私が富山県上市町に呼ばれた件 二日目
【二日目】
二日目のスタートは「種」という珍しい地名の場所からであった。この集落は上市町出身の細田守監督のアニメーション映画「おおかみこどもの雨と雪」の舞台のひとつになった地域でもある。私はもちろんその映画を観ていた。もちろんというのは、私は細田作品のファンであり、中でも「サマーウォーズ」と「おおかみこどもの雨と雪」が好きだったからだ。「おおかみこども~」で主人公が子供たちを連れて引っ越しをする家(花の家)がある場所の少し手前に広がる地域が「種集落」なのである(作品中では固有名詞としては出てこないが)。
主人公の花は人と接することなく、誰の助けも借りず、生きていけそうな場所としてその場所を選ぶのであるが、結果そこにいる人たちは温かく、おせっかいで、そのことが子供たちや花自身の成長につながっていくのだ。私は、あの舞台が上市町にあるのだと聞いたとき、それはぜひ行きたい、と思った。あの感動を実体験したい。花や雪や雨が人生を決めた場所の空気を吸ってみたい。早朝、前日のスナックでウルトラソウルを熱唱した疲れなど感じさせないIさんの運転で、私と妻は「種集落」に向かった。
しかし、また私は舐めていたのである。私はあの映画の何を観ていたのか。過酷な自然の中であるからこそ、そんな中で誰かとつながれたからこそ、登場人物たちは新しい自分を発見したのではないか。それを痛感したのは、わざわざ私たちをガイドしてくれるために来ていただいたHさんが持っていた熊鈴を見たときであった。Hさんは「万が一ですから」と笑ってはいたが、たしかにあたりを見回すとそこら中にイノシシが土を掘り返した跡がある。
私たちは小雨の降る中で、あぜ道を歩いた。山道を歩いた。静かに歩いた。
最中、私が痛烈に意識したのは、ここは人間だけの場所ではないということだ。無論、地球上のどこも人間だけの場所ではないのだが、街に住んでいるとそんな誤解をしそうになる。種の道は、その誤解が誤解であると分からせてくれた。作られた自然、つまり人間が鑑賞するための自然からは得られないチカラのようなものが「種」にはあった。そしてその場所に暮らすことで、その場所を守り続けている人たちがいた。
前日の滝行からのスナックでの会話で、上市町をある程度分かった気でいた私は深く反省した。そしてあまりのむき出しの自然の中で自らがとてもちっぽけな存在に思えた。
人間反省したら、また自分をちっぽけな存在だと思ったら何をするか。
それは「座禅」である。
ということで、私たちの2日目の午後のメインイベントは座禅体験であった。
そのお寺は眼目山立山寺(がんもくざんりゅうせんじ)、通称「さっかのてら」。1370年に創建された名刹であるという。座禅の前にまずはその立山寺に向かう道が素晴らしかった。「森林セラピー基地」に認定されているその並木道は、今からまさに座禅で自らと向き合おうとする前に歩く道としてはこれ以上ない清らかさがあった。真っ直ぐに続くその道は、まるで私の人生のようでというのは嘘で、あっちに行ったり、こっちに行ったりしている自身の人生の背筋が伸びるような気分であった。今から私は特別なことをしにいくのだという気分が醸成された。
幼い頃、剣道を習っていた私には座禅には自信があった。若くイケメンのご住職が座禅への臨み方を説明してくれている間も、私はどこかで余裕であった。座禅くらいできてこそオトナである。そろそろ雑誌LEONでも座禅特集が組まれてもいいころだ。
しかしである。「では足を組んでみましょう」。ご住職にそう言われて、私はおかしいなと思った。足が組めない。まったく組める気配がない。それどころかお尻を下ろして背筋を伸ばすだけでツラいのである。あたりまえである。私の20代~30代と順調にお育ちになった下腹部がすでに悲鳴をあげている。家ではだいたいソファに寝そべり、立ったと思ったらお菓子を取りに行き、また立ったと思ってもベッドに行くような毎日を送っている私に足を組むことなど不可能であった。無理です、と白旗をあげるとご住職は片足だけでも組めればいいです、とまさに仏の慈愛。しかし、それでもツラい。私は思った。
ああ、イスがほしい。
まったくもっていきなり私は雑念だらけどころが、座禅を真正面から否定する雑念に沈んでいったのである。しかしそんな私の動揺に気がついているのか、いないのか、ご住職は爽やかな面持ちで突きつけてきたのである。「では三十分ほどそのままでお願いします」。
立山寺の宗派では屏風のような、白い壁を眼前にして座禅を組む。そして目は開けるともなく閉じるともなく、視線を斜め下にする。これがまた意識を摩訶不思議な世界へと連れて行く。などとそれっぽく書いたが、要は睡魔に襲われるのである。視線を落としている斜め前に突っ伏して、白い屏風ごとブッ倒れていきそうになる。足は痛い、腰も痛い、そして意識は遠のいていく。こ、これを、さ、さん、三十分だと・・・。子供のころ、楽しみにしていたアニメ番組のエンディングを見ながら三十分ってなんてあっという間なんだろうと思っていたのに、こんなに長いものだとは。恐るべし三十分。カップラーメンを十回作るだけの時間。マッサージなら物足りないはずの時間。それが、それが、こんなに長い。大丈夫か、俺。
