褒め言葉をいわないで

褒められることが嫌いだ。

よくできた子供だったし期待通りの結果を出すことができたから、色々な人に数えきれないほど褒められてきた。
ちょっと珍しいことができるからそれは今にも至る。

彼らは「褒めている」のではない。「褒め言葉を述べている」だけだ。
幼い頃から褒め言葉のシャワーを浴びてきて、その時はきっと何とも思わなかったのだろうけど、今になって言葉のもつ重みについて考える。

ただ述べられるだけの褒め言葉は軽いのだ。
「褒めている」ように擬態しているけどその奥に何の気持ちも見えない。

褒めるために人間は言葉を使う。
SNS時代となっては「いいね」等も広義には含まれるかもしれない。

褒めるということは称賛の気持ちを相手に伝えること。
どれだけ美麗な字句で飾り立てた言葉だろうとどれだけ「いいね」を連打しようと、気持ちがなければ褒めたことにはならない。
褒め言葉を述べただけ。

言葉や数字それ自体には何の意味もない。
受け取った側はそれらの背景を透かし見て込められた思いを受け取る。
何の思いも込められていない褒め言葉は空箱をプレゼントされるようなもので、何も受け取っていないのだからプラマイゼロかと思いきや、期待値が上がった分だけ失望と怒りを覚える。

幼い頃から褒められてきたと思っていた。
現実は、空箱をプレゼントされ続けてきただけだった。
それは今にも至る。

相手を見下したいのか傷つけて楽しみたいのか、悪意があるのかないのか、自覚があるのか無自覚なのか、真意は知るよしもないが、欠片も思っていないことを口にできる層は、いる。
残念ながら。

褒められることが嫌いだ。
正確には空箱をプレゼントされる行為が嫌いだ。

誰も私を褒めないで。

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