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千歳満腹心中

 世は嘉辰令月であるという。
 であるならば、なにをするにも良い月なのだから心中日和とも言えよう。
 心中令辰晴れ晴れしく、いざやゆかん心中旅。
 そのような心境で僕は我が家の敷居を勇んで跨いだのではない。
 我が心中旅は常に後ろ向きと前向きの間に、よるとひるとの合間に立ち消えゆくかげろうのように、どちらの岸にも寄り付かぬ茫洋とした思いから端を発するのである。
 つまりは。
 醒めぬ酩酊に身を委ね、酔闇の小路を彷徨っているうちにいつしか時代が移り変わっていたのだ。果てない二日酔いの間に改元があったとも言う。
 なんというか、常日頃から置いてぼりがちである時代というものに、今度ばかりは逃げおおせられた気分とでも言うべきか。
 時代に逃げおおせられたのならば、もはや僕が生きるべき時はなかろう