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高齢者は医療・介護に『寄生』しているのか? 〜真の共生社会とは〜



「政治の世界でも医療・介護の世界でも、いま『共生』という言葉が頻繁に使われている。しかし、そこには大いなる『居心地の悪さ』がある」


これは、先日参加した井手英策・慶應義塾大学経済学部教授の講演会での井手氏自身の発言です。この発言は、僕にとってとてつもなく大きな衝撃でした。

なぜなら僕自身、「共生社会を作ろう!」など「共生」をキーワードにものを語ることが多々あり、いや僕だけでなく最近は医療・介護業界全体で「共生」という言葉が使われる傾向が強いからです。つまり、我々の業界全体が良かれと思って使っている『共生』という概念に対して井手氏は『居心地が悪い』と一蹴されたわけです…果たして、井手氏の発言の意図は何なのでしょうか。

氏曰く、

「共生には相利共生、片利共生、さらに『寄生』まであり、双方に利がある相利共生ならいいが、相手に利がない片利共生、また相手の負担になってしまうだけの寄生はどうなのか?」

と…。


『寄生…』


さらなる衝撃ワードが出てまいりました。…井手氏、恐るべし!!


…でもまぁ、たしかにそういう部分はあるかも…。『自分の専門性を磨いて相手に〇〇してあげる』という奉仕の精神は聞こえはいいものですが、でも、それが自分にとって利がないこと、本当はやりたくないし負担なんだけど我慢してやってあげていること、そうであるなら…少なくとも相手がそう感じているのなら…それは相利共生ではないでしょうし、『寄生』と言う関係性に陥っているのかもしれない…。

家族の介護疲れや介護職員の離職率の高さなどの問題の裏には、こうした負担感、我慢という側面もあるのかもしれません。

もし実態がそうした『寄生』の関係性であるにも関わらず、「共生社会」などと言う美しい言葉で見た目だけ飾り立てているのなら、そこに果たして意味はあるのか?

氏の発言は、そんな風に我々医療・介護業界を暗に批判したものだったのかもしれません。しかし僕も医療介護従事者の一人。やはり「寄生」という辛辣な言葉に対し大きな抵抗を感じざるを得ませんでした。

でも、その抵抗感も氏の次の発言によって一転したのです。


曰く

「だからこそ、相手を『寄生』に陥らせてしまいやすいサービスプロバイダー(医療・介護の提供者)で終わるのではなく、真の共生を生むようなソーシャルワーカー(みんながハッピーになれるよう地域の社会資源を横串として繋ぎ、動く人)になって欲しい」


と。


実は、氏のこの講演の前に「あおいけあ(神奈川県藤沢市の介護事業所)の事例発表会」が開催されており、そこで発表された4事例の全てがまさにその「サービスプロバイダーに終わらない、さらにその先のソーシャルワーカー」という事例だったのです。

たとえば認知症の方に対して食事や掃除、入浴などの日常生活をサポートしてあげる、これはサービスプロバイダーとしての仕事で当然クリアされるべき部分です。でも、あおいケアのスタッフはそこで止まらないわけです。『どうやったら認知症の方々と信頼関係を築けて、ここを居場所だと思ってもらえて、活き活きと過ごしてもらえるのか?』を考え、そのためにスタッフだけでなく、ご家族、さらにご近所さん達まで、みんなを横串として繋げながら行動していたんですね。

このお婆ちゃんは東北から関東にやってきて不安で、なかなかスタッフとも信頼関係が築けず、デイサービスにもきてくれない日々が続いていたのですが、デイサービスに来れないならその日は訪問介護に切り替えたりしながらだんだんデイにも来れるようになってきて、最初は徹底して拒否だった入浴も、だんだん出来るようになってきて、するともともと得意だったお料理もどんどんしてくれるようになってきて、スタッフも助かる。お婆ちゃんも喜ぶ。

…あれ?これってみんな喜んでるから、もう『寄生』じゃなくなってる!?

また別の事例発表は、認知症のお婆ちゃんとご家族とスタッフも一緒に、福島県まで2泊の里帰りをするという、笑いあり涙あり感動の珍道中。

…あれ?これって一般的に思われてる下のイラストのような『寄生(相手の負担になってしまうだけ)』の関係性ではないですよね。だってみんなが笑い合って楽しめてるんですから。




そんな事例が4例も発表されあとに、井手教授はこの発言をされたわけです。


しかし、医療・介護の現場においてこうした事例、『寄生』から抜け出せるような事例というものばかりではないことは言うまでもありません。認知症末期でこちらから喋りかけても何の反応もない方、脳梗塞その他で寝たきり、自分では寝返りも打てない方。そんな方々にとってお互いに利のある『共生』という概念は遥か彼方の遠い存在に思えても仕方がないところでしょう。医療の世界でもこれは同じで、例えば交通事故で死の淵に瀕している救急患者に対して、我々医師は全力で救命処置を行います。そこでは医師は完全なる「医療技術の提供者(サービスプロバイダー)」です。開胸して心臓マッサージしている医師の脳裏に「共生」や「ソーシャルワーク」の概念はまずないでしょう。

とはいえ、医療の世界がそのような救急医療・急性期医療の世界ばかりでもないことも事実です。救急や急性期医療などは主に総合病院(一般病床)の急性期医療で行われますが、それとは別に、回復期(リハビリ)病院・精神科病院・療養病院などの慢性期医療の世界もあります。これらの比率がどうなっているかと言えば、こう。

平成25年医療施設(動態)調査・病院報告の概況(厚労省)http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/iryosd/13/dl/gaikyo.pdf


