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おじさんができるまで③

おじさんだよ。
今回はおじさんの身の上話最終回。大学を卒業したおじさんのその後から、おじさんがおじさんを名乗るに至るまでを、語っていくよ。

おじさんは眼鏡屋さんに就職。大学時代にパチンコ屋で長くアルバイトをしていて接客経験があったこと、その上技術職なので大学で学んだことも少しは活きるだろう、と思ってのことです。
おじさんは入社当初、かなり自暴自棄になっていたので、仕事を頑張る気など当然皆無。
帰ってから最近買ったDJ機材を弄ったり小説を書くことに生活の比重を置いていましたので、仕事は怒られない程度にこなせば良い……と思っていました。
ただ、おじさんが計算違いをしていたのは……販売職が、あまりにもおじさんの性に合っていたことです。
おじさんはあっという間に仕事にのめり込んでいました。
アートや勉強、お母さんのご機嫌取り……今までしてきた様々な努力とは違って、仕事、特に販売には、分かりやすく努力への対価があるからです。
頑張れば頑張るだけ、お客さんがおじさんの仕事に対価を払ってくれる。笑顔で感謝してくれる人もいる。
それが楽しくて、嬉しかった。

眼鏡業界には、半医半商という言葉がありますが。文字通り、半分医療。商売ではありますが、同時にお客さんの目の健康を守るお仕事でもあります。
だからこそ来るお客さんの殆どは、健康に密接な不便、不安を抱えて来店する訳で。何度も失敗した結果それを分かってからは、なるべくお客さんに誠実であることを心掛けるようになりました。
嘘は言わない。間違えたら誤魔化さずすぐに謝る。お客さんが何を不便に思っているか、主訴を忘れないようにする。
様々なお客さんに触れるうち、おじさんは少しずつ、まともな感性、正常な判断を取り戻しつつありました。

最初の店舗では何人かの同期、数ヶ月下の後輩と一緒に働いていましたが、副店長が癇癪持ちですぐに怒鳴り散らすタイプの人間で、更には都内有数の販売実績を誇る忙しい店舗だったものですから……まあ人間関係はギクシャクした場所でした。
同期は次々辞めていきました。1人になってしまったおじさんも仕事を楽しいと思う一方で、休憩室では一言も先輩方と話さないような状態。
しかも初めての後輩指導を任されたおじさんは厳しく当たりすぎて後輩を辞めさせてしまう始末。
ますます居づらくなってしまったおじさんを見かねた当時の店長が、恐らく根回ししたのでしょう。おじさんは入社から半年で異動になり、現在の店舗で、2人の大人との出会いを果たします。

おじさんが店長と呼ぶ人は2人。まず最初に異動先でお世話になったT店長。そしてT店長が異動になった後お世話になっているH店長です。

T店長は、一言で言うと、化け物。
今は一児の父でありますが、昔はその甘いルックス(今は結婚生活で激太りしていますが、確かに顔立ちはイケメンの面影がある)と高い背、何より飛び抜けた人たらしの性格で女の子を次々落とし、社内で次々浮気を繰り返していた、いわば超プレイボーイ。
更には虚言癖が酷く、それに振り回されることも多々ありましたが……
ただ、やはり、販売で強いのは人に好かれる人間。T店長指名のお客さんは山ほど居ました。

T店長はおじさんによく暇な時、「○○は分かる?」と眼鏡に関する基礎問題を出してきました。「俺がイチから仕事を教え直す」と、久しぶりに来た新人相手に張り切っていたのです。
でも最初は、そんなT店長に、エリート店舗から小規模店舗に来た新人が気に食わなくてキツく当たっているのか、と不信感さえ抱いていました。
でも、結果的に、忙しい店舗で振り回されて基礎が全く出来ていなかったおじさんを叩き直したのはT店長。

