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人類の「平均寿命」の延長に「病院医療」はどれだけ貢献したのか?



こんにちは森田です。


先日、ツイッターでこんなアンケートをやってみました。



ご回答いただきました多くの皆さま、ありがとうございました。

選択肢のところ、文字だとわかりにくいかもなので、簡単に図解するとこんなところ。



一番多いお答えは、③番目の「先進諸国では一律に平均寿命が伸びたが、病院・病床とは関係ない」でした。


では、気になる答えは?!


それがこちらです。




OECD諸国のデータをもとに作成したバブルチャート。
出展:https://data.oecd.org/healtheqt/hospital-beds.htm
   https://data.oecd.org/healthres/health-spending.htm
   https://app.flourish.studio/visualisation/285710/edit
作成:著者


横軸が人口当たり病床数。
縦軸が平均寿命。
バブルの大きさは医療費(対GDP比)です。

色別でいうと、オレンジが英独仏などのヨーロッパ諸国で、紫がアメリカなどの北米諸国。

もうおわかりでしょうか。このバブルチャート動画を見ると、米・英・仏・独・伊さらに北欧諸国まで、欧米先進国はほぼずべての国が過去50年で軒並み病院・病床を減らしていることがわかります。そして、それでも平均寿命はどんどん上がっている。

ということで、正解は④の

「病院・病床を減らしながらも平均寿命を伸ばしている」

でした。

正答率は22%。あなたはどうでしたか?
ファクトフルネス的に言うと、「チンパンジー以下の正答率」ですね(^_^;)

ま、例外として日・中・韓のアジア諸国のみですが「病床を増やしながら平均寿命を伸ばしている」国もあるので、まあ③の「病院・病床には関係ない」も正解かもしれませんが(これは選択肢の提示方法が悪かったと思います。反省して今後に活かします。)


あ、こんなこと言ってると、タイトルに書いた『人類の「平均寿命」の延長に「病院医療」はどれだけ貢献したのか?』について、病院医療は人類の寿命に貢献していない!という変な結論に至りそうな雰囲気ですが、個人的にはそうは思っていません。


その理由は2つ

■先進諸国が病床を減らしているのはここ50年の話。当然ながらそれより前に病院・病床を増やした時代があったからこそ今、減らせているわけですよね。かつて、結核やコレラ・チフスなどの感染症が人類の死因の多くの部分を占めていた時代、特に『抗生剤』による治療が開発されて以降は病院医療の存在価値は非常に大きかったと思います。その時代は、病院医療があったからこそ人類の平均寿命が伸びた、と言ってもいいのではないでしょうか。

■病院・病床が減っていることそれ自体は「医療の後退」を意味しているわけではありません。病床を減らしながらも、先進各国の医療がこの50年間で高度に発達して来た歴史は間違いなくあるわけですから。そういう意味ではタイトルの「人類に寿命に病院医療がどれだけ貢献したか」という問に対してこのバブルチャートは参考程度の答えしか提示してくれないかもしれません。


ただ、ではなぜ、先進各国は医療が高度化する一方で、それに矛盾するかのように病床を減らしていったのか?

日本の多くの人が思っている方向とまるで逆の方向に行っているこのデータは何を示しているのでしょうか?

実は、そもそも大昔の時代、抗生剤や外科手術などのいわゆる「近代医療」が出現する前、その時代の『病院』とは、貧困層・社会的弱者の救済機関という意味合いが強かったようです。事実、西欧では貴族などの富裕層はどんなに病態が悪くても病院に入院することはなかったそうで…まぁ、高度な医療機器や手術などがない時代は自宅でも病院でも行われる医療に差はなく(どちらかというと自宅に来る医師の方が優秀だったのかも)、富裕層は自宅に医師を呼ぶのが通常だったのでしょう。

翻って現在は、高度な医療機器と手術手技が活躍する時代。それらは『病院』という特殊な施設の中だけでしかその機能を発揮できません。もちろんそれらの効果は絶大で、病気になればだれもが当然に病院で行われる「高度医療」を望みます。

しかし、絶対数でその対象を俯瞰すると、貧困・社会的弱者層や、感染症患者が対象だった時代の入院患者がとても多かった(入院期間も長かった)のに対して、高度急性期医療を必要とする患者数は、医療の高度化による入院期間の短縮(ご存知のように現在は「日帰り」で終わってしまう手術も多く存在しています)の効用もあり、実は必要とされる病院・病床数がどんどん減っている。そういうことなのではないでしょうか。


このあたりのことは『病院の世紀の理論』(猪飼周平 著)をご参照ください(猪飼先生間違ってたらごめんなさい^_^;)



チョットこ難しい話になってしまいましたが……ひとつ、とてもわかりやすい国があります、それがスウェーデン(上記バブルチャートでは、「SWE」)。

バブルチャートをもう一回見てください。スウェーデン、1990年代になっていきなり、ものすごい勢いで病床を減らしていますね。

これをエーデル改革といいまして、その趣旨はこういうことです。

「1959年の病院法の中で、病院医療の充実と領域の拡大が謳われて以来、増加する病床需要を満たすべく、60年代に大量に病棟が建設され、またその大きな部分が慢性患者によって埋められていく。(中略)1991年、スウェーデンはエーデル改革と呼ばれる医療・保健福祉改革を断行した。(中略)改革の目的の1つは高齢者の社会的入院の解消だった。」