だんだんと時間の感覚がなくなりはじめてはいたが、私はなんとか座禅を続けた。
ところで私たちが座禅をしている境内には、ふつうにお寺に参拝に来る人たちもいて、チラチラと見られたり、お賽銭を入れる音や、手を合わせる音なんかがたまに聞こえてきた。それはそれで風情があるというか、チャリンとかパンパンとか静かな中で短い音が一瞬響く特別な感じもあった。雑念との戦いにも慣れはじめた私は、その名刹の風情を楽しみはじめていたのだが、途中、私の雑念を再び肥大化させるひと言が、家族連れの参拝者から聞こえてきたのである。それは子どもの声であった。彼はお賽銭を投げいれたあとで、こう言ったのだ。
「・・・宝くじ当たりますように!」
いや、別に悪くない。全然悪くない。むしろ、可愛い声で愛嬌もあった。家族は笑っていたし、家族旅行の楽しい思い出の1ページとしては、微笑ましい。きっとその子どもが大きくなっても、盆暮れ正月に家族が集まれば「あのとき、あんたお賽銭入れて宝くじ当たりますようにって言ってたのよ、まったく面白い子だったわよ」と笑い話として使われるエピソードになるだろう。しかし、それを聞いた私は絶賛座禅中だ。ゴジラ並みの大きさの雑念と戦っているのだ。笑ってはいけないと言われれば言われるほど、人は笑いたくなる。ヤバい、ヤバい。笑いたくなる衝動をふり払おうとすればするほど、あの子の投げたお賽銭は何円だったんだろうとか、余計なことを考えてしまう。私は口を開けたくもないのに、大きく開け、さも気合いを入れ直しているかのようなふりをしてなんとか笑うことを我慢した。
そうして笑いの衝動もおさまったころ、私は座禅に対して余裕をかましていた自分がいよいよ嫌になった。
いちいち私にはそういうところがある。自分に自分で腹が立った。これは活を入れてもらわねばならぬ。驕った私を追い払うのだ。というのは嘘で、今度は睡魔であまりに意識が朦朧としてきたので、眠気覚ましの警策(失礼すぎる)をご住職にお願いしたのだ。頭を下げ、肩を差し出す。ご住職の歩みが止まる。冷たさが肩に置かれる。そして・・・、
バンッ!(おおげさ!)。そして・・・、
痛っ!(おおげさ!)。
素人相手であるから加減をしてくれているのは分かる。しかしそれでも一瞬の痛みとともに、気持ちと身体がしゃんとする。これはいい。雑念や睡魔が立ち消える。
私は結局、三十分の間に都合四度も警策をお願いしたのである。
というわけで、座禅はとてもいいものであった。この流れでそんなことを言うと、ちょっと待て、雑念だらけのお前に何が分かるんだ、とお思いかもしれない。たしかにそう言われるとぐうの音も出ないのも事実である。しかし、それまで私は座禅を何かすごく特別なものに思っていた。すごく悩んでいるとか、またすごく自分にストイックであるとか、そういう人でなければやってはいけない、やる意味のないものだと思っていたのである。
だが、やってみるとそうではなかった。気軽、というと語弊があるかもしれないが、レクリエーション、というともっと語弊があるかもしれないが、つまりは今の自分がどうこうではなく、色即是空を心から実感などできなくても、日常の中にこういう時間を持つということ自体がすごく豊かなことなのだなと思った。
それは別に座禅でなくても、「種集落」のような自然の中をただ歩くでもいい、滝行をするでもいい、見たことのない美しい夕陽を見るでもいい、美味しい水のために時間をかけてわざわざ山道を行くでもいい、もっといえばスナックで歌うでもいい。いつもいる場所から、少しだけ外に出て、知らない誰かと知らない場所で知らないことを知る。そしてどうせ行くなら、たくさんの「知らない」があるところがいい。
富山県上市町には、きっとたくさんの「知らない」がある。たった一泊二日でも、その体験はずっと自分の中に残るものになる。私などは未だに会社の集まりで挨拶をしなきゃいけないときには「滝行透け透け事件」について話すし、テレビで富山の話が出てくればつい見てしまうし、「おおかみこどもの雨と雪」だってもう一度観た。
それはもう、行く前と行った後では、ちょっとだけかもしれないけれど、自分が変わっているということだと思う。
ほんとうにいい体験だった。それからというもの、心身ともに充実した状態で日常に戻った私は今まで以上によく働き、独立して会社を起こし、その会社もすぐに上場して、いつのまにか世界を変える100人に選ばれた、というのはもちろん嘘だが、慌ただしい日常の風景に対してちょっぴり余裕をもって暮らすことができている気がするのである。
終わり
最後に今回このような貴重な機会を与えていただいたどころか、お忙しい中で二日間アテンドしていただいた上市町の伊東さん、夜の上市を教えてくれたスナックもぐらのママ、種集落を朝早くから案内していただいた平井さん、そして私に「上市行ってなんか書いてきて」と依頼をくれた加形さんに感謝します。
ありがとうございました。みなさん。
ありがとうございました。上市。
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