アイドルソングがある意味

アイドルとはそこにあるはずのない「偶像」をいかに「現出」させることができるかだ。

そのためには、彼女たちはなるべく透明な存在でなければならない。無個性ということではない。純粋ということでもない。

世の中に対して等身大に見えなければならないということだ。アイドルという特別な存在であるにも関わらず、である。

何故ならアイドルソングの良さは、その青臭さに他ならないからだ。

「夢」「希望」「愛」「涙」「未来」というような言葉たちが、恥かしげもなく出てきていいのがアイドルソングなのである。

「青臭さ」を「青臭い」と感じるのは現実を知っているからであって、現実が青臭くていいのであればそれに越したことはない。

しかし、現実にそんなことはあり得ない。つまり、あるはずのない「偶像」なのである。

それでもアイドルたちは、「夢」の大切さを、「希望」の在り処を、「愛」の注ぎ方を、「涙」の行く先を、「未来」のあるべき姿を歌う。

みんながほんとは聞きたいから。

だからこそ、そんな青臭さに説得力を持たせるために、アイドルたちは透明な巫女のような存在でなければならない。それが、偶像を現出させるということなのである。

大人たちが歌っても届かない言葉でも、彼女たちが歌うことで素直に聞くことができる。

究極的に言えば、アイドルソングの存在意義はそこにある。

たとえば国際会議などにおいて、子どものスピーチが心を打つということがよくあるが、
それとよく似ていると思う。

青臭さを青臭いと知らずに伝える強さが、そこにはあるからだ。

モーニング娘。の「涙ッチ」という一曲がある。

高橋愛をリーダーとしたいわゆる【プラチナ期】のときの曲だが、歌詞だけを見ればそれはそれは青臭い。アイドルソングの中でも有数の青臭さを持っている。

しかし、ライブで彼女たちが歌うと、「現実はさ」とか言っている自分が恥ずかしくなるほどの説得力がある。さらにこの歌にはまさにアイドルソングを受け入れる上での、非常に大切なメッセージが入っている。

「カギの頃みたく まっすぐに」という一節が、それである。

これこそ、「青臭さ」を肯定する開き直りである。そして、アイドルにしか届けられないメッセージでもある。

もちろん、だからって世の中の現実がどうなるわけではない。そんな単純なものじゃない。

でも、透明な存在の彼女たちが懸命に歌っていることで、青臭さに聞く耳を持ち、ちょっとだけ優しくなれるかもしれない。まるで赤ちゃんに触れられたときのように。

あの戦場カメラマン、渡部陽一さんが真剣に「世界には(日本的な)アイドルが必要だ」と言っていた。切実な現実を知っている人ほど、青臭いことを言わなくなった世界の恐ろしさを知ってるからだと思う。

日本で暮らすぼくの思うアイドルソングは、そこまでの壮大な存在ではないけれど、「ガキの頃」の自分に出会うための装置、または、「ガキの頃」の自分から届いた手紙のようなものなのである。

#コラム #アイドル

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