、手応えが軽すぎる。男は大袈裟に吹っ飛び、壁に向かっていく。

 そして、壁が横にスライドした。

(隠し扉!?)

 男が闇の中へ転がり、懐中電灯の光が届かない扉の向こうから黒い腕が突き進んできた。前方に突き出した意澄の手を掴み、自らの領域へ引きずり込む。

「御槌!」

 叫んだ武蔵野が走るが、扉は音もなく閉じられる。

「くそっ!御槌!御槌!」

 武蔵野が扉を叩くのがわかるが、応える余裕は無い。手首を掴む黒い腕を水圧のカッターで切断し、転がりながら立ち上がってぼんやりと認識できる敵との距離を取る。

「これでおれの能力を存分に発揮できるようになった。お前の友だちもここにはいない。つまり、お前に勝ち目は無い」

 男の声が聞こえ、意澄は敵のおおよその位置を把握する。どうやら前方にいるようだ。

 しかし、

「ぐぁっ······!?」

 意澄の背後から腕が現れ、先ほどと同じように首を絞めた。意澄は水に変化して逃れるが、今度は真下から腕が突き出しアッパーを喰らわせる。顔が上を向き、露になった首を黒い魔手が両手で捕らえた。意澄はシャッターを下ろすように水圧のギロチンで黒い腕を断ち切り、そのまま水の幕で再生した腕をシャットアウトした。

「バリアかよ。治奈さんの真似か?」

 男が鬱陶しそうに言い、意澄は眉をひそめる。

「薄々わかってたけど、やっぱり治奈さんと知り合いなんだ。あなたは何者なの?治奈さん達とどういう関係なの?」

 闇の向こうで、水の幕の向こうで、男がどんな表情をしているのかわからない。だが、少しでも情報を引き出してわずかでも動揺を誘うことで隙が生まれることを期待し、意澄は口を動かした。

「······おれは西園にしぞの流星りゅうせい。おれの名前なんてお前には関係ないかもしれないけどよ」

(喋った······チャンスがあるかも)

 打算を働かせる意澄の心の内を知ってか知らずか、西園と名乗った男は続ける。




「治奈さんはおれの妹だ」




「············妹?」

「ああそうだよ。姉じゃなく妹だ」

(いや、そこじゃなくて······声を聞いた感じだと治奈さんの方が年上っぽいけど)

 こちらが迂闊に発言したら、それが引き金になることはわかっていた。意澄は静かに突破の糸口を窺う。

「おれに姉は一人しかいない」

「············!」

 西園の声に、わずかに力が込もった。それを感じた意澄は思わず身構える。

「たった一人しかいない姉ちゃんは、ある日恋人を連れてきたよ。どこの馬の骨ともわからないそいつと一緒にいて、姉ちゃんはとても幸せそうだった」

 西園の表情は相変わらずわからない。それでもその口調から、意澄は彼がどんな顔をしているか想像できたし、これから語られることがどんなことかを理解できた。

 これから語られるのは、悲劇だ。

「おれにとってはたった一人の姉ちゃんで、たった一人の肉親だ。人妻になるのは寂しかった。おれの知らない笑顔を、おれがさっきまで存在すら知らなかった相手に向けていたんだと思うと、悔しかった。それでも、幸せになってくれるのが嬉しかった。おれの母親代わりになってくれた姉ちゃんのために、おれが姉ちゃんの父親代わりになっていろいろ試した。でも、そいつは怯むことも揺らぐこともなく、『咲希さきさんを必ず幸せにします』とおれに約束した。おれは父親代わりにバージンロードを一緒に歩いた。おれはどこの馬の骨ともわからないそいつに、たった一人の姉ちゃんを託した。そいつの妹も泣いてたよ」

 父親代わり。早苗を危機に陥れ、自分と敵対している相手の言葉だというのに、意澄は胸が締めつけられた。子どもにとっては本当の意味で父親の代わりになれる人など誰もいないということを、意澄は嫌というほどよくわかっている。それでも父親と同じぐらい子どもの幸せを願ってやれる存在は、どれほど尊いのだろうか。どれほどありがたいのだろうか。そして愛する姉の人生の節目に父親代わりを自負した男の覚悟は、どれほど強いものなのだろうか。意澄の人生の節目には、きっとそんな人はいない。何となくそれを突きつけられたような気がして、意澄は胸が締めつけられた。

(······なんてセンチな気持ちになってる場合じゃないか。相手のペースに呑まれちゃ駄目)

 意澄の心境も境遇も知る由が無い西園は、さらに言葉を紡ぐ。

「ある日姉ちゃんの病気がわかった。同じ日に、姉ちゃんの妊娠もわかった。病気をとれば子どもが危ない。子どもをとれば姉ちゃんが危ない。姉ちゃんも子どもも、どっちも助かる可能性は小さかった。どっちも助けられる医者はなかなか見つからなかった。おれは姉ちゃんを助けてほしかった。病気を治せば、また子どもを授かるチャンスもある。姉ちゃんは子どもを助けたかった。そいつとの間に授かった命を、失いたくなかったらしい。そんな大事なときに、そいつは不在がちだった。おれは本当に腹が立っていた。あるとき夜遅くにそいつが姉ちゃんとおれの前に現れた。日本中から腕のいい医者を探して、姉ちゃんも子どもも助けられる医者を見つけてくれていた。姉ちゃんも子どもも助かるよう、祈ってくれていた······おれはそいつを義兄にいさんと呼んだ」

(どこにつながる······隙を見つけろ、糸口を探せ!わたしはどこに引っ掛かってるの······?)

「義兄さんが見つけてくれた医者は東京の病院にいた。義兄さんが姉ちゃんについていくから、おれは天領で留守番の予定だった。でも少しも寂しくなかった。新しい家族が増えるんだからな。でも東京に出発する前日、姉ちゃんは死んだ。お腹の子も一緒に死んだ。忘れもしない、三年前の七月七日だよ」

「······あなたも・・・・、あの豪雨で家族を」

「一緒にするなよ。お前が誰かを思ってる以上に、おれは姉ちゃんを大事に思ってたんだよ。そして義兄さんも、姉ちゃんのことを······姉ちゃんはそれだけすごい人だったんだよ」

 西園の声に、さらに力が宿る。

「だから、お前の友だちには犠牲になってもらう」

「······それは駄目。早苗とあなたのお姉さんがどうつながるのかは知らない。でも、わたしだって早苗を大事に思ってる」

 言い返しながら、意澄は違和感の正体を掴んでいた。

(『祈っていた』······普通だったらこんなこと言わない。でもこれが感謝されることとして語られてるんだから、祈ることに意味がある人なんだ。つまり、祈ることの専門家プロフェッショナル······神職ってことだ)

「あなたのお義兄さんってもしかして、治奈さんのお兄さんの······」

「そうだ。大伴宗治······どこの馬の骨ともわからない、おれ以外に姉ちゃんを愛してくれた人だ」

「そっか······」

 意澄は深く息を吸い、目標が明確に定まった喜びから獰猛に微笑んだ。

(早苗は藤高神社にいる。こいつを倒して、即行で助けにいくから!)



〈つづく〉

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