人から何かを教わる、という行為に対する恐怖心は、T店長のおかげで少しずつ溶けていきました。
T店長は何かを間違っても怒りません。
怒るどころか、苛ついている姿すら見たことがありません。
そして、何かを達成する度にめいっぱい褒めてくれます。「やっぱり君は賢いなあ」「覚えるのが早い」「ウチの自慢の新人だ」と。
その日々感謝を忘れない態度は、おじさんに対してだけでなく、社歴20年の大ベテランのKさんにも、K店長の10歳年上の中途社員のYさんにも、更にはT店長の同期で飲み友達のIさんにも、平等にそうでした。
「あなたがいるおかげで助かっているよ」と、毎日のようにT店長は皆に言うのです。


これは、社会に入って痛感しましたが。
学校は基本的に子供に囲まれてやっていく場所で、会社は大人に囲まれてやっていく場所。
会社は学校に比べ周囲の人間が成熟しているぶん、こちらもやりやすいことが多いのです。
T店長がうっかり忘れた仕事の尻拭いを皆でしたり、Kさんが起こしたクレームをおじさんが引き受けたり、S先輩はうっかり屋なので、何度も遅刻したり勤務中に細かいミスを繰り返したり。
でも、そういう、何かをミスをした大人も、虚言癖だの浮気野郎だのアル中だの、おじさんの数百倍ダメ人間な大人も、普通に働くことを、普通に皆のコミュニケーションに混ざることを許されている。
それは、おじさんにとって酷く衝撃的な体験でした。
1度のミスが命取りになることなど、まず社会の中では有り得ないことなのだ、と。
おじさんは少しずつ、社会の「普通」を、学んでいきました。


そんなT店長の異動が、ある日突然決まりました。
昇進に伴い、T店長はここより大きな店舗の店長を任されることになったのです。
おじさんは……いえ、おじさんだけでなく、店舗メンバー全員が不安に満ちていたように思います。

というのも、おじさんは運良く店舗に恵まれましたが、この会社はブラックもいいところ。
社長に逆らった人が左遷させられただの、突然押しかけてきた偉い人がめちゃくちゃに怒鳴り散らしていっただの、ワクチンハラスメントで同期が次々辞めていたりだの。
上層部の無茶振りに現場で働く販売員は日々振り回されていました。そういう上からの圧力から、おじさん達を守っていてくれたのはT店長。
店舗によってはサービス残業の嵐だったりと、同期から嫌な噂は山ほど聞かされていましたから。
店長が変わることで大変なことになるかもしれない、と不安だったおじさんたちに、後任の店長が決まった報告が入りました。
後任は2駅隣の店舗で5年間店長を務めていた、H店長だ、と。

それを聞いた先輩方はほっと一息、「あの人ならまあいいか」と漏らしていました。
おじさんがH店長はどんな人なのか聞くと返ってきた情報は。
・高田純次みたいな感じ。結構適当。
・基本的にはすごく優しい。
・補聴器にめちゃくちゃ詳しく、東京で1番補聴器を売っていたこともある凄い人。
とのこと。
同じタイミングで異動になった大ベテランのKさんは、こう言っていました。
「人によって合う合わないはある人だと思いますよ。僕は嫌いじゃないですけどね。」
実際会ってみると……まさにその通りの言葉の人間でした。

初対面を未だによく覚えています。
おじさんは補聴器対応が当時全く出来なかったのですが、おじさん1人しか居ない時に補聴器のお客さんが来てしまい……補聴器のお客さんは当然耳が悪いので、上手くコミュニケーションが取れず困っていたのです。
そこに首からSONYのヘッドホンをぶら下げた、何だかちょっとお洒落な雰囲気のサブカルおじさんが突然ズカズカ割り込んできました。
その人はおじさんに「俺がやろうか?」とニヤニヤ半笑いで耳打ちしてきました。
異動先が決まったH店長が、奇跡的なタイミングで、たまたま挨拶しにこちらに寄ってくれたのです。
あ、この人がHさんか!と理解したおじさんは自店舗の補聴器の設備を案内し、私服のH店長はそのまま接客に。

