よい移民

ニケシュ・シュクラ 編、栢木清吾 訳
『よい移民 現代イギリスを生きる21人の物語』(創元社)

「私たちが(中略)人びとの意識の中の一線を越えて「よい移民」になるまで、社会は私たちを「わるい移民」−−仕事泥棒、福祉手当にたかるやつら、ガールフレンドを盗む連中、難民−−とみなしてくる。」

本書に綴られているのは、イギリスで生まれた移民2世・3世である21名の言葉。ある人は作家であり、またある人はクリエイター。英国社会で「活躍」する、「著名」な人びとだ。


偏見、差別。暴力、格差。
ただ肌の色が違う、「有色人」であるというだけで受ける、批判的な態度と、非難の眼差し。

彼らの文章には、それに対する戸惑いや怒り、不安や悲しみがありありと描かれている。

なぜ白人以外の人びとは、常に誰かの目を意識し、「白人と同じだけのことができる」ことを証明し、イメージを払拭するために「よく」あろうとしなくてはいけないのだろうか。

そしてその振る舞いの結果、得られるものとは?

本書の末尾〈感謝知らずの国〉には、次のような一節がある。


「私たちがここで生まれたとしても、未だにゲストとして見られており、私たちが社会的に受け入れられるのは、私たちの行動が最上のものである場合のみとされているようなのだ。」


「よい」移民とはつまり、誰かにとって「都合のよい」移民ということではないだろうか?

だとしたら、それはとても哀しく、恐ろしいことだ。

そしてこれは何もイギリスに限った話ではない。


アメリカを始め、世界中で自国第一主義の風が吹き荒れ、移民排斥を掲げる政党がその勢力を伸ばしている。

自分たちとそれ以外、味方と敵に分断し、利益をもたらすものや従うものは仲間に引き入れ、そうでない場合には攻撃し、身内の中で相手への憎悪を煽る。

日本の国内で行われていること−−それは政治であったり、労働問題であったり、女性の権利に関することであったり−−もそう。

そして今まさに韓国との間で生じている問題も、根は同じことだ。隣国を攻撃することで溜飲を下げる人びとの支持を得るため、この国の政府はまるで幼稚な言動を繰り返している。


ヘイトスピーチ、入管での非人道的な行い、外国人留学生が置かれる劣悪な環境。

来年にはオリンピック・パラリンピックが開催される「文明国」とは到底思えないような、悲惨な状況。

そんな国にいて、私たちには一体何ができるだろうか。
あまりの絶望感に、「うんざり」する気持ちになるのもわかる。

ただ少なくとも、「嫌なら帰れ」という下劣な物言いに対して、はっきりとNOを突きつけること。

そしてそんな思考の持ち主を退場させること。

一度に全てを変えるのは難しくとも、少しずつ動かすことはできるはず。

私たちが守らねばならないのは、空っぽの「国」よりも、その場所で暮らす血の通った人間だ。

そこに肌の色、生まれた場所は関係ない。

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