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人生のあらすじ(中学生編3)

また間が空いちゃいました。すみません!
今回は中3編です!!幼稚園編からあるのでみてください。

中学3年生。人生を左右する1年。ラストイヤーは次のステップに向けて、決断しなければならない年。

中学3年生になり関東リーグが開幕。開幕3試合で1分2敗といつも通りの出だしの悪さ。3試合目で連敗ストップしたのでそれは例年よりは少しポジティブだった。そのタイミングでスペイン遠征。

スペインのMICという大会に出場しました。トーナメントでPK戦で自分が外して負け。しかもこの遠征で2回、3回PKを外した。これにより中学3年が終わるまでPKは蹴らなかった。


他には片道4時間かけてレバンテと練習試合をしたり自分の小さな時からの1番好きなバルセロナのホームスタジアム「カンプノウ」に行ったり、「サクラダファミリア」にいったりした。

帰ってきて、関東リーグ。中学3年になると、修学旅行だったり、体育祭だったり、最後の行事が増えてくる。自分は、全部サッカー優先だった。体育祭は開会式に出て、徒競走を走って試合に向かったり、修学旅行は1日目が試合で休み、2日目から合流したりしていた。行事優先にしていいとスタッフに言われたけど、自分は断然サッカー優先だった。これは中3限定の事じゃないし、今までの人生で土日の行事に出れた記憶はあんまりない。それでも後悔は全くないし、人生やり直せたとしてもサッカーを選ぶと思う。それくらいサッカーが好きだし、サッカー中心で生きてきた。多分現役の間はずっとサッカー中心の生活をすると思う。結果的には12チーム中5位で残留争いからは抜け出せた。

そして、2つの全国大会がある。

  クラブユース   高円宮杯

クラブユースでは、予選は死のグループと呼ばれていた。北信越1位の長岡JYFC。晴山岬(町田ゼルビア)や谷内田哲平(京都サンガ)がいた。次に九州1位のソレッソ熊本。松岡大起(サガン鳥栖)がいた。最後に東海一位の清水エスパルス。結果的にはこの年三冠の代。(春のプレミアカップ、夏のクラブユース、冬の高円宮杯)このグループで2勝1敗で通過。決勝トーナメント第1戦はガンバ大阪。エスパルスに勝ったことにより、勢いに乗っていたしチームに一体感が出ていた。結果3-1で勝利。トーナメント2回戦は、名古屋グランパス。自分は熱で欠場したけどPKで勝利。3戦目は、JFAアカデミー。ここで3-4で負けて敗退。本当に悔しかったし、出れてない選手だったり来れてない仲間に本当に申し訳なかった。

高円宮杯は最初からトーナメント。本当にみんなでやれる最後の大会。一回戦、愛媛FCとやり、勝利。二回戦はセレッソ大阪。世代別の代表がいて、やったことはないけど、本当に強かった。ほとんどセレッソペースでの試合だった。かずのスーパーセーブの連発だった。そして0-0でPK戦。自分はスペイン遠征以降PKを蹴っていなかったし自信がなかったから蹴らなかった。結果、負けてしまった。ここだけは本当に今でもなんで蹴らなかったんだろうって後悔している。自分が蹴れば勝ってたとかそーゆー気持ちじゃなくて、単純にそこで蹴れない自分のメンタルの弱さだったりFWでありキャプテンマークを巻いている身として情けないなと今でも思ってる。悔しい。

こんな2つの全国大会があり、クラブユースではまおとかずとメニコンカップに選ばれる事ができた。


そして、中学3年では昇格するかどうかの面談がある。自分は昇格と言われたけれど、とても厳しい評価だった。俺、昇格って言われたよね?って思うくらい厳しかった。その評価でなんで上がるんだろうとも思ったけど、絶対上げたことを後悔させないようにしようと思ったし、絶対その評価を覆してやろうという気持ちになった。今思えばあの厳しい言葉が無ければ、ここまでレベルアップできなかったんだろうなって思います。今のレベルに全く満足してないけど、あの厳しい言葉によって、謙虚にひたむきに3年間取り組めたと思います。そして、これからも忘れず、絶対にプロサッカー選手になりたいと思います。コツコツが勝つコツ。

これが自分の中3です。正直戻りたいです。本当に毎日楽しかった。昇格などが伝えられた時、上がる組と落ちる組で分かれちゃう難しい時期もあったけど、エスパルス戦に勝ち、全員で水たまりにだいぶして喜び合ったあの瞬間が自分は1番思い出に残ってます。あのメンバーでもう一回サッカーしたい。


長くまとまらない文ですが読んでいただきありがとうございました!!次は高校生編です!!楽しみにしててください!!