見出し画像

日記 アスペルガーと診断されました

おじさんだよ。

おじさんは一年前ほどからメンタルクリニックに通い、お薬を貰い始めました。

元々具体的な症状として自覚していたのは、とにかく不安になりやすいこと。
怒られた時に過度に萎縮してしまったり。少しでも自分に害を及ぼすと感じたことに過剰な防御や攻撃をしてしまったり。
今でもそういう過剰不安が仕事や日常生活で悪影響を及ぼし、軋轢を生む事も、珍しくない。


今でも人の手料理を食べたりとか、ラーメン屋の狭いカウンター席に座る事とか。混んだ映画館でじっとスクリーンを見ることとか。古着が嫌いだとか、他にも沢山。
小さなきっかけで苦手と断じたことや、やってもいないのに苦手そうと偏見を持ったことをするのに極度の恐怖心があります。

だから、友達と遊んでいる時とかも、空気を読めずにあからさまに嫌そうな態度をして喧嘩になったり、嫌われることもしばしばで。
そんな自分が嫌になったり、もう喧嘩になるくらいなら誰とも関わりたくないと思ったり。

そういう状態が長年続いており、人と深い関係を持つことに抵抗感があるものですから、学生時代は一定距離以上に他人を心に入れないのが当たり前になっていました。
当時の友達なんか一人も居ません。こちらが遠ざけたのだから当たり前だけど。

ただ勿論、そんなおじさんでも、今は長い吟味を重ねた結果それなりに気を許している相手は存在して。
そういう人たちは、おじさんのことを大切にしてくれます。おじさんは、まだ、人を上手く大切にできないのに、大切にしてくれます。


元々は、皆に平等に優しくする振る舞いを身につけられたら、自分も傷付くことは少なくなるだろう、という臆病な打算がありました。

ありのままの気持ちで行動すると、どうやら自分は人よりも他人を傷つけやすいらしい。
自分の恐怖心で人を振り回すのは、だめだ、と。

おじさんが「自分の意思」みたいに思っているものは、かなり自分勝手な我儘で、あまり人からよく思われないものなんだな、と高校生くらいでなんとなく分かったので。
だから、なるべく当たり障りのない善良な振る舞いみたいなものを、自分なりに研究して、実践してみました。

その結果出来た友達は、おじさんの内面を知ろうとしてくれる…というか、多分「振る舞い」とやらは、自分では成功してるつもりだったけれど、全然上手くいっていなかったみたいで。
恥ずかしい話ですが、人と関わる為の努力をしたことを認めてもらえたってだけのことで、我儘な本質は頑張っても結局微塵も隠せなかった。

それでも、こんな自分のことを好きになってくれる変な人が沢山居て。
そして、その人たちは皆口を揃えて、「貴方の生きづらさが改善されてほしい」と言います。
「この生きづらさは病なのではないか」と、思い立ったのも、そんな人たちのおかげで、だからこそ、自分が生きづらく、人とうまく関われない状態が続いているのは、不誠実なのかも、と思ったのです。

自分を大切にしてくれる人は大切にしたい。
それがしたいのに、うまくできない状態は治療が必要なのではないか。
医者から治療が必要なのか一度判断してもらう必要があるのではないか。
そしておじさんはメンタルクリニックを受診しました。

貰ったのはアルプラゾラム(抗不安薬)と睡眠薬。今は抗うつ剤ももらっています。
確かに、不安が起きたときに、お薬を飲むとふっと不安から目を逸らせます。
仕事は以前より落ち着いてできるようになりましたし、酷い時は12時に布団に入って朝5時まで寝付けなかったような入眠の酷さは改善しました。

通って一年。
心療内科に対して思っていた「予約が肝心な時に取れない」とか「通っているのがばれたら偏見を持たれるんじゃないか」みたいな心配していたことは、現実には無かったです。
お薬頼りの生活で、必要以上に飲んで足りなくなって焦ったりするのは最近の悩みですが。

そして、一年通った結果どうやらこの過剰不安や恐怖心は、アスペルガー由来の「こだわりが強すぎる性格」に起因するらしい、と最近診断を受け、分かりました。

アスペルガーに根本治療なんかありません。というか、治療、という言葉も適切でないみたい。
どうやらこの重たい生きづらさは一生抱えて、うまく向き合っていかないといけないみたいです。
ただ、この年になるともう、性格なのか病なのか性質なのか、なんて、相当曖昧になってしまうもので。

今はとにかく、出来ることをしながら、自分を大切にしてくれる人たちを、うまく大切に出来るようになりたいと、そんな夢の為に頑張ろうと思っています。

もう睡眠薬飲んで眠くなりながら書いてるので、大概ごちゃごちゃな文だったら、すみません。

おやすみなさい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?