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日常的になっている部分の大切さ

関西に滞在して4日目。

"最果てのオアシス"がコンセプトのHOTEL SHE, KYOTO。
最高にかわいかったのと、ゴルゴンゾーラアイスがめっちゃおいしかった。

わかめの時期とかぶっててレセプションに行けなくて泣いてたから、今回泊まれてよかった。

ひたすら京都をふらついてました。
歩いた距離で言ったら、たぶん5キロくらいはあるかもしれない。

電車とかバスって、実家に戻ったり旅先だと必然的に乗るようになるけど、普段の生活は完全に車移動なので、公共交通機関に全く乗らないとその能力って退化するんだなって実感する。

たとえば、時刻表を見間違えるとか。
電車の急行と各停を間違えるとか。
乗り換えがうまくできないとか。

この"たとえ"は私だけなのかもしれないけど、別の物事でも同じことが言えるよね。

当たり前のようにやっていたことが、日常的に接しないだけで当たり前のようにできなくなっていく。

"あたり前"ってほんとはあたり前じゃないことに気がついて、"日常的"になっている部分をもっと大切に。

電車に乗ったり歩いたりしながら、そんなことを思いました。
まとまりがないけど、そんな感じ。

神奈川県に戻ってきたんだけど、関西が好きすぎるのでもう戻りたくなってる。関西に拠点ほしい気持ちになりました。

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