ただ、おじさんは少々不安でした。相手のお客さんは、所謂「T店長信者」。T店長が異動になった際は必ず電話するようにとデータに書かれていて、来店する時は必ずT店長指名で、その他のスタッフの言葉には耳も貸さない……ちょっと偏屈なおばあちゃんだったからです。
しかしH店長は全く臆することなく、にこやかに私服のまま接客。お客さんは最初こそ突然割り込んできた私服の男にキツい態度を取っていましたが、H店長が名刺を差し出し、ニコニコと、
「今度からT店長に変わって、僕があなたの補聴器調整を担当する者です。」
と、繰り返すうち、態度が段々と変わっていき……最後はあの偏屈なおばあちゃんがニコニコと笑って帰っていきました。
す、すげーー!!!と、おじさんは心底H店長に尊敬の念を抱いたのを覚えています。


ただ、働いてみると、H店長のダメなところは山ほど見えてきました。
仕事が適当。よく遅刻する。言葉がぶっきらぼうでキツい。面倒臭がり。うっかりミスが多く忘れっぽい。(発注ミス、納期遅れを多発したためH店長は眼鏡の発注機械に触るのを禁じられています。)行動力はあるが思い付きで行動しがちでおじさんたちはよく振り回されます。
おじさんは何度か(1番下っ端のくせに)H店長に「いい加減にしろ」とキレ散らかしたことがあります。
人によって合う合わないはある……というKさんの言葉を痛感。T店長に守られてばかりだったおじさんは、自分の頭で指示を考えることを身に付けました。良くも悪くも。

ただ、人としては嫌いじゃない。むしろ好きな部類です。あの人は本当によく人を見ています。
H店長は、私がT店長に甘やかされまくっていたことも、このままでは将来他店でやっていけないことも……おじさんがお客さんや上司に、妙に怯えがちなのも、異動してすぐに見抜いていたように思います。

H店長は、しょっちゅうおじさんをわざと崖から突き落とすような真似をします。
「やれるだろ」と突然難しい接客にぶち込まれたり。眼鏡の展示会のイベントに連れ出して、仕入れの仕事を教えて任せてくれたり。他店への挨拶におじさんを連れて行ってくれたり。
おじさんが泣き言を言う度「ウケるわー」と言って、笑いながら後ろに引っ込んでしまいます。
でもなんとか仕事をこなすと、「ほら、やれば出来ただろ」と笑って、お菓子を買ってきてくれます。
そういう、本当に出来ることかどうかの、ラインの見極めが上手い人です。

H店長が「大丈夫」と言うときは大体大丈夫なのです。最初こそ喧嘩しまくりましたが、今は仲良し。店長を信用しています。

同じくT店長に振り回され仲間のYさんも、似たような経験をしているようで。
「人には良いところと悪いところがあって、でもほんのちょっと良いところが勝るから、悪いところを許してあげられる。そういう関係がこれからも沢山築けるといいですよね。」
と、優しく笑っていました。
その言葉がそのまま、おじさんがこの社会で学んだことだと思います。
おじさんは、人の話をあまり聞かないところはあるけれど、しっかりしていて優しい最年長(1番年上だけど社歴はおじさんとほぼ一緒の新人さん)Yさんも、
うっかり屋だけど細かい店舗運営の仕事をよくこなしてくれる、ニチアサオタク仲間のS先輩も、
クールで怒ると怖い(客とも喧嘩します……)けど実は気配り屋でよく助けてくれる大ベテランのGさんも、みんなのことが大好きです。

ただ、H店長の厳しさも、多分T店長が優しくしてくれた期間がなければきっと受け入れられなかったから。
そして前の店舗で精神不安定になっていたおじさんを今の店舗に逃がしてくれた人がいて。
入社して出会った色々な人に、今は感謝の気持ちでいっぱいです。

そうして少しずつ成長したおじさんに、つい先日異動の声がかかりました。
間もなく、1年半を過ごした、この店舗を去ることになりそうです。
でも、前ほど不安じゃありません。それは間違いなく今まで出会った沢山の人のおかげです。


