見出し画像

2024年現在若いクリエイターの作品が、私にはつまらない理由がわかったかも

まず、謝罪。
私がおっさんで感性が鈍化しており、老後のことしか考えていない人間に向けて作られてない作品を正当に評価する能力を持ち合わせていません。
本当に申し訳ございません。

20歳前半の映像作家の作品を見せてもらった。4年間学業として映像、映画について学んできた人の作品である。
本人は脚本家になりたいそうであり、映画制作において脚本の重要性を強く語る。その人の1時間余りの作品を観て気づいたことを書こうと思う。
その人は、その映画の監督であり、カメラマンであり、脚本家であり、音楽を制作する。その人の少しうえの世代でもそのような人はいる。いずれにせよApple社のMacを中心とした機材による恩恵で、一世代前ではマルチクリエイターだと言われそうな行為が、今や20代以下はデフォルトなのである。
MLBの某日本選手の二刀流など騒いでいる場合ではない、と思った。
ただ、いわゆる、マスエンターテイメント向けのクオリティがその作品にあるかどうかは別として、その人の作品と現状のマスエンターテイメントについての私の感想は、たいして変わらないことに驚いている。
その原因を書こうとしている。備忘録的で散文・乱文であることを申し上げておく(誰に?)

「作品制作中は他人の作品を鑑賞するな。影響されるから」と学校先生(教授)は教えるらしい。これは驚いた・・・。
私、個人的には、影響されていいじゃないかと思う派です。
他人の作品をみて揺らぐような作品コンセプトはつまらんものであり、捨ててしまえばいいと思う。
なぜスクラップアンドビルドを回避させる。挫折させたくないのだろう。人間最優先の考え方を否定するつもりはないが、こういう考え方は「ヒステリックな開き直り」としか思えない。
「自分の作るものは素敵」「自分の存在最高」「自己肯定から生まれるものはなんでもオッケー」とかいうのは、玉石混合であり、まぁ、ろくでもないものがほとんどである、というのが私の長年のオーディエンス生活からの見解でもある。少なくとも私が面白いと思わないものは、まず、ろくでもないものとさせてもらうが、高い興行収入やヒット作品となっている実態は、甘んじて受け入れよう(所詮私の感想は負け犬の遠吠えである)

話を戻すが、「影響されないこと」や「カテゴライスざれないこと」が当代若者には大事なようだ。前提として「好きなもの」の数や研究の深さを数値化するなら圧倒的に少なく、浅く、薄い。
私たちの世代は、自分が好きなもの、新しいものを作ろうとするなら、徹底的に数にこだわり、執念深く関連情報を追求することを是とした。
背景には、思い描く作品を作るには膨大な財力や時間、立場が必要であった。財力、時間、立場などない、そのコンプレックスが作品を作る原動力であった。
今やそのコンプレックスはテクノロジーで解決されてきている。当代の若者は、安価で簡単に一定のクオリティの作品を簡単に生み出すことができる。それはそれで素晴らしい。ただ、それが面白いのかどうかは別であると私は考える。

要は執念深くて、コンプレックスの感じられる作品は、制作者が老若男女の関わらす、おもしれーんじゃねーか、という私見を述べたに過ぎんですな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?