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女子会に学ぶ、(傾聴+共感+承認)×100=答えを求めない会話術 〜女子は男子に、患者さんは医師に、答を求めていなかったのか!の絶望的な気付き〜



いまから10年以上前、僕は妻から衝撃の一言を聞きました。

「体調が悪い」と言うので、症状やら体温やらノドの色やら、それらの時間経過やら一通り色々見て聞いて、「ああこれなら大したことなさそうだな〜」と結論を出した後のことです。

「あなたはわかってない!私は話を聞いてほしいだけなの。答えなんて求めてない。診断してくれなんて言ってない。」

と。

その時の僕はまだ若かったのか、未熟だったのか…彼女の言葉の本当の意味を理解出来ていなかったと思います。

だって、医師として、いや一人の大人として、誰かから何かの相談を持ちかけられたとき、その内容を吟味して一定の答えをだせるように努力する・・称賛されて然るべきこの行動が…まさかまさか、非難されるとは!一体どういうことなのか……(?_?)。

そもそも医師という業種は、誰かの何らかの肉体的・精神的トラブルについて、病歴や身体所見・検査結果から一つあるいは複数の「原因」や「病態」を推測し(これを診断学という)、投薬もしくはその他の対処法などの解答を提示し、もって治療にあたるという一連の流れ(この診断→治療の流れを診療という)を業とする者である、と僕は普通に考えていました。
ていうか、医学部って、そういう診断と治療をするために、生理学とか解剖学とか病理学とか薬理学とか、内科・外科・小児科・皮膚科・眼科・・・その他諸々の勉強を山ほどするわけで、それでやっと医学的に妥当で科学的な診断ができるようになるわけで、そんなまさしくその一人前の医師になるべく一連の科学的で医学的な教育を正式に受けてきた「まっとうな(?)医師」である僕に向かって、何たること!妻が!「診断なんて求めてない」なんて言うわけです。僕にとって、これはまさしく「宇宙人からのメッセージ」くらいチンプンカンプンな代物…キョトン(?_?)とするに以外ない!わけです。

で、その時僕はどうしたかと言うと、

「ま、患者ではなく妻だから…家族として『甘えたい』くらいの意味でこんな事言うのだろう……」

と、思うようにしました。完全に「逃げ」ですね(^_^;)。
理解不能なことがあったとき、その原因が「自分の力不足」にあるとは考えず、「自分以外の環境因子」に落とし込んでしまうのは、自然な「逃避行動」です。当時の僕にはそれしか術がなかった。それくらい知識も経験もなかったのだと思います。

ま、10年以上たった今でもこのときのことを覚えているんだから、僕の心には深く深く刻まれたのでしょう(笑)。


で、その後僕は地域医療とか家庭医療などを学んでいくわけですが、その過程で、「患者に寄り添う」という内容の講演や意見をかなり見聞きするようになってきます。そこでは、「傾聴」とか「共感」とか「承認」とか、そういう医師・患者間のコミュニケーション技術の話が山のようにでて来ます。

でも、語弊を恐れずにはっきりいいますと、多くの医師が(多分)そうであるように、「それはそれ、これはこれ」的な思いで・・・心の底では「やっぱり診断に必要な知識と治療の技術が第一だよね」的な、なんだかこう、「大事なのは重々分かるんだけど、今ボクこっちで忙しいから…」みたいな感じ。つまり、

医師患者のコミュニケーションについて真剣に考えたことなんて殆どなかった

のです。


で、そんなアホな僕に、数年前またまたショッキングな出来事がふりかかりましした。いや、ある意味「何の変哲もない日常風景」を目撃しただけなんですけど(^_^;)

それは、あるファミレスでの昼下がりの出来事です。
僕は、原稿書きやら記事の執筆やらで、平日の日中に堂々とファミレスで何時間も仕事をしちゃう「不良おじさん医師」なのですが、その日は隣のテーブルで何やら女子大生?OLさん?的なおしゃれ女子3名が雑談していたのです。その日は店内が混雑してざわついてたので、一番近くに座っている女子の言葉しか聞き取れません。で、何気なく耳に入ってくるその彼女の言葉・・・その衝撃の言葉の数々!!今でも忘れることが出来ないそれらがこちら!

「へ〜」

「そうだよね〜」

「分かる〜」

話題変わって、

「へ〜」

「そうだよね〜」

「分かる分かる!」

話題変わって

「へ〜」

「そうだよね〜」

「分かる!私なんてさ〜・・・」


やっと彼女の順番が回ってきたようで、自分のことを話し出します。で、他の女子たちも。

「へ〜」

「そうだよね〜」

「分かる〜!」

ここまで繰り返されると本来聞こえないくらいの小さな声でも判別できてしまいます。で、これが延々とくり返されているのです。よくよく聞けば、その会話たちにはほとんど意味はなく(失敬!)、自分の生活や恋愛の現状説明と、その周囲の人間関係の機微を赤裸々に語る、それだけ。相手からの的確な助言や建設的なアドバイスで話が前に進む、なんてことは一つもない!のです。


「何なんだ!この不毛な会話は!」

とちゃぶ台をひっくり返したくなる気持ちを抑えてモヤモヤしていたその時!

ピーン!!!

と、気づいちゃったのです!

