個人の発信に人が集まるのではなく、それぞれの人格ごとに人が集まる時代。
頭の中にあるお気に入りリスト。
それをマーケティングの専門用語で、『エボークト・リスト』という。
今日の記事のキーワードだ。
例えばどこかの喫茶店に立ち寄ろうと思った時に、私の場合だと「スターバックス」「ドトール」「タリーズ」の3つが候補として浮かぶ。
ゆっくりリラックスしたい時にはスターバックスラテのトールサイズを飲みたいなって思うし、ちょっと小腹が空いた時にはドトールのジャーマンドックとアメリカンコーヒーが飲みたくなる。
仕事のことを色々考えたい時にはタリーズを選ぶこともある。創業者の松田公太さんの本を会社員時代にはよく読んでいて、気合いを入れたい時にはいつも松田さんの顔が浮かぶ。
このような形で、私たちの頭の中には必ず『エボークト・セット』というお気に入りリストが存在し、ふと何かを買おうかなと思った時には真っ先にそのリストを参照することになる。
今日は、個人で講師の仕事などをメイン活動にしている事業者や、ライターやデザイナーのようなフリーランスの人たちのweb集客について考えている。
ついこないだまでは、メルマガやLINE@に人を集めてそこで販売をすればいいとか、ブログのPVやSNSのフォロワーを集めていればお客さんが集まってくる、というのが常識のような節があった。
でも最近は、顧客リストやPV、フォロワーうんぬんかんぬんよりも、むしろ大切なのは『エボークト・セット』の中に入り込むことではないだろうか? と考えている。
というのも、今の世の中はちょっと情報が多すぎる。
はるか以前は情報というものに大きな価値があり、情報さえ持っていれば自分にとって有益で価値のある選択がしやすかった。
でも今はその情報自体が溢れかえってしまっていて、どの情報が自分にとって最適なのかという選択を迫られるようになっている。
そうなってくると人の思考もそこまでフル回転し続けることが厳しくなり、だんだんと自分の中の『エボークト・セット』の中で考えた方がラクだと思うようになる。
私はそんな風に考えているし、感じてもいる。
仕事の関係上、私は普段からたくさんの情報に触れ、観察眼とアンテナの感度を高めるようにしている。
メルマガだって1日に数百通届くし、Twitter のタイムラインにはITベンチャーの社長たちが発信する生の情報で溢れかえっている。
YouTube にはノウハウが凝縮されているし、インスタグラムでは最新の購買行動などがリアルタイムで行われている。
だが、ひとりの消費者として自分を見てみると、ありとあらゆる購買を『エボークト・セット』の中で考えたいと思うようになっている。
服に関してはセオリーとランバンオンブルー、KNOTT(ノット) だけ見ておけばそれなりに仕事着っぽくなるし、スマホに関して言えばiPhone の一択だ。
お菓子だっていつも買うようなものばかりだし、ビールだってほぼエビスの一択になっている。
つまり、グーグル検索もしなければ、インスタでのハッシュタグ検索もしないという感じになっている。
これは、ただの老化か? それとも情報過多時代の必然か?
ただ、よく思い出してみて欲しい。
昔はお気に入りのブログをブックマークして定期的に読んでいた人も、今はすっかりとそんな機能すら忘れていないだろうか?
YouTube もチャンネル登録こそテキトーにしてはあるものの、結局のところいつものユーチューバーの番組ばかり見ていないだろうか。
かつては1~2通だったメルマガも、いつの間にか何十通も届くようになり、今ではすっかり開封することもなくゴミ箱か一斉既読アーカイブ扱いしていないだろうか。
これはつまり、『エボークト・リスト』に入っていなければ、買ってもらうどころか、記憶に残ることすら危ういなんてことを意味しているように思う。
私も時々複雑な気持ちになるのだけれど、
「メルマガ読んでます!」と言ってくれている方も実はメルマガ登録をしているだけで全然読んでなかったり、
「フェイスブック拝見してます!」とは言うものの、最近の投稿については何も知らなかったり。
そんなことがよくあるわけだ。
一方で、すっかりフェイスブックでは交流がなくなった人たちともインスタグラムではコメントを交わし合っていたり、一緒によく会って話すような間柄であっても、お互いのブログはほとんど読んでいなかったり。
こんなお互い様な状況が、あちらこちらで発生している。
はあちゅうさんのVoicy を最近聞いていたら、女子大生のインスタ離れや30~40代女性のフェイスブック離れなんて話を聞くし、ニュースサイトのキュレーション記事を見ていたら女子高生のTwitter 離れなんてニュースも目に入るようになった。
LINEだってもはや、SNS というよりは電話やメールと同じ通信インフラの領域と言っても過言ではない。
だからもうこうなってくると、「自分の見込み客やクライアント候補となる人たちがどんなメディアを使っているかを捉え、それに合わせた発信をせよ」、なんてことにも限界が出てくるのではなかろうか、なんて思ってしまう。
その代わりに、全方位的に主要メディアを使い倒し、それぞれのメディア属性に合わせた発信をして、
ターゲット別の集客ではなく、プレファレンス(好意度)別の集客をすることが大事なんじゃないかと思う。
例えば私で考えるならば、
「ヒロさんのフェイスブックの発信が勉強になるのでコンサルをお願いしたいです」という人もいれば、「ヒロさんのnote を読んでいてすごく考えさせられることが多いのでコンサルをお願いしたいです」という人も現れる可能性があるということ。
企業も商品やブランド、仕組みにお客が惚れ込む時代から、理念や創業者の想いに惚れる属人性の高いビジネスがうまくいく傾向が出てきている。
それがさらに発展すると、私という個人の存在に対してのプレファレンス(好意)というよりは、どのメディアで発信していて、どういう個性の内容なのか? が選ばれる要因になるようにも感じている。
それはまるで、最近のインスタグラムがハッシュタグ(#)に対してフォローができるようになったのと似ている気がする。
誰の発信なのか? ではなく、
誰の、どのテーマ(#ハッシュタグ)の発信なのか、で選ばれる時代だということ。
はあちゅうさんも様々なメディアで自分の発信をしているが、それぞれの媒体によって個性が違うし、それをまとめたサイトを作る気もないらしい。
たぶんその考えは、先端だと思う。
ちょっと前までは、何かとまとめる場所を作りたがる人が多い傾向にあった。
アメブロとフェイスブックとツイッターとユーチューブとインスタをやっているから、それを全部まとめたホームページを作って、ここに来てもらおうという感覚のやつだ。
でもきっと、それはもう古いのだと思う。
この世界には、様々な個性の人たちがいて、一人ひとりは別なのだ。
それと同じように、ひとりの人間の中にも複数の人格があって、それが各メディアごとに個性を持って放たれているに過ぎない。
これからは、その放たれた別々の人格ごとにフォロワーがつき、そこで集客がなされていくという、そういう時代になっている気がする。
だから私は今日も発信する。
フェイスブックの私、ツイッターの私、インスタグラムの私、ユーチューブの私、ワードプレスの私、note の私、メルマガの私、LINE@の私。
全部私という個人の発信ではあるけれど、どれも別人格の私の発信なのだ。
そして、それぞれの人格に対してフォロワーが付けば良いと思っている。
それが、これからの時代の集客なんじゃないだろうか。
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