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【地域包括ケアシステムとは?】相模原障害者殺傷事件… それでもなお、地域と「ごちゃ混ぜ」を進める佛子園の思い。


施設セキュリティー強化への違和感



2016年、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」にて、入所していた19名の方々の命が奪われるというとても痛ましい事件が起きたのは、まだ記憶に新しいところだと思います。

犠牲となった19名の方々に心より哀悼の意を表するとともに、被害にあわれた方々の順調な回復をお祈り致します。

さて、事件に対するマスコミの喧騒が過ぎ去って久しい今、僕の周囲でにわかに聞こえ始めたのは、


「あのような痛ましい事件を起こさないために施設の鍵を厳重に」


また、


「どうやってセキュリティーを強化するか」


というような話です。


この手の話になんとなく違和感を感じていた僕は、先日訪れた石川県金沢市の『佛子園』で、その違和感の意味を知ることとなりました。


今回は僕の経験も含めて、そのお話をしようと思います。



佛子園の様子



これまで僕が見聞きしてきた障害者施設。それらはたいてい郊外だったり、もしくは山の上だったり、少し人里から離れたところに建てられていました。もちろん鍵も掛けられているところが多く、どちらかと言うと一般社会から隔絶されたような印象です。


では、僕が『佛子園』で撮ってきた動画を御覧ください。


佛子園・行善寺の様子(筆者撮影)



この動画に映っているのは一体何なのでしょう。


この動画の施設も立派な障害者施設です。

事実、大きな声を出しちゃう方もいました。それでも、ここには、今まで僕が見てきたような『一般的な施設に見られがちな閉鎖的空間』は全くありません。まさしく『ごちゃ混ぜ』です。


この動画に映っている子どもたちは、みんな近所の子供達。子どもたちは勝手に敷地内に入ってきて好き放題遊んでいます。

施設内には誰でも自由に入れる温泉(ご近所さんは無料!)もあり、その掃除などは近所の方々と障害者の方々が共同で行っているのです。

↑ 佛子園(行善寺)の温泉には各家庭の札が。入浴時は裏にする。



鍵のかかった閉鎖空間のイメージが強い一般的な障害者施設と、こちらの『ごちゃ混ぜ』佛子園の障害者施設。両者の違いは一体何なのでしょう。



リスクはゼロを目指すものでなく上手にマネージメントするもの。




こんな話をしていると、

「そんなことして、子どもたちに危害があったらどうするの?」

とか、

「そんなに開放していたら相模原事件のようなことにならないの?」

とか、そんな意見が出てくると思います。


でも僕は、佛子園で遊ぶ子どもたちを見てこう思いました。


「リスクはゼロを目指すものでなく、リスクに伴う不利益(と裏にある利益)を考慮して上手にマネージメントするものなんじゃないかな〜」


と。


だって、自動車は年間4000人もの日本人の命を奪っている。我々はなぜそんな恐ろしいものに乗っているのでしょうか?それは、そのリスク以上に、自動車があることで得られる利益を日本社会の全員が感じているからでしょう。


また、病院や施設では「リスクを限りなくゼロに!」と求められることがあります。


しかしその結果…転倒を恐れるあまり高齢患者さんは歩行を禁止され、車椅子に乗せられる…足腰が弱くなり寝たきりになる…。


そんな例を多く見ていると、余計に

「リスクはゼロを目指すものでなく、リスクに伴う不利益(と裏にある利益)を考慮して上手にマネージメントするものなんじゃないかな〜」

とも思えてきます。


特に最近は公園のジャングルジムやブランコなどの遊具も、事故を危惧して撤去される傾向にあると聞きます。

もちろん危険もあるけど、それによって学ぶことも多くあるはずなのに…

子供にとって社会にとって、どんな利益があるのか、不利益があるのか…

もしそんな本質的な議論がなされる前に、「事なかれ主義」的に物事が進んでいくようなことがあるなら、それは悲しいことかもしれません。

 



「施設の壁を壊す」=「ごちゃ混ぜ」のメリット




「じゃ、施設と地域を『ごちゃ混ぜ』にして何かメリットがあるの?」


そんな疑問も出てくると思います。



佛子園の理事長・雄谷さんの講演にはこんな話がありました。


「『ごちゃ混ぜ』の施設で、首が15度しか動かない重度障害の方の食事を、認知症のお婆ちゃんが何気なく手伝いだしたら、ふたりともどんどん元気になっていきました。お婆ちゃんの徘徊も減ったんです。」


