作詞家としての小室哲哉

小室哲哉はプロデューサー、作曲家、または演奏者としての評価が先に立つが、私は作詞家としての小室哲哉がもっと語られてもいいのではないかと常々思っているのだ。
※作詞家としての売上枚数で見ても秋元康、阿久悠、松本隆につづく歴代4位である。

彼がプロデュースしたアーティストが売れまくっていた90年代半ばは、日本はバブル崩壊後の経済的価値観の変容が起こりはじめていて、加えて阪神大震災やオウム真理教、神戸幼児連続殺傷事件など、未だその衝撃が残り続けている出来事たちが世間を揺るがしていた。

そんな中、本格的にプロデュース業をはじめていた小室哲哉は若い女性アーティストたちにひどく曖昧(に見える)メッセージを歌わせつづけた。

「二十歳やそこらで 人生のモチベーション 身についたら シラケるだけだし」

「鏡に映ったあなたと2人 情けないようで たくましくもある」

「街中でいる場所なんて どこにもない 体中から 愛が溢れていた」

「こんなに夜が 長いものとは 思ってもみない程 さみしい」

「ときには誰かと比べたい 私の方が 幸せだって」

一様には言えないが、過剰な悲愴感を感傷的な(日本語すら破綻するほど感傷的な)言い回しで伝えるというのが、作詞家小室哲哉の真骨頂だったように思う。しかしそこで描写される具体性はあまりなく、聞いていて脳裏に情景が浮かぶということはないから、どうにも曖昧なメッセージに映るのだ。だから、彼は突出したメロディメーカーとしての才能に隠れがちな「作詞家としての才能」を評価されづらかったのだ。

しかし、空気のようにあるのかないのか分からない時代の感覚という曖昧さを、その曖昧な歌詞で見事に掬い取っていたのが小室哲哉であったと私は思う。

たとえば、現代の大作詞家のひとりである桜井和寿が同時期(1997)に発表したミスター・チルドレン「es~Theme of es」にはこんな歌詞がある。「何が起こってもヘンじゃない そんな時代さ 覚悟は出来てる」。冒頭で述べた世間の混乱にかなりストレートに力強く物申しているし、またそうしたアーティストの姿勢の方が比較的容易に伝わりやすく、勇気づけるものだとは思う。

一方の小室哲哉はそのあたりをなんとなく避けていた「作詞家」だったように思う。その代わりかどうかは分からないが、上記のミスチルのシングルの前年、彼はそんな時代にあってglobe「is this love?」(1996)でKEIKOにこう歌わせている。

「やさしさだけじゃ生きていけない でもやさしい人が好きなの」

こう比べると「小室哲哉は世間にコミットメントしようとしていなかったのでは」と非マッチョ系だとも考えられがちだが、そうではない。影響力を自覚している表現者として他者との関わりは排除しようとしても排除できるものではない。ただし、彼の場合コミットメントしようとしたのが世間そのものではなく、そこで生きているだろう名も知らぬひとりの少女であったのだと思う。

そう思い調べてみると昨年本人もインタビューで「僕はひとりの女性の全く見えない孤独を歌詞にしてきたつもりです。胸を撫で下ろしたとき、ふとひとりになったとき、そういう部分はみんな持っていると思います。なるべく自覚して自立しているんだけど、けっこうキツイなというギリギリの女性像をどこかで書きたかったんです。(中略)“貫きたいけど揺らぐ”“揺らいでいるけど貫く”みたいな、行ったり来たりの感情の揺れを書いてきました。みんなそこの葛藤と共に生きている。そういう生活をしていることを伝えたかったんです。」と自身の歌詞について答えている。

勝手なイメージだが、小室哲哉の歌は当時流行りはじめたブルセラショップに自分の制服を売る、また援助交際でプラダの鞄を買ったりするという現象そのものではなく、そういうことをするかもしれないという可能性と同じ感覚で、ある意味軽やかに恋をしたり夢を見たりしている少女の毎日にとてもよく似合う(このイメージには当時私自身が田舎の高校生で東京的なものをまとめて見ていたという個人的なノスタルジーが作用してはいるが)。しかし逆に言えば世間を揺るがすような大事件には似合わないのだ。

つまり、いっしょに立ち向かうのではなく、また叱責するのではなく、ただただ寄り添う者として「『二十歳やそこらで 人生のモチベーション 身についたら シラケるだけだし』ね。でもマジで『鏡に映ったあなたと2人 情けないようで たくましくもある』よ、絶対ー。『街中でいる場所なんて どこにもない 体中から 愛が溢れていた』んだよね、分かるよー。たしかに『こんなに夜が 長いものとは 思ってもみない程 さみしい』よねー。『ときには誰かと比べたい 私の方が 幸せだって』思わなきゃやってられないよね。」と、まるで深夜の長電話の相手のように一見すると薬にも毒にもならないようなことを、それでもずっとずっと話しつづけてくれる相手だったのだ思う。

小室哲哉の歌詞はアジテーションでもなく、説教でもなく、「繋がっているよ」という、たとえるなら当時はまだなかったSNSのような、嘘っぽいけれど手放せない希望のようなものだったのではないだろうか。

大きな事件や特定の個人に世相などないのだ。ほんとうの世相、言い換えれば空気のようにあるのかないのか分からない曖昧な時代の感覚は、その時代を生きる一人ひとりにしかない。

そしてそんな曖昧さでしか繋がることのできない部分と小室哲哉はたしかに繋がっていた。それは奇跡のような作業だと思う。

彼とのタッグで最も成功をおさめたと言える安室奈美恵が、自身の身内にとてもツラく悲惨な事件が起こったあと、わずか12日後の歌番組収録でプロとして涙を見せずに歌った「RESPECT the POWER OF LOVE」にはこんな究極の小室節がある。

「どうして こんなただ 前に進まなきゃならない?」

そして彼女は後日「あの当時、歌う曲が『RESPECT the POWER OF LOVE』で本当によかった。歌っていて自分も元気になれた。もし他の曲なら泣いて歌えなかったかも」と語ったという。

アーティストの実人生、つまりは安室奈美恵の「ひとりの少女の部分」にとっても、ただ寄り添う者としての歌詞を結果的に提供していたのだ。やはり小室哲哉は「作詞家という才能」を含めての稀代のプロデューサーなのである。

#コラム #音楽 #小室哲哉

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