さて、おじさんの人生の軌跡はこんなものですが。
このnoteのタイトルは「おじさんができるまで」なので。
最後に、おじさんがおじさんを名乗るに至った経緯を語ろうかと思います。
おじさんは「Twitter2」という、にゃるらさんという方が作ったdiscordサーバーで、所謂ネナベをしていました。
Twitter2は荒らしによってなくなってしまい、今はそこで交流があった方々のサーバーや、新しく出来たにゃるらさんのサーバーにおじゃまして、楽しく過ごしています。

そもそも何故、「おじさん」を名乗ったかというと……これは完全に愉快犯です。

Twitter2のコンセプトは、優しいサーバー。昨今の「ちくちくした」Twitterに疲れた人が集まり、新しいTwitter、「Twitter2」を作ろう、というコンセプトでした。
おじさんはまさしく、今のTwitterに疲れていた人間の1人で、その思想に同意してサーバーに入りました。

インターネットに昔程の面白さを見い出せずにいたんです。Twitterは特に。
何処を見回しても、毎日誰かが何かに怒っていて。でも、インターネットが無いのは不安だから、フォローしている人が政治の話をした瞬間ミュートして遮断したりしていました。

そんなおじさんが、Twitter2のコンセプトに惹かれて。
初めてdiscordに入ったおじさんは、初めての環境でせっかくだから面白いことがしたいと、ある種コンテンツになるような(この表現が正しいか分かりませんが。ミーム的な、の方が近いのかな?)キャラクターを考えました。

それが、「おじさん」。
自分の中に、ちょっとへんてこで、ちょっと気持ち悪い、でもちょっと優しい、おじさんのキャラクターを作りました。
挨拶は「おじさんだよー」で。
ハゲを気にしていて、何故か「おじさんはみんなのもの」を自称する気持ち悪いおじさん。
……とか。
いつの間にか「あ、おじさんだ」と呼んで貰えることも増えて。正直自分ではバレバレのネナベだと思っていましたが、それでも楽しく振舞っていました。

でも、Twitter2で交流があった人達が、Twitterのスペースを使って声の交流を始めたことがあり。
楽しそうで羨ましいなーと思ったおじさんは、かなり迷った末にスペースに「おじさんだよー」と名乗って入り込み。
その場に居た皆にびっくりされました。今思い出すと懐かしい。

ネナベをバラしてしまった今、おじさんが「おじさん」として完璧に振る舞うことはなくなり、それが少し勿体ない気持ちはあります。
あのインターネットはおじさんにとって唯一無二でした。それはTwitter2が爆散した以前に、おじさんがおじさんの正体をバラした時点でなくなってしまったのですが。
でも、結果的には、声の交流が始まったことでより仲良くなった人たちと色々サーバーで催しをしたり、オフで遊ぶこともあったりして。
まあ、よかったのかな、と思っています。
天秤にかけて考えるようなことでもないのですが、適当にネナベに飽きた頃にまたすっと消えて、浅い人間関係を作り続けるインターネット人生よりは、きっと、よかったのです。

おじさんが「何かをやろう」と言うとすぐに乗ってくれるサーバーの人達とか、沢山お世話になった職場の人、東京に逃げるにあたって助けて貰った人、大学で苦しい4年間を共にした友達……きっと両親にも。
おじさんは、ありがとうを、自分の気持ちを、なるべくその場で伝えることを心掛けるようになりました。
いつ伝えられなくなるか分からない、焦りがあるからこそ……という、後ろ向きな理由ではあるのですが。おじさんは未だに、両親に青森へ呼び戻されることに怯え続けているから。
でも、それを続けていったら、いつかは、両親にも本当の気持ちを言えるんじゃないか、と。
その練習のつもりで、今は頑張っています。

「おじさんができるまで」はこれで終わり。
これ以降は何か思ったことがあった時に、のんびり動くnoteになります。またよかったら読んでね。
ではでは、ここまで読んでくれた皆さん、本当にありがとうございました。

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