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勉強は船長であるあなたを助ける、強力なナビゲーションだ

伸び続ける平均寿命

リンダ・グラットン著「LIFE SHIFT」や政府の人生100年時代構想会議などで認知されるようになってきた「人生100年時代」というキーワード。


2017年の簡易生命表によると、日本人の平均寿命は男性81.09歳、女性87.26歳。ちなみに平成元年(1989年)当時の日本人の平均寿命は男性75.91歳、女性81.77歳。ざっくり30年で8歳くらい寿命が伸びているんですね。

僕は今年40歳でして、100-40で残りは60年。上記の数字からざっくり8歳*2=16歳くらい平均寿命が伸びるのかもしれないと考えると、男性81+16=97歳・・!? 実際医療の発達によってもっと伸びるのかもしれないし、そこまではいかないのかもしれない。
それはわかりませんが、日本人の平均寿命が今後も伸び続けて、特に女性は「人生100年時代」になる確率は高そうに思います。
僕には娘がいるんですが、彼女は2100年代まで生きるのかもしれません。2100年代、22世紀ですよ。彼女が息を引き取るとき、どんな世の中になってるんでしょう。

逆に昔に遡ると、縄文時代の日本人の平均寿命は30歳代、(乳幼児死亡率がとてつもなく高いのでそれも含めると14歳程度らしい)そこから1,000年以上経過した江戸時代に入ってもまだ40歳代、と長い年月の間、日本人の寿命は今の半分以下でした。それが平均で100年も生きられるようになるというのは、ここ数十年での変化がいかに大きいかが分かります。


ポジティブに聞こえない「人生100年時代」

しかしこの「人生100年時代」という言葉、寿命が伸びるわけですからもっとポジティブに捉えられてもいいような気がしますが、あまり明るいイメージの文脈で使われていないように感じます。

なぜなら人生100年時代に突入するなかで直面するのはさらなる少子高齢化。増大する医療費や社会保険料、逼迫するであろう年金問題・・。
「私100歳まで生きることになるんだ・・」
「死ぬまで働かなければいけなくなる・・」
悲壮感すら漂います。

これがもし、平均寿命が伸びて、肉体的に若い時間が増大するということなら、夢のある話ですよね。
しかし現実的には、身体的成長は10代から20代あたりで止まってしまうのは昔と変わらず、そこからの80年は身体的には現状維持からゆるやかな衰退と向き合いながら生きていくこととなります。
少子高齢化が進むので、65歳以上の子が65歳以上の親を介護する「老老介護」や老老介護の中でも認知症患者が認知症患者を介護する「認認介護」は今後大きな社会問題になっていくはずです。

うーん、こう書いていても重いですね・・。少子高齢化の進行は国の存続に関わる重大な問題だと思います。


でも、実際には、我々はどんどん生活しやすく豊かになってるんですよね。そのあたりはベストセラーにもなっている「FACTFULNESS」に詳しいです。 

個人の時代になると言われて、実際そうなっています。僕が子供のころにはなかったインターネット回線が世界中に張り巡らされ、スマホというデバイスが個人に行き渡り、誰もが発信できる手段をもった。世界の距離も縮まる一方です。すごく便利な世の中になりました。ネットが無かったときの社会って、いったい皆どうやって仕事していたんだろうと思います。


これからは、なにを勉強すればいいのか

僕が運営している会員制のコミュニティ型勉強スペースである「勉強カフェ」ですが、創業した10年前は、「勉強≒資格」でした。実際、税理士や社労士といった資格に合格し、士業として独立開業するために勉強している方が本当に多かったです。

10年経った今はどうでしょうか?
資格取得や試験への合格は勉強する目的として設定しやすいですし、さまざまな資格の勉強をしている人ももちろん多いです。ですが、独立開業のために勉強している人は少数派になりました。資格取得→独立開業→それで生活していくというフローが今は見えにくいからだと思います。ここに将来はAIもさらに絡んできます。

ここ10年での勉強のトレンドとしては、英語を中心とした語学の学習の方はやはり増えましたし、最近はやはりプログラミングの勉強をしている方も目立ちます。リカレント教育、学び直しという言葉も聞かれるようになってきており、今後勉強する大人の数は増えていくと思います。

ですが今僕が感じるのは、そもそも何を勉強すれば良いのかが見えにくくなってきたように感じます。一昔前は選択肢が少なかった分わかりやすかった。今は選択肢が増えたのですが、なにが自分にとって正解かはわからない中、模索する動きが出ているように感じます。

人生100年時代というけれど、自分は何歳まで何の仕事をするのか。
会社に入って、ずっと同じ会社でジョブローテーションしながらキャリアを積んでいく時代はとうに過ぎているわけですが、では自分はどうするか。
働き方も多様化しています。サラリーマンでいくか独立開業するかの二択ではなくなりました。複業といっても自分には何が出来るか。何がしたいのか。

もっと言えば、サラリーマンの定年は伸びる一方ですが、そもそも働き続ける必要があるのかどうかもはっきりしません。
コンピュータやAIが発達し、そしていつしか指数関数的に高度化して人間を超える技術的特異点であるシンギュラリティーを迎えたら?