実は、僕が今まで「大事なのは重々分かるんだけど、今ボク忙しいから…」と後回しにしていたコミュニケーション術のキーワードがそこにあったのです。

つまり、

「へ〜」=傾聴

「そうだよね〜」=共感

「分かる〜!」=承認


今までコミュニケーションスキルの講演などで散々聞いてきた「傾聴」・「共感」・「承認」って、これなのか!、と。


在宅緩和ケアで有名な小澤竹俊先生の名言

「人は自分の苦しみをわかってくれる人がいるとうれしい」


につながるコミュニケーションスキルをファミレスで気づいちゃったのですね。

つまり、彼女たちは、(傾聴+共感+承認)x100の無限ループを通じて

「私達はあなたのことをわかっているよ!」
「そうなんだ!嬉しい!」

と相互に「分かってるよ!」「嬉しい!」のメッセージを分刻みで送り合うことを繰り返していたんだ!と。


そして10年前、妻は僕に向かって

「私の話も聞かずに体温とかノドなんか見て終わり?あなたは私の苦しみを分かってくれる気はないんでしょ?だから私は悲しくてしかたがないの!」

と言っていたのか!と。


僕たち医師は、診断・治療に関係ない話題が出るとすぐに患者さんの話を切りたがります。アメリカには、"18 second Doctor"という言葉があって、これは「医師は18秒で話を切る」という、医師への冷やかしの言葉だそうです。

また、患者さんの3分の2は診察の内容を理解していなくて、また治療が奏功しない・健康状態が改善しない原因の7割はコミュニケーションの不備にあるという研究結果もあるそうです。
(以下参照)


会話相手が何らかの「悩み」や「困難」、「トラブル」を抱えているとわかったとき、僕ら医師は即座にその「原因」を追求し「対策」を練る、提示するという『解答探しの旅』を始めます。でも、実は、当の本人は『答え』なんか求めていない。あるいはすでに答えが何なのか見当はついている。それでも、『悩んでいる自分の話を聞いてほしい、共感してほしい、そして自分のことをわかってほしい、それでいいんだよ!と言ってほしい』・・特に慢性期医療・高齢者医療ではその傾向の患者さんは多いのかもしれません。

これは医師だけでなく、男性全般、特に『理系』の男性全般に言えることかもしれませんね。僕だけかもしれませんが、男性は特にこの「傾聴」「共感」「承認」について不得意な方が多いのではないかと思います。

「女性医師の方が、男性医師よりも患者の死亡率・再入院率が低い」という研究があり、その理由の一つは「女性医師の方がコミュニケーションスキルが高いから」と考えられています。(Tsugawa Y et al. Comparison of hospital mortality and readmission rates for Medicare patients treated by male vs female physicians. JAMA Intern Med. 2017:177(2):1-8.)


全世界的に医療のメインストリームになりつつある「家庭医療」の研修では、多くの時間をコミュニケーションスキルを磨くことに割くそうです。
また、僕がいた夕張市では救急搬送数が半減し、高齢者医療費も減少したのですが、いま思うと、その要因の大きな一つに「患者・家族の不安や思いを受け止められる在宅医療・訪問看護」などがあったのだと思います。多くの救急患者の背景には「漠然とした不安」があり、普段から傾聴・共感・承認を基礎にした対話によってその患者さん・家族の不安を取り除いてあげて、何かあったらすぐ来るからいつでも電話していいんだよ、と保証してあげる。これだけで、特に高齢患者の救急が大きく減少したのでしょう。(日本中にこうした家庭医療が普及したら、救急車も激減して医師の労働問題も解決するのかもしれません。)

もし「治療が奏功しない・健康状態が改善しない原因の7割がコミュニケーションの不備」であるなら、僕らが知識や技術を磨いて「診療の質を上げる」ことに…18秒で話を切って3分で診療を終えて医学的に正しい診断に至ることに…果たしてどれだけの意味があるのでしょう。僕らはもっともっと「傾聴」「共感」「承認」のコミュニケーションスキルを磨くことに注力を注ぐべきなのかもしれません。

妻だって、自分が風邪だろうくらいは見当がついていたはずです。答えなんて分かっていた。でもそれを伝えたかった。それは「よく話を聞いて(傾聴)、『それは辛かったね』と言って(共感)、『でも大丈夫だよ』と言って(承認)ほしかった」のでしょう。それもわからずに「手早く診断して『大したことない』で終わらせてしまう夫…」なんてひどい奴なんでしょう!妻からすれば、打首獄門の刑に処したい気分だったかもしれません(;_;)。そして、いまでも多くの患者さんがこうした悲しい気持ちを押し殺して、作り笑いで診察室を後にしているのかも。。

僕は10年前の妻の一言から、今になってやっと様々なことを勉強させられたのです。…やはり医療って奥が深いですね〜。

でもこんな考え方、今の医療現場ではまだまだ突飛かもしれませんけどね(^_^;)

皆さんはどう思われるでしょうか。


注:この記事は投げ銭形式です。
  いつもみなさまの共感から勇気をいただき、
  生きる糧にさせて頂いております。
  


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夕張に育ててもらった医師・医療経済ジャーナリスト。元夕張市立診療所院長として財政破綻・病院閉鎖の前後の夕張を研究。医局所属経験無し。医療は貧富の差なく誰にでも公平に提供されるべき「社会的共通資本」である!が信念なので基本的に情報は無償提供します。(サポートは大歓迎!^^)