2017年も祇園は祇園

土曜日に放送されたNHKスペシャル「祇園 女たちの物語」は制作されていることを知ってから、ずっと楽しみしていた。

祇園を4Kで映し出して(我が家ではハイビジョンでしか見られなかったけれど)、そこに生きる女たちの覚悟や悲しさを半年かけて追いかけたドキュメンタリー。私などが講釈をたれる前に、再放送が明日火曜日の深夜にあるとのことなので未見で興味のある方は録画をお勧めする。そして、拙文が表現などし切れないのは承知の上で、ネタバレを避けたい方は下記は読まないようにお願いしたい。

番組が主に追いかける対象は創業200年の祇園屈指のお茶屋であるという「富美代」の八代目女将。女将になって40年以上、今年で77歳になる女将は、祇園中の女性たちから「お母さん」と呼ばれ慕われている。馴染みの客は政財界の大物から俳優、文化人に至るまで幅広く、古い写真に三船敏郎や川端康成と笑顔で映る彼女は、まさに私などが想像するお茶屋の女将そのものだった。

彼女のおもてなしのモットーは「お客さまは愛しい恋人だと思う」こと。そのモットーだけを聞くと、祇園でなくても、それこそ花街でなくとも、夜の繁華街であれば耳にしそうなものだけれど、「富美代」の女将の宿命を知るとまた別の意味を持ってくるのだ。そう、「富美代」には女将に関する鉄の家訓がある。

その一、長女と生まれたものは女将の跡を継がなければならない。その二、継いだものは生涯結婚することは許されない。その三、娘を産み女将の跡を継がさねばならない。

つまり、この時代にあって職業選択の自由がなく、結婚をしてはならず、さらに未婚のままで子どもを産むこと、または養子を迎えることが定められているのだ。その宿命を生きる女将のモットーが「お客さまは愛しい恋人」なのである。もちろん、突き詰めればそんな家訓には何の法的効力はないわけで、破ったところで誰が何を責めるものではない。しかし一方では、そんな無茶苦茶なルールを真剣に、人生をかけて守っている人たちがいるからこそ、祇園は私たちが思う祇園、つまり日本人が見てもあまりに過剰に日本的な文化としてありつづけているのも事実なのである。

祇園に生きる人たちは祇園のことを祇園町と呼ぶという。確かに呼び方を変えたくなるほど、外側から見たときのこの街と内側を生きるときのこの街は違うのである。

番組は冒頭ではそんな異世界に足を踏み入れる男や女を映し出していく。大企業の社長たちが50歳近くも歳の離れた芸妓たちと酒を酌み交わし会話をしたり、お寺の庭を貸し切って夜桜を観に行ったりする。またそんな芸妓たちは、仕事終わりにシャンパンを傾けながら、自分たちの結婚についての相談をしあっていたりするのだが(芸妓も祇園にいる間は結婚できない)、その会話の艶っぽさは作ろうと思っても作れない、過剰に継ぎ足しされたタレのような異世界ならでは味わいなのである。

そしてたった1キロメートル四方の花街、祇園の夜は今日も色濃く更けていく。

だが、そこまでであれば美しく祇園を映した番組で終わったであろう。NHKはその先へと入っていく。「富美代」の跡目問題についてである。

女将には32歳のときに産んだ長女がいた。今では45歳になり、自分の下で働いている。しかし、女将にするにはまだ何かが足りない。女将はそう感じているのである。一方で娘は母の「私ができなかったことをしてほしい」という思いから、20代のころにヨーロッパ留学をしており、そこでアートに傾倒した。そして今では祇園近くにアートスペースを経営して視覚的には祇園とは遠く離れた空間で自由を吸い込んで、不自由とも言える伝統の中に生まれた自分と何とかバランスを取っている(ように見える)。

私は映像というものの力を感じたわけだけれども、この母と娘の姿、というか差は語られなくてもカメラを通して伝わってくるのだ。母である女将の仕事ぶりは人生である。人生を感じる。しかし娘にとっては仕事なのである。その差を娘は「強さ」の違いだと言っていたが、その「強さ」の理由も番組は紐解いていく。このあたりからの盛り上がりは凄まじかった。

娘の父親は45年前の女将の客だった。4歳年下のその客と女将は激しい恋に落ちた。男は強く結婚を求めてきた。つまり家訓を破ることを求めてきた。先代や周囲の人間には猛烈に反対されたが、女将も男に応えたいと悶え、こんな家、燃えてしまえばいいと思った(その後本当に燃えたらしい)。そして、祇園ではなく恋を選ぶと決めたときに娘を身ごもった。しかし、ひとり病院で娘を産んだあと、先代が病室にやってきて言った。

「赤ん坊に跡を継がせるなら帰ってこい、そのつもりがないならふたりで出て行って」

母にこう言われる娘の気持ち、娘にこう言わなければならない母の気持ち。察することはできるが、決して理解はできない。それが祇園。それほどに異世界であるのだ。そしてひとときの夢を捨てた女将は娘とともに「富美代」に戻り、八代目となる。その春の都をどりを見て「ここが私の居場所なんだ」と言い聞かせる。

八代目の強さにはそうした理由がある。もちろん、その強さを作ったのはあまりに特別な環境である。誰もが自分に置き換えられるものではない。しかし、番組後半、視聴者は次第にその「強さ」の中にある普遍性を感じるのだ。それはシンプルに私の生きる道ということでしかないと。その道への強さであるのだと。

そんな生き方が密集しているからこそ、わずか1キロメートル四方の街が、たった100人程度の女性たちが、世界に対する日本のイメージの一部を(かなり大きな一部を)、代表しうるのかもしれない。覚悟の質量。それはハタから見れば、余りにも魅力的なのである。

番組は最後、女将が娘に9代目を継がす決意を発表して終わっていく。しかし、娘はそれに応えるモノローグで祇園を祇園と呼ぶ。祇園町とは呼ばないのである。意識してか無意識かは分からないし、真意は番組では触れられないが、番組にとっては実に象徴的なエンディングであった。きっとその「間」での、まさに葛藤を、ずっと続けてきては強くなってきた街なのだろうと見ている側は感じるのである。

内と外、昼と夜、制度と人間、浮き世とあの世。すべてのものには「間」があり、祇園という街は街ぐるみでその真理を体現している。私も幸運にも一度だけその末席のようなものを汚したことがあるが、10代の舞妓相手にその何者でもない存在感にあまりの役不足で恥ずかしくなった。

祇園、その街の「間」の底はあまりに深い。2017年にさえそう思えるのは、代々の祇園の女たちの戦いのお陰であり、有難いことではないだろうか。

番組はそう示唆して終わる。ここまで踏み込んだ番組ですら、示唆して終わる。いや、ここまで踏み込んだ番組だからこその誠実さだったのかもしれない。はっきりさせるは野暮である、と言わんばかりに。

#コラム

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