シンギュラリティーの到来は2045年だとか言われていますが、あと26年ですよ。そこまで遠い未来ではない。SF的世界観が現実になるときが近づいていると考えるとワクワクします。

何を勉強するかよりも、どうあるか

仮にこれからもどんどん生活が便利になって、もしかしたら仕事やお金を稼ぐ必要もなくなって、寿命は伸びたその時、人は何をするのでしょうか。遊んで暮らすのを選ぶのでしょうか。

それこそ色々になるんだと思います。これは、メディアの変遷にも似ています。一昔前は家族で一台のテレビを囲んでいました。親が見ているニュース番組を見ながらする会話がありました。個人に最適化された今は、同じものを皆が見に行くということ自体がなくなりました。

100年って結構長いです。自分で選択ができる世の中になる。余計なことはしなくてよくなる。そうなると人間は、自分は何者なのか、自分は自分の人生をどう在りたいのか考えるようになるのではないかと思います。

世界に広がっている瞑想、マインドフルネスも「今、ここ」に意識をフォーカスする行為。

僕が以前一年間通ったBBT大学のリーダーシップアクションプログラムでも、BEの探求、つまり「てか、おまえどうしたいの?」の模索にプログラムの半分を割くものでした。


僕は将来、思考して行動することが勉強の中心になると思います。なぜなら、考える行為は人間の脳が持つ特徴だから。思考することは人間の機能として最後まで残るはず。そして、段々と勉強の概念が変わるのだと思います。今はまだ勉強というと、若いうちにするもの、机に向かってするものという考えが主流ですが、もっと対象が広がり、もっと我々にとって身近なものになる。要は、なんでも勉強だよね、と。

学校教育も今後大きく変わっていくのだと思います。知識をいれることや記憶することはあまり意味をなさなくなるはずです。機械が代替できます。出口である大学受験が変われば、子どもたちの学習カリキュラムも変わり、時代に合った能力を向上させることになるのでしょう。

問題は、すでに社会に出てしまっている大人です。すでに学校を出ているので改めて教えてくれる先生はいません。勉強の仕方をみずからアップデートする必要があります。

そしてもうひとつ、寿命が伸びる中で間違いないと思うのは、長く健康であることの重要度が増すことです。

長い人生を元気に生きるために何ができるかへの関心、具体的には、人間が口から食べ物を入れ、身体を動かすことで活動し、寝ることでエネルギーを回復させるのが変わらなければ、食事や栄養、運動、睡眠、そしてそれらをコントロールする脳への関心は増すはずです。(例えばドラゴンボールで悟空やベジータが使ってた体力回復マシンのようなものが実用化されれば睡眠する必要から開放されたりとか、いずれはこれらも代替されるようになると思いますが、さすがにもう少し時間はかかるはず、たぶん)

勉強することは、海図を持つこと

自分はどうありたいのか。そしてそれを実現するためには何を学び、どうやって学び続けるか。それは自分の人生を生きるということに繋がります。学ぶ誰もが自分の人生のステアリングを自分で切れる選択肢を持てる社会って豊かさがあるなと思います。

202X年、あなたは船に乗っています。船長です。いつまでにどこにいくかは自由です。行きたいところが見つかってそこに最速で向かってもいいし、どこかに寄港してもいい。あてもなくのんびり航海するのもいい。

先を見渡すと、どうやら少し霧がかかってきています。この先は見通しが悪そうです。気象予報では嵐がくるかもしれないと言っていました。ひょっとしたら先に海賊が潜んでいるかもしれません。

あなただったら、どんな船旅にしますか?

そんな時代において、勉強は船長であるあなたを助ける、強力なナビゲーションになります。勉強することによって航海の選択肢はどんどん増えていくでしょう。勉強することは今よりもグッと身近なことになり、時にあなたを助け、寄り添ってくれるパートナーになるでしょう。

こうして自分の生き方を追求するために学び続けることを、船旅になぞらえて考える「LEARNING VOYAGE」。これから求められるであろう学びに関する考察を発信していきます。