特異だからこその、いまがある
1年くらい前にこういうnoteを書いたんだけど、今日は微妙に違う話。
私のような女性が海で働いているというのは特異な事例らしく、「どうやって牡蠣の仕事に就いたんですかー?」と聞かれることがあるんだけど、毎回「めっちゃ運がよかったから」と答えている。
てか、正直それしか答えられない。
私は最初から「漁師になりたい」という願望を持ち合わせてたわけじゃないし、雇い先の漁師さんを見つける、というものをやっていないのだ。
私の場合、縁と運が重なったから。
海に浮かんでたら、するすると流れてたどり着いた、という感じ。
これが、最強に幸運だったのかもしれない。
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縁の流れとすれば、こんな感じ。
たまたま学生の頃に震災ボランティアのためにゼミで陸前高田に来ていて、たまたまゼミで入っていた大きな仮設住宅の自治会長さんと仮設を自治するNPOの理事が漁師親子さんだった。
先生とNPOをやってる息子漁師さんが仲良しで、ゼミや学祭での震災講演会、卒業式に漁師さんに来てもらったりして、ゼミとの交流があった。
たまたま大学卒業式後に漁師親子さんのところで「わかめの人手が足りない」という話があって、その頃どん底で絶望してた私にゼミの先生らの勧めで1ヶ月アルバイトに行った。
1ヶ月間のアルバイト後、海の仕事が楽しかったから「もっと働かせてください」と話して即おっけーをもらって、実家に戻って1週間後にはまた陸前高田に帰ってきた。
たまたまだけど、雇い主さんたち3人(父、兄、弟)がそれぞれの生産者として共同経営をしていることで漁業規模が大きくて、通年雇用ができる環境だった。
これが1番の幸運。じゃなかったら、いままで働き続けることはできなかったかもしれない。
(養殖業種にもよるけど、通年で仕事があって雇用ができる漁師さんは限られてる)
スーツケースひとつで高田に戻って、住み着いて働きはじめて、なんだかんだと現在に至る。
思い返してみて、最後のほうはなんか突拍子もない。(いまだったらやれないわ……。)
たぶん、全部の縁がちょうどよく重なったんだと思う。
こればかりはもう縁と運がぴったりと合ったんだな、としか言いようがない。
人生って、なにがあるかわからないね。
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よく、うちの会長はお客さんが来たときに私の紹介をすると、「この人ね、ほんとすごい人なの。東京の大学を卒業してうちで働きたいって来て、超々レアケースな人なの。」みたいな感じのことを笑顔で話してくれるんだけど。
毎度レアケースって説明されるってことはやっぱり私は特異な存在ってことでいいのかもしれない。
事例的な意味でこんな人もいるんだな〜〜って思ってもらえればいいけど、「どうして働けたの?」となると私の就業例はあまり参考にならない気がしているのですが、どうだろう?
自分がそう思うだけで、これって参考になったりするのかな?
コメントいただけたら幸いです。
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