藤原瑠美著「ニルスの国の高齢者ケア〜エーデル改革から15年後のスウェーデン」より


まあ、僕流に解釈しますと…

「貧困・社会的弱者の救済や結核やコレラなど感染症と戦っていた時代は、その受け入れ先として機能していた病院・病床が大量に必要だったが、ワクチンと衛生環境の整備が進み、また抗生剤が登場したおかげで先進国では結核・コレラなどの多くの感染症は過去のものとなった。経済成長のおかげで貧困層も激減した。その代わりに急激に増加した高齢者、また精神・身体障害者など社会的弱者の受け入れ先として徐々に病床が埋まっていった。スウェーデンを始めとした先進諸国はそれを是とせず、『病院の機能』を『急性期治療』に限定し、病院・病床の数をしっかりコントロールしていった。」

ということなのではないかと思います。


ちなみにスウェーデンでは、病院で急性期治療が終わったと医師が判断したにもかかわらず退院後の生活先が確保できないなどの理由で入院が延長してしまった場合、その分の入院費は患者の居住地区の自治体が肩代わりしなければいけないそうです(介護や施設を整備するのは自治体の責任なので)。

だから、自治体は退院後の生活の場である「特別な住居(2LDKとかの広い介護つき高齢者住宅)」をたくさん作った。病院が減った代わりに「生活の場」が一気に整備されたということですね。

国が病院の機能を『急性期医療』に特化する、ってこういうことなんですね。



ではでは…世界最大の病床数を誇るわが日本。
日本の病院医療はどうなっているのでしょう?
病院はどれだけ『急性期医療』に特化されているのか?



それは、それがわかる表がこちら。



多く部分が療養・精神病床に割かれているのがわかります。しかも、一般病床でさえもその全てが高度急性期医療を提供するものかというと、決してそうでもなく、その中でも高齢者の社会的入院は多く存在しています。
「急性期医療」に特化して病床を減らしていった先進各国とは違う様相を呈していると言えるでしょう。


「いやいや、そんなに急に病院から追い出されても困る!」


とお思いの諸兄も多いと思います。

でも、それは退院後の「生活」を確保する責任が家族にあるから。スウェーデンでは、自宅に帰るなら訪問介護・看護・リハを整備する、施設に帰るならその空室探し、そこまで自治体が責任が責任をもってくれるとのこと。だから、困るのは自治体で、ご家族と御本人は、自分の希望を自治体に伝えればいいだけなのです。それなら安心ですよね。

いや、そもそも、日本では当たり前に思われているこの「治療は終わっても病院に置いておいてほしい」と思うその気持こそが、病院に「生活能力を失った社会的弱者の受け入れ先」の機能を期待していることの証左でもあるのかもしれません。


そして、ここが最も重要なのですが、病院というのは基本的に『治療の場』であって『生活の場』とは遠い世界。治療の効率をあげるため、また安全・安心が優先されるため、「安静指示」「絶食指示」などの医療的指示(というよりは絶対命令)が数多く下されます。
こうしてご高齢の方が長い間『生活』から切り離されると、どんどん生活環境に戻ることが難しくなってしまいます。


写真はイメージです。


これは介護施設でも同じことで、病院式の安全・安心の軍隊式管理体制を模倣した介護施設では、やはり高齢者の生き生きした生活が奪われてしまいます。

写真はイメージです。


先進諸国が「病院・病床を減らした」ということの意味は、実は多くの国民にもっと生き生きと生活を継続してもらうためのもので、つまり

『治療の場』から『生活の場』へ、のパラダイムシフト

そこにこそあるのではないでしょうか。


『平均寿命世界一』と同時に『寝たきり老人世界一』と揶揄される日本の高齢者医療の裏には、もしかしたらこういう歴史的・世界的背景があるのかもしれません。


ま、こうした僕の解釈は少し飛躍しているのかもしれませんが。。。
ただ、解釈は様々でいいとしても、冒頭のバブルチャートのデータは少なくとも確固として存在するわけですから、その部分はしっかり頭に入れた上で、日本の未来を語るべきなのかな、と僕は思います。間違った思い込みで未来を語られては、子どもたちが可愛そうですからね。

そう、それがファクトフルネス!

皆さんはどう思われるでしょうか。


あ、ちなみにうるさくファクトフルネス!と言っているのは、いま世界的に大ヒットしているこちらの書籍からの影響です。

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財政破綻・病院閉鎖・高齢化率日本一...様々な苦難に遭遇した夕張市民の軌跡の物語、夕張市立診療所の院長時代のエピソード、様々な奇跡的データ、などを一冊の本にしております。
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夕張に育ててもらった医師・医療経済ジャーナリスト。元夕張市立診療所院長として財政破綻・病院閉鎖の前後の夕張を研究。医局所属経験無し。医療は貧富の差なく誰にでも公平に提供されるべき「社会的共通資本」である!が信念なので基本的に情報は無償提供します。(サポートは大歓迎!^^)