カリン・ウルフ#VastEarlyAmericaの誇張と曖昧さ

初期アメリカ史研究における空間論的転回の歩みを示すものとして、そしてその転回をさらに推進・定着させていくためのキーワードとして、カリン・ウルフが#VastEarlyAmerica「広大な初期アメリカ」というキーワードを提唱したのは、日本でも鰐淵秀一の動向論文「ポスト共和主義パラダイム期のアメリカ革命史研究」を通して周知されている。おおまかな理解として、英領13植民地という伝統的な狭い射程ではなく、大陸的・大西洋的観点を取り入れ、広い空間設定をするという点で異論はない。しかし、ウルフの2019年の論考“Vast Early America: Three simple words for a complex reality”は、その空間の構成要素の相互関係・結びつきを強調しすぎているように思える。その広い空間に包含される諸地域は、つながりあっていたのか(1つの空間的単位としての性格が強いのか)、それとも、それほどつながりあっていなかったのか。

まず、ウルフは、アメリカ史叙述の道筋が、①先住民の移入、②ヨーロッパ人の植民、③ブリテン植民地の独立、④アメリカ合衆国領土の西方拡大、というように進んでいくことを指摘して、とくにその③④の部分はもっと広い視点でみることで植民地時代と合衆国初期の時代をよりよく理解できると主張している。そして、その狭い射程になってしまっている時代から1757年を選び、その年に起き、かつ、「広大な初期アメリカ」に含まれるべき出来事をいくつかリストにした。

・アレグザンダー・ハミルトンがリーワード諸島ネーヴィスで誕生した。
・フランシスコ会の司祭が、アパッチと協力してテキサス中央部に伝道所を設立したが、数か月のうちに、コマンチとその同盟先住民が攻撃して壊滅させた。
・マドリードでバハ・カリフォルニアの伝道所の手描きの地図が出版された。
・この年まで、クォポー先住民がアーカンソー渓谷の領土を長く巧みに支配していた。
・北米フランス軍がカナダとニューヨークのあいだのウィリアム・ヘンリー砦を攻撃した。
・北部ヴァージニアのプリンス・ウィリアム・カウンティで、22歳の奴隷ジョン・サンダースが逃亡した。

「ネーヴィスからテキサス、カリフォルニア、アーカンソー、ニューヨーク、ヴァージニア、驚くほどの多様な人々と状況の存在、これが広大な初期アメリカである」、とウルフは述べる。「これが広大な初期アメリカである」といったところの「これ」とは、「多様な人々と状況の存在」のことであって、ここではその「多様な人々と状況」の相互接続とまでは言っていない。事実、ここに列挙した6つの出来事は、互いに密接につながりあっているわけではないし、それぞれの出来事は、他の地域も含めた「広大な初期アメリカ」という広い空間に位置づけた考察・再解釈がなされなければ、不十分な理解にしかならないというものでもない。

しかし、もう少し読み進めると、ウルフの主張は「多様な人々と状況の存在」にすぎないわけでもないことがわかる。大西洋史や大陸史の見方を説明した後、「初期アメリカは地理的に広大で、相互につながっていた。初期ニューメキシコを理解することなく初期ヴァージニアを理解することはできないし、その逆も同様である」と述べている。しかし、間違いなく、これは明らかに言い過ぎで、ほとんどの研究者は文字通りにはこのウルフの見解に同意しない。というのも、ニューメキシコ史の専門家はヴァージニアの話をしないし、ヴァージニアの研究書にもニューメキシコの話は出てこない。つまり、理解が深まるという話ならまだしも、1冊の本や1つの論文にヴァージニアとニューメキシコがセットででてくる未来を想像することはできない。

私は#VastEarlyAmericaというキーワードがまったくもって無用であるといいたいわけではない。そのキーワードがとりわけ大切にされるべきケースの1つは、初期アメリカ史の概説書がカバーすべき範囲を考えるときである。最近の2023年にミネルヴァ書房から出版された『はじめて学ぶアメリカの歴史と文化』の森丈夫の初期アメリカ史の概説は、ウルフが2019年にすでに批判していた脱却すべき狭いパターンの書き方になっている。より専門的な研究書でこのキーワードが大切にされるのは、具体的な出来事にせよ概念的事項にせよ、それなりに大きなテーマを扱うものに限られてくる。いうまでもなく、大切なのはそれぞれの議論にあった枠組みを設定することである。

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