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将来的なコストって?

突然の給湯器交換

現在のマンションに住んで、もう10年以上経つのだが給湯器の交換をすることにした。
通常は10年で交換するべきものらしいが、10年以上使用し続けていた。お風呂や追い焚き、床暖房など何かと使用しているものだが、こういう備え付けの機器は自分では意識できないものだ。
数年前にお風呂のシャワーからお湯が一切でなくなった時があった。業者にみてもらったところ結局のところ蛇口の故障ということがわかったのだが、業者の方がどこに問題があるのか確認しているときに給湯器が壊れていた場合には高くつきますよと言われた。通常給湯器の対応年数は10年ということを聞き、すでに10年経過していたため給湯器の故障も疑ったが、その時は幸いにして違っていた。しかし業者には交換したほうが良いですよ、と言われてもいた。
喉元をすぎれば熱さを忘れるもので、その後給湯器交換については頭の中に残っていなかったが、そんな時リフォーム業者が飛び込みできて、ハッと思い出した。見積もりをしてもらい、まあまあの値段となった。少し考えた末、後々故障したときに慌てるよりは、と思い交換することにした。「時々お湯が出ないことがあったり、給湯器は年数的に交換時期なのだ」と心の中で自分の判断を正当化させていた。

飛び込みのリフォーム業者の方は、故障後の交換になるため業者にまあまあ高額な値段(要は足元を見られる)がかかるとのことだった。これは販売するための営業トークとは思っていた。しかしマンション備え付けの給湯器は故障すると水漏れなどで他の世帯に迷惑をかけた場合があり、それ以上のコストもかかってくるだろう。その来て欲しくない「将来」に対するコストと思えば、自分の判断の正当さをさらに強化できた。

原発のコスト

NHK スペシャルで「廃炉への道」を観ていた。
事故を起こした福島原発を廃炉にするのに、1基の原発廃炉コストの600基分、300年かかる試算というものだった。「廃炉産業」という言葉も出てきた。廃炉のような将来的に利益にならないことを産業と呼ぶことに若干の違和感を感じたが、産業という分野を作って廃炉を進めていくということなのだろうと思った。ただ収益化できるものではないから廃炉のためのお金は東電および税金から将来的に賄うことになるのではないか。
津波対策について、東電および政府は100年に1度発生するかどうかわからない災害にコストをかけることが経営的に賢いのか(当時は日本の不況のさなかで、賢くないという風潮だったと思う)ということで真剣にやってこなかったために、計り知れない「将来」のコストを生み出してしまった。
東日本大震災は想定外の災害だったということだが、想定外を想定した津波対策を実施していた場合、その費用のために電気料金の値上げもあったかもしれない。インフラ料金の値上げは当然反発を生み出し、国会議員も色々いって阻止していただろう。(実際当時の政権はそういう性格のものだった)
将来に起きる災害(地震や噴火)は、今の科学でも予測が難しい。そのため起きるかわからないものにお金をかけることはネガティブに捉えられるのだろうが、もし福島原発で津波対策をしていたら、今よりもっと楽観的な状況だったかもしれない。
また何より精神的な不安を持ち続けることも影響があると思う。廃炉の処理で発生する廃棄物の保管場所の確保など金額だけではない精神的なコストが常に付きまとうのではないだろうか。

目の前のコストと将来的なコスト

将来的に何が起こるかを予測することは難しいことだが、事前にかけられる準備はコストをかけても良いと思っている。
例えば自動車についても、新車の時からディーラーの言われるがままに半年点検、1年点検をやってきた。タイヤの交換やワイパーの交換などのドライバーでもできるようなことを全部ディーラーに任せてきた。それなりにお金がかかるのだが、点検中にディーラーの静かな店内でコーヒーを飲みながら待っているのはなかなか快適であり、それで自動車の故障を未然に防げるのであればコストパフォーマンスが良いと自分では判断している。
もし、点検代をケチって2年毎の車検だけにしたとしても最近の車はそうそうは故障しない。しかし、用事がある時や旅行中に故障したら、故障に対するコスト(レッカー代や修理代)、時間的コスト(レッカー車の到着までの時間や修理中に使用できない時間)、精神的ストレス(用事のキャンセル、旅行中ならショックで旅行を楽しめないかもしれない、諸々の手続きの煩わしさ)を考えると半年ごとの点検が高いとも思えない。

「コスト」というと一般的には金額的なものや時間的などが思い浮かぶ。お金と時間を比較したら時間の方が圧倒的に大事だ。一度過ぎた時間は帰ってこない。だからお金で時間を買うという発想が生まれてくる。例えば数10分ほどの時間のために高速道路を使えば、約束の時間にも間に合うし、もしくは早く帰宅できることできれば気分が良いものだ。あるいはタクシーを使うことで体力も節約できて、徒歩よりも、場合によっては電車よりも早く目的地に到着できる。また雨でも降っていたらタクシーの快適さを追い求めるだろう。

時間を意識すると、安心や快適さを得ることができる。つまり「コスト」には不安や不快などの精神的なものも含まれると思っている。お金より重視すべきは時間と精神的なものと思う。

 「お金 < 時間 ≒ 安心/快適さ」を考えることで、今かかるコストと将来的なコストを天秤にかけられるのでは、と思っている。

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