「特異」な橋本奈々未の「普通」

乃木坂46の橋本奈々未がグループからの卒業と芸能界からの引退を発表した。

私はとりたてて乃木坂46を追いかけていたわけではなく、数回ライブに足を運んだ程度であるが、橋本奈々未というアイドルの「特異」な存在感は乃木坂46の成功の一因であったと思っている。

彼女たち乃木坂46は最初からかなりの下駄を履かされてデビューしており、その力量がアイドルに追いついていなかった。しかしそれをむしろ逆手に取り4枚目のシングル「制服のマネキン」あたりから、笑わない、でも強がらない、ただの無感情を押し出すことでそのルックスのクオリティが本領を発揮してブレイクして今日に至ったと思っている。

そしてその中にあって橋本奈々未は演出の狙いを超えてさらに「無感情」だった気がするのだ。踊りながら視線を動かしていても誰も見ていないような、手を伸ばしながらも何にも向かっていないような、それこそほんとうに「一流のマネキン」であった。しかしそれが乃木坂46の魅力と重なり、彼女は人気メンバーでありつづけた。そんな彼女を新しいアイドル像だと言う人たちもいたが、私も妙に気になっていたのである。

その謎が解けたのは昨年公開された乃木坂46のドキュメンタリー映画「悲しみの忘れ方」を観たときである。映画自体がかなり立ち入った内容であったが、人気メンバーとしてインタビューされた橋本奈々未のこのひと言は衝撃的だった。

「(生活のため)ロケ弁が食べられると思ってアイドルになった」

彼女は北海道旭川から有名美術大学への入学を機に上京した。そして奨学金をもらいながら大学へ通い、それでも足りない学費や生活費はアルバイトをして賄っていたという。東京の高い美容院代を浮かすためカットモデルになっていたからショートカットが代名詞になり、ロケ弁が食べられると思ったからオーディションを受けたのが、橋本奈々未というアイドルだったのだ。さらには将来親に家を建てて、弟の学費も払ってあげたいとも語っていた。

現代アイドルの中でも極めて現代的なルックスを誇る彼女が、数十年前の山口百恵のようなことを言ったのである。彼女個人の生い立ちなどから推し量るべきではないが、2016年を生きる20歳前後の少女が公に言うことの内容としてはかなり特異なのだ。同映画で他のメンバーのインタビューがあくまで個人的な苦境やアイドルとしての葛藤を語っていたことからも、彼女の発言はさらにかなり特異に映った。

そして、この映画ではメンバーのひとり松村沙友理の恋愛スキャンダルについても触れられていたわけだが、このことに対しての橋本奈々未のコメントも特異だったと言わざるを得ない。

アイドルの恋愛が責められるとき、当然のようにアイドル本人、つまり恋愛禁止というルールを課していたにも関わらず破った側が責められる。相手の男は「恋愛禁止」ではないのだからさほど責められない。それはビジネスとしての体裁をとっている以上致し方ないこと、のように誰もが思っていた。しかし、橋本奈々未は違った。「(松村も悪いとはしつつ)相手の男に怒りを覚える」と言ったのだ。「どこかで絶対に『松村沙友理』だと分かったはずだ(それでも関係をつづけたことが許せない)」と言ったのだ。

もちろんこの発言は矛盾しているように聞こえるかもしれない。実際、ファンの立場からすれば矛盾を孕んでいる。アイドル側でビジネスのために作ったルールを守ればよかっただけの話なのに相手を責めるという矛盾は確かにある。

しかし、橋本奈々未は素直に思ったのである。何かオカシイと思ったのである。若い女の子とかなり年上の男(妻帯者)という人間同士に関係においては、つまり普通の感覚でいえば男にも非はあるだろうという当たり前のことを感じて言ってのけたのだ。

私は冒頭から橋本奈々未を「特異」だと繰り返してきた。しかしそれはアイドルとして見たときに「特異」なのであり、裏返せば彼女が極めて「普通」の感覚を持っていたということだったのだなと気がつくのである。

普通、アイドルになれば美味しいものをお腹いっぱい食べられると思うのだ。普通、急にカメラを向けられて笑えと言われても笑えないのだ。普通、若い女の子が年上の男に泣かされていたら怒るのだ。

彼女は昨日の卒業発表で「(卒業の)理由はないかも」と言いいながらも、母親からの手紙に「頑張らなくていいよ」と書いてあったことがきっかけだったと答えている。若くして物理的には親に依存せず、完全に自立していたはずの彼女が、それでも親のひと言を人生のきっかけにする。これまた得難いほどに尊い「普通」の感覚なのである。

踊っているときの彼女が誰も見ていないように見えたのは、どこにも手を伸ばしていないように見えたのは、ここではない何処かへ向かうまでもなく、すでに彼女の真ん中に生きていく上での大切な価値観がちゃんとあっただけのことだったのだ。

「5年間たくさんロケ弁食べられたなあ」

きっと今ごろ彼女はそう思って笑っている。カメラにはなかなか見せなかった普通の笑顔で。

#コラム #アイドル

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コメント2件

私もそう思います。
彼女は最初から最後まで普通の子だったのです。でも、一番アイドルらしくない彼女が、一番アイドルの価値を守って辞めるのが秀逸だなと。
読んでいただいきありがとうございます。まさに仰る通りですね。卒業シングルのMVも、まさに、といった感じでしたね。
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