僕がいる鹿児島県などは、半分以上が『一般病床以外』の慢性期医療の病床であることがわかります。しかも一般病床の全てが「開胸して心臓マッサージ」のような救急・急性期医療をやっているかと言うと全然そういうことはなく、高齢者施設からの肺炎の入院だったり、どちらかと言うと「共生」や「ソーシャルワーク」という概念も十分に馴染みそうな医療の世界も一般病床の中に数多く見られます。

さらに言えば、地域の医療は「病院」だけでなく「診療所」の世界もあり(病院勤務医は全国で約20万人、診療所勤務医は約10万人)、診療所の世界は、より「共生」や「ソーシャルワーク」の世界に近い医療と言えるでしょう。

つまり、医療の世界って、一般的な国民がイメージする「手術」とか「総合病院」とかのイメージにもまして、その多くは『慢性期医療』及び『地域密着型医療』の世界なんですね。テレビドラマとかの多くが「手術」とか「総合病院」の世界観なので、そう思うのも無理はないし、大学の医学教育でも「医療技術の提供者(サービスプロバイダー)」としての医師像しか教わらないので、医師の中でもそのイメージは根強いんですけどね。


考えてみれば、僕がいた夕張市で「財政破綻・病院閉鎖」をきっかけに起こったことって、まさに井手教授の言われた

「サービスプロバイダーに終わらない、さらにその先のソーシャルワーカー」


に医療従事者が変容していった過程だったような気もします。

村上先生・永森先生は、市内で171床の総合病院が19床になってしまった夕張市で、病床が減った代わりに訪問診療・訪問看護・訪問介護などの在宅医療・介護を展開したのですが、それは形式的な『地域医療システムの変更』という意味あいにもまして、医療従事者の意識が「病院で医療技術を提供するサービスプロバイダー」という意識から「みんながハッピーになれるよう地域の社会資源を横串として繋ぎ、動くソーシャルワーカー」という意識にに変わっていった過程だったようにも思えるのです。(そこが理解できなかった大半の職員は辞めていって大変だったのですが、、 -。-;  )

その代表格が、「夕張のおっかさん」横田看護師(2012年ナースオブ・ザ・イヤー入賞)で、彼女は看護師として病棟で医療技術を提供するだけでなく、地域の中にどんどん入っていって「暮らしの保健室」を開いたりして、行政や病院や地域の人々など、まさに地域の様々な資源に横串を通してつないでいくんですね。そして地域の人間関係の醸成を通じてみんながハッピーになるわけです。


その結果、夕張市全体の救急出動が半減して、医療費も減った、ということだと思います。

この辺は話すと長くなるのでこちらを御覧ください↓




つまり、何がいいたいのかというと、

実は医療の現場の多くは「急性期医療」にもまして「慢性期医療・地域密着型医療」の世界観になっていて、そこで本当に求められているのは「医療技術の提供者(サービスプロバイダー)」にもまして「地域の中でみんながハッピーになれるよう地域の社会資源を横串として繋ぎ、動くソーシャルワーカー」でもあるんだよ。

そうなってこそ、本当の「共生社会」に近づくのではないかな?


ということです。

僕が好きなこのイラストも、多分そういうことを言っているのではないかと思います。

イラストの左の方、つまり医療・介護を提供するだけの「サービズプロバイダー」として存在する医療従事者と市民の関係性は「寄生」を生む土壌になりかねないんだよ。とデヴィッド・ワーナー氏は言いたかったのかもしれません。

もしかしたら、タイトルの画像

のような高齢者が生き生きとしていない光景(高齢者医療の現場では毎日のように目にします)も、「サービズプロバイダー」としてだけ存在する介護従事者の為せる業かもしれないし、

またこちらのグラフ、

出展:財政制度等審議会 財政制度分科会 議事要旨等 平成30年10月30日 資料2
https://www.mof.go.jp/about_mof/councils/fiscal_system_council/sub-of_fiscal_system/proceedings/material/zaiseia301030/02.pdf


有病率に差はないのに、県民一人あたりの入院医療費が県によって約2倍も違う(そしてそれが県の病床数とほぼ相関関係にある)というこの厳然たる事実も、もしかしたら「サービズプロバイダー」としてだけ存在する医療従事者の為せる業かもしれません。


まあ、最近は先進的な医師の世界では

「社会的処方」


とか

「白衣を脱いで街に出よう」


などと言われることも多いので、そういう意味ではそちら側の世界観が広まってきているのかもしれませんけどね。そう願いたいところです!


というわけで、今回はそんなことを気づかせてくれた井手教授に感謝です。ありがとうございました!m(_ _)m。



ちなみに、井手教授の持論「増税を許容し、Life=命や生活を守る教育・医療などのベーシックサービスは公平に(無料に!)という先生の政策論などについては、こちらをお読みください。(ちなみに僕は全面的に大賛成です!)

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ぼくの本

財政破綻・病院閉鎖・高齢化率日本一...様々な苦難に遭遇した夕張市民の軌跡の物語、夕張市立診療所の院長時代のエピソード、様々な奇跡的データ、などを一冊の本にしております。
日本の明るい未来を考える上で多くの皆さんに知っておいてほしいことを凝縮しておりますので、是非お読みいただけますと幸いです。



注:この記事は投げ銭形式です。
  いつも投げ銭で勇気を頂いております。ありがとうございますm(_ _)m
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夕張に育ててもらった医師・医療経済ジャーナリスト。元夕張市立診療所院長として財政破綻・病院閉鎖の前後の夕張を研究。医局所属経験無し。医療は貧富の差なく誰にでも公平に提供されるべき「社会的共通資本」である!が信念なので基本的に情報は無償提供します。(サポートは大歓迎!^^)