 普通なら障害者介護の現場と高齢者介護の現場が『ごちゃ混ぜ』になることはまずありません。


しかし、その壁を取り払っただけで、『共に歩む』力が自然に湧いてきたのなら…

もしそうなら、それはとても素晴らしいことだと思います。



実は、我が家には自閉症スペクトラムの子が居ます。

彼は普通の小学校に通っているのですが…よく学校で問題を起こしてくれます。

パニックになって怪我をさせてしまった子の家へ謝罪の電話をしたり、親子3人で菓子折りを持って謝りに行ったり…

小学校にあがってからは、大体1年に数回そんなことがあります。

その都度家族で落ち込みます(普通の小学校は無理かな…って)


でも先日ほんのささいなことですが、嬉しいこともありました。

僕がちょっと学校帰りのお迎えに遅れた時、近所のお兄ちゃんが、誰に頼まれるでなく彼と手を繋いで二人で歩いて帰ってくれていたのです。

怪獣やらミニカーやら脈絡のない彼の話にも、その都度

「へ〜そうなんだ〜」

と相づちを打ちながら。二人でゆっくり歩いているその姿を見て、僕は何だか涙が出てきちゃって、そのまま隠れて彼らをやり過ごしてしまいました。


 『お互いがお互いの違いを認識しつつ共に歩む』


それを、彼らは自然にやっていたのです。


壁を高くしてセキュリティーを強化するのとはまた別の世界の温かさを、学校帰りの二人から教わったような気がします。




社会はどこへ… Security? or Social Inclusion?




『防音もセキュリティーもしっかりしていて、でもその分隣の人が何をしているのか分からない。隣人との障壁が高くプライバシーが保たれている代わりに、人と人との接点もない。』


そんな都会的な世界をよしとする方も多いでしょう。


一方、離島や僻地は全く逆の世界です。隣人同士がどんな人で何をしているか全部知っている。鍵をかけることも滅多にない。

「3丁目の夕日」とか「寅さん」の世界観が未だに健在。でも、その代わり都会的な世界に比べてプライバシーは保たれにくいでしょう。


でも…ちょっと想像してみてください。

もしあなたが泥棒の立場だったら、どちらの世界の方が仕事をしやすいでしょうか…?

見知らぬ人がちょっと怪しい動きをしたらすぐに誰かが気づく社会、人と人がつながっている世界では…もしかしたら意外にも、人と人との『絆』というセキュリティーシステムが働くのかもしれません。


そう、佛子園は、障害者施設と一般社会との壁を極限まで低くして、障害者の方々も地域住民も、みんなが「ごちゃまぜ」となる社会を作り、そこには当然人と人との『絆』が生まれ、だからこそみんなが『共に歩む』事ができて、笑顔になれる。

そして(それが目的ではないのに実は)意外にもセキュリティーも保たれている。そんなことなのではないかな、と思いました。


事実、佛子園(西園寺)の地区は、地域の人と人とのつながりの居心地の良さが噂を呼んで、世帯数が55から71世帯に増えているそうです。これは人口減少が叫ばれる地方都市において、稀有な事例ではないでしょうか。


大人は「会社」

子供は「学校」

障害者は「施設」

高齢者は「老人ホーム」…


それぞれに壁を高くし、セキュリティーを強化し、分断された社会もいいのかもしれません。


でも実は、それにもまして、みんなでつながって『ごちゃ混ぜ』になる世界の方が、みんなが温かくなれるのかもしれない、笑顔が多いのかもしれない…


僕が感じていた、

「あのような痛ましい事件を起こさないために施設の鍵を厳重に」

という傾向への違和感は、こういうことだったのかもしれません。


学校帰りの二人の姿と、佛子園の『ごちゃ混ぜ』のみなさんから、僕はこんなことを教えられたような気がしました。


国をあげて取り組むべき『地域包括ケアシステム』とくに、『住み慣れた町で最期まで暮らす』と言う世界観は、もしかしたらこうした世界観なのかもしれません。



でも・・この僕の考え方、今の世の中ではちょっと突飛かもしれませんね(^_^;)

皆さんはどう思われるでしょうか。



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*なお、こちらの記事は拙著「医療経済の嘘(ポプラ社)」にも掲載されております。




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夕張に育ててもらった医師・医療経済ジャーナリスト。元夕張市立診療所院長として財政破綻・病院閉鎖の前後の夕張を研究。医局所属経験無し。医療は貧富の差なく誰にでも公平に提供されるべき「社会的共通資本」である!が信念なので基本的に情報は無償提供します。(サポートは大歓迎!^^)