そのとき私が青春の終わりを痛感した理由

昨夜は仕事の打ち上げであった。東京からもスタッフが名古屋まで打ち上げのために集まってくれた。迎える側の私は完璧な香盤を組んだ、はずだった。

一軒目は味仙に二時間半で打ち上げ感の醸成、二軒目はこじんまりした雑居ビル内の居酒屋で一時間半バラバラに混みいった話をして夜への没入感に導き、三軒目は地下のカラオケバーでゆっくりと酔いをさましてもらいながら最後に歌ってフィナーレ感を演出する、はずだった。

二軒目までは予定通りだった。誤算は三軒目。我々が店に入ってしばらくして20代半ばの男女の団体客(10人ほど)が雪崩れ込んできた。ヤカラという感じではない。金曜日の夜くらいは弾けたいといった普通の若者たち。テキーラ片手に彼らは歌い、騒ぎ続けた。まあそれはいい。社会人デビューのその感じは分かる。私もそうだったからだ。

だが、歌う曲がつまらない。歌い方が独りよがり。「前前前世」「恋」「FANTASTIC BABY」。いや曲自体はもちろんつまらなくはない。いい曲である。しかしその店は内装はわりとオーセンティックで、マスターも壮年で、他の客もいるわけである。スタンディングでグラスを掲げながら、身体を上下に揺らして「君の前前前世から〜」とか「ひとりを超えてゆけ〜」とか「ブンシャカラカ ブンシャカラカ」とか叫んじゃいけないわけではないが、叫んじゃよくないのである。こういう店で歌うなら上手いか、面白いかじゃないとよくないと私は教わったぞ。

我々の中にも明らかにイライラしてきているメンバーが出はじめた。しかし店を変えるにはもう丑三つ刻、遅すぎる。これはこちらも歌で何とかするしかない。彼らはゴジラだ。昨年の紅白歌合戦でもゴジラは歌の力で停止していたではないか。私は彼らからデンモクを奪った。若者たちを黙らせるには彼らが全く知らない古い歌では駄目だ。かといって迎合するような歌でも駄目だ。歌自体は知っていて興味をひくが決して「ウェイウェイ」できぬ歌でなければならない。私は仕事で企画をするかの如く悩んだ末に、というのは嘘ですぐさまアナ雪から「生まれてはじめて」を入れた。そして順番がくるのを待った。

同席していたスタッフからは大塚は死地に向かう老兵に見えていたことだろう。この状況で空気など変えられるわけなどないと思っていたことだろう。しかし私の気持ちはさながら吉岡一門数十人を一人で切り倒した宮本武蔵。ただ歌い上げ、若者たちには一瞥もくれるつもりはない。お前らと盛り上がるつもりなど毛頭ない。いざ、センターステージへ。

「窓もドアも開いてる〜 なんて久しぶりなの〜 お皿もこんなにたくさ〜ん」。

立ち上がり、若者たちの間に割って入り、マイクを掴み取った私は歌いはじめる。先週末に劇団四季を見に行ったばかりの私の歌声はいつにもましてミュージカルもどき。これはいい調子だ。相手が止まって見える。すると店内に変化が起こる。Aメロを歌い終えるころだった。

あれだけ五月蝿かった若者たちが静まり返ったのだ。

つまりその静けさは疑問。異物への驚き。予想外への停止。ゴジラは止まったのである。一気呵成。私は店の階段を駆け上がり、彼らを見下ろして歌い続けた。

「生まれてはじめて〜 心が踊るの〜 生まれはじめて〜 恋を見つけて〜」。

すると意外なことに一同から湧きはじめる歓声。声援。冷ややかではない素直な笑顔たち。そして私に生まれる疑念。こいつらなかなかいい奴らなんじゃないか。突然のオッサンの熱唱をスマホで撮影しているけしからん奴もいたが、ま、世代だ、いいだろう。でもツイッターなんかには上げるなよ〜、頼むよ、おい〜。「はっ、いかん」。いつの間にか心のなかでは彼らと会話をはじめてしまっている。しかも彼らに寄り添った言葉遣いで。武蔵の、いや私の刀は少しずつ、でも確かに刃こぼれしていた。

あたたかい声援は最後まで続いた。続いたどころか大きくなっていった。私は案の定というか当然気持ちよくなっていた。そして歌い終わる。握手や乾杯を求めてくる若者たち。いい奴らじゃないか。聞けば彼らは大学の同窓生で、ついた仕事はそれぞれだけれど、今夜は海外赴任をする子の送別会だという。海外赴任となれば同窓生と騒ぐこともできなくなるだろう。仕方ない。大目に見てやろう。そんな私の気持ちを包むように、鳴り止まぬ拍手の中で「生まれてはじめて」のアウトロが流れていた。そのときである。

「ウェーーイ!!!」

誰だ?私は周りを見回した、というのは嘘で、その声の出どころは私だった。無意識に叫んでしまっていたのだ。私は若者に向かって「ウェーーイ!」と叫んでしまっていた。一瞥もくれぬ、彼らと盛り上がる気など毛頭ない、そんな五分前の密やかな決意は気がつかぬうちに霧消していた。

若者たちはもちろん「ウェーーイ!」と返してくる。いい奴らだ。私もまた「ウェーーイ!ありがとうー!」と返す。コールアンドレスポンス、つまりは迎合。または吸収。または返り討ち。多勢に無勢。私は宮本武蔵にはなれなかったのである。とはいえ時代は平成。刀はマイクになった。戦ったことに意味がある。そう信じるしかなかった。

しかし、我々が先に店を出るとき彼らの中の一人が駆け寄ってきた。そして「すみません、お騒がせして」と謝ってきたのである。敗者に慰めとは残酷至極。私は「若者は謝るくらいならやるんじゃねえ!」と言った、はずもなく、迎合し、吸収された私は「いいよ、楽しんで」としか答えるのがやっとだった。

そのとき、遅ればせながら、分かってはいたけれど改めて痛感した。

青春は完全に終わったのだなと。

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