本当は僕たちだってミスチルだ。

Mr.Childrenは、誰もが「本当は僕もそうなんだ」と言いたいことを歌ってきたアーティストだ。

大切な人へのまっすぐな想い、世の中に対しての問題意識、それをどうしようもできないことへの葛藤、でもだからこそ改めて感じる大切な人の大切さ、そしてなお強く感じる世の中に対しての問題意識・・・。要するにいつも「迷いながら進んでいる」。

しかし、だから等身大に見える。解釈に幅のある言葉づかいも手伝って、特別な人ではなく「僕」の歌に聴こえる。桜井和寿というかなり特別なカリスマが歌っているにも関わらず「いろいろ迷ってダメだけどそれでも前を向く僕」の歌に聴こえる。

しかし、その「迷いながら進む姿」はあくまで理想だ。冒頭で書いたように「誰もが本当は僕もそうなんだと言いたい」理想だ。私などは初めてミスチルを聴いた中学生のころからもう20年以上も「僕も本当はそうなんだ」と思って聴いている、歌っている。

でも、だからこそ逆にMr.Childrenが恥ずかしいときもあった。それは簡単に言うと人生で何かが偶然上手くいっていて自分が調子に乗っているときだ。自分が攻撃的なときには桜井和寿が歌う「迷いながら進む姿」は恥ずかしく感じるのだ。いつまでそんなこと言ってるんだよ、と乱暴な心持ちになるのである。「本当は情緒的な自分」を心の片隅に追いやっているから、そんな場所には桜井和寿の歌声は届きにくい。

しかし、ひとたび何かが上手くいかなくなると「本当は僕もそうなんだよ」と言って遠い目をして景色でも眺めたくなる。そうやって気持ちが揺らいだときに、いつもそこにいてくれて、「本当は僕もそうなんだ」と叫びたくなるほどの強い引力を持ち、またそれを幅広い世代に、長期間届けているというところがMr.Childrenの凄さである。

彼らは「恥ずかしいけれど本当は大切にしている自分」を堂々と歌ってきてくれたのだ。例えば大学生のときの飲み会でみんなが騒いでいる中、ひとり隅っこで静かにしている奴を見て「本当は僕もそうなんだ」と思ったように、自分で隠したか、誰かに隠されたか、そんな気持ちを分かってくれている。そしてその帰り道でひとり歩いているときにipodから「ねえ くるみ この街の景色は 君の目にはどう映るの 今のぼくは どう見えるの」と聴こえてくれば「大丈夫、君が本当はそんな奴じゃないって知っているよ」と言われた気がしたりするのだ。

そんな揺らいだ夜は大人になっても「星になれたら」を聴けばまだ何かやれるのではないかと思うし、「イノセントワールド」を聴けばまだ見ぬ誰かと出会える人生の可能性を眩しく思うし、「Sign」を聴けばまだ偉そうに後悔とかしている場合じゃないと思える。

20代のころになりたかった30代や40代にはなれたかもしれないと思っていても、子供のころになりたかった大人にはまだなれていない。彼らはずっとずっとそのことに向き合っているのではないかと思う。

「Mr.Children」。

その不思議な名前の子供は、今もまだなりたい理想の大人を歌いつづけてくれている。

「本当は君もそうなんでしょう」と。

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オオツカヒサオ コラム

オオツカヒサオのコラムです。

コメント2件

わたしもずっと大好きです、ミスチル。またライブ、行きたくなってきました。
読んでいただいてありがとうございます。行きたくなりますよね。
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