「さよならテレビ」が凄すぎた

「東海テレビ/さよならテレビ」について落ち着いて書こうと思う。以降ネタバレを含みます。

9月に東海テレビで放送されたこの番組は、昨今奇跡的なまでに良作を生み出しつづけている東海テレビのドキュメンタリー制作スタッフによっ作られた(色々なチームがあるのだが)。

ディレクターの土方宏史さんは今後絶対に作ることができない映画と言われた「ヤクザと憲法」の監督だ。「ヤクザと憲法」では実際の組事務所に長期密着、組長と組員たち、そして弁護士、警察までを撮りまくり、そのある種の眼福のある撮れ高によって、結末ありきのドキュメンタリーではない圧倒的な現実を我々に伝えてくれた。

そんな土方ディレクターが、今回は自らも帰属するテレビという業界、また所属する東海テレビという組織に密着した。舞台は名古屋市の片隅にある東海テレビと、その半径数キロメートルの世界。とてもとても狭い世界である。しかし「さよならテレビ」は、そんな狭い世界を舞台にしても、これほどに魅力的な映像作品をつくることができるということを証明している。何故ならば、そこにいる人間を撮れているからだ。関係を撮れているからだ。

と、有り体なドキュメント論を書きそうになるほどに、私はこの作品に騙されてしまった。この作品はドキュメントであるが、実はミステリーなのである。そしてそのことに気づかせない巧さが、エンターテイメント性が、最大の魅力である。

3人の登場人物。ひとりは中堅男性アナウンサー。彼はあるトラウマを抱えている。そのせいでアナウンサーとしての自らの限界に苦悩している。それは6年前の放送事故。あってはならないテロップが出た番組のメインキャスターが彼であった。もちろん彼のミスではない。ただ、「テレビ局の顔」として位置づけられるアナウンサーという仕事のリスク、怖さが彼には身に染みている。周りのスタッフはそんな彼に愚痴を言う。「出役なのになんで尺を欲しがらないのか」。彼は自分が分かっていることしか言わないのだ。しかしそんな彼の思いを知ってか知らずか、報道部長から「お前を売り出していきたいと思う」と引き上げられはじめる。

ふたり目の登場人物は記者として転職を繰り返してきた外部スタッフであるベテラン報道マン。彼にはジャーナリストとしての矜持がある。しかしそれが今までのキャリアの中で結実したことがないという苦しみを抱えながらも、どこかニヒルで一匹狼を気取っている。彼は取材中のあるネタに熱意を持っていた。これは伝えねばならないことだという正義を掲げ、そうしない他のメディアを権力の監視という機能を果たしていないとまで言う。しかし、彼の正義は行き詰まる。至極簡単に行き詰まる。

そして最後の登場人物は24歳の新人ディレクター。彼は東海テレビの報道部の人員不足に、制作会社から派遣されてきていたのだが、若さゆえのおぼつかなさに生来のキャラクターも相まって、ミスを繰り返しては強面の上司たちから日々叱責を受ける。そんな彼には当然焦りがあった。焦りゆえにあることを引き起こしてしまう。

こう書き並べるだけでも、それぞれの人間を撮れていると改めて思う。他にも、この作品の撮影を止めさせようとする上司、視聴率と残業削減という矛盾を指示する元々はドキュメンタリー畑だったはずの部長、出役にツッコミつづけるサブ調整室の人たち、VTRを見ているときのスイッチの入っていない女性アナウンサーなど、このまま映画にして誰をキャスティングしようかと考えたくなる程に映画的に多士済済な人間が撮れている。しかも自社の人間が撮っているのだ。このことの凄味は計り知れない。

と、先ほど止めたはずの有り体なドキュメント論をまた書きそうになるほどに、私はこの作品に騙されつづけた。

「ドキュメンタリーって現実ですか?そこにカメラがあるのに現実なんですか?」

この台詞は劇中序盤にある人物が土方ディレクターに投げ込むものである。しかし土方ディレクターはこの質問を無視する。ここで気がつくべきであった。だが私も、中盤以降の密度が濃い展開とカメラマンの撮る画のクオリティのせいで、再びそれがカメラで撮られているものだということを忘れていってしまったのだ。もっと言えばそれが「テレビ」であるということを忘れてしまっていくのである。その背景には冒頭にも書いた「東海テレビのドキュメンタリー」という金看板が私の目を曇らせていたということもあると思う。この作品はそこすら利用している。

つまり、私がこの作品をミステリーであると言ったのは、どこまでが現実かということが分からなくなるからなのである。またそう意図して作られているからなのだ。

前半の編集や演出は映画的な見事なセンスしか感じられないのに、後半にどう考えてもわざとらしいある意味で巧くない演出シーンが散見されるのだが、見終わった今、ここが本当に「巧い」と唸ってしまう。後半、わざとらしさで視聴者に一度距離を置くわけである。テレビへの嫌悪感を抱かせるのだ。そしてそれは3人の登場人物たちの土方ディレクターに対する態度の変容としても同じ時間帯に現れてくる。皆が一様に土方ディレクターに対して距離を置きはじめるのだ。そのしつこさに、その山っ気に、その上から目線に、温度差はあれど苛立ちを見せはじめる。視聴者もここで初めてディレクター側ではなく、被写体側に共感する。

「何を撮りたいんだ、何を言わせたいんだ」

その転換させる構成が秀逸で、まさに「何を撮りたいんだ、何を言わせたいんだ」と苛立ったときに気がつくのだ。この作品はそういうことだったのかと。

冒頭でディレクターは言う。これから撮影する社員たちに向けて「テレビの今を撮りたい。マスゴミとか言われてるテレビの今を撮りたい」と企画説明をする。だが、撮りたいテレビというのは被写体(組織や社員)のことではなかったのだ。テレビ的な撮り方をすることで今のテレビを映し出すという宣言だったと考えれば、つまり「さよならテレビ」におけるテレビとは、本作のディレクターのことだったのである。

しかし、そう気がついた瞬間には、エンドロールがはじまっていた。どこまでも切れ味の鋭い90分間。

「カメラを止めるな!!」も「クレイジーリッチ」も「若おかみは小学生!」も今年は面白い映画がたくさんあったけれど、間違いなく、私の中ではエンターテイメントとしても今年度No.1である。

#コラム #テレビ

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