世界チーズ紀行「裂けないチーズ」

世界チーズ紀行。
第二回の本日は、「裂けないチーズ」をお送りいたします。

「うちで出来たチーズだ。どうだい? 裂けないだろう」
自信たっぷりに我々にチーズを差出した、笑顔が特徴的な男性。
彼こそが、北海道で裂けないチーズを作り続けて五十年の石川剛さん(64)です。
石川乳業の二代目だそうです。
「攪拌三年、ろ過八年って言ってね。親父にゃ、よく殴られたもんさ」
そう笑いながらも、匠の目は濾過槽から片時も離れない。

かつて一世を風靡した「裂けるチーズ」。
先代の「あんなんチーズじゃねぇ!」という言葉を胸に、頑なに裂けないチーズを作り続けている。
実際。
我々撮影スタッフがチーズを裂いてみようといたしましたが、三人がかりでも頑として裂けようとしない。
しかし、ひとたび口に入れれば「ふぅわり」と濃厚な風味が鼻腔をくすぐり、口の中で溶ける。
そのノウハウを得ようと、大企業からのオファーは絶えないという。

大企業の機械による大量生産が、石川乳業の経営を圧迫しているのは事実。
「これも『時代の流れ』って奴なのかねぇ…」
呟く、匠の背中は心なしか小さく見える。

長男は地元の大手企業に就職し、長女は東京に嫁いでいる。
石川乳業には、跡継ぎがいない。
「俺の代でね。終わらしてもいい、って思ってるんですよ」
寂しそうに、匠は笑った。
「でもね。金のためにチーズを作ってるんじゃない。人が喜ぶ顔が見たくてやってるんだ」
匠が「裂けないチーズ」に注ぐ視線は、我が子を見守る父親のように温かい。

それでも石川乳業が潰れず今日まで至ったのは、地元の住民の支えがあったればこそ、だ。
「『手作りの温かみ』っていうのかねぇ? 石川さんとこのチーズは、そこらのとは違うんだよ」
買い物に来た主婦たちは、そう言って笑いあった。

石川乳業のファンは、北海道に止(とど)まらない。
「石川さんとこのチーズは裂けないからね。「食べる」以外にも、使い道があるのさ」
登山家、田邊雄大さん(35)も、石川乳業ファンの一人だ。
「K2の北壁でザイルが切れたときに、命を救ってくれたのがコイツなんだ」
手にしたのは石川乳業のチーズだ。
「信じられるかい? 氷点下30度でも弾力を失わず、絶対裂けないんだよ、このチーズは」
命を救われて以来、田邊さんは匠と連絡を取り合ってるという。
「もちろん、食べるよ。口どけがよくて、山じゃこれ以上の御馳走はないと思うよ」
二人を繋ぐチーズの架け橋も、そう簡単に裂けることはなさそうだ。

去年。
就職した息子さんの紹介で、結婚式場とのタイアップが決まった。
「裂けないチーズ」を「何者にも裂かれない」とかけ、式場の目玉にしたいという申し出だ。
「バカ野郎、やっと引退できると思ったのによ……」
毒づいてみせる匠だが、言葉と裏腹に表情は明るい。

地元とのコミュニケーション。
ファンの存在。
頑なに守り続けたチーズは、機械では作れないものだろう。
石川乳業の未来は、明るい。

さて、第三回。次回の「世界チーズ紀行」は、ブルガリアの一部でのみ作られる幻のチーズ。
「むしろ、アオカビが主成分のブルーチーズ」でお贈りいたします。
それでは皆さん、良いチーズを。

――フランスのニース地方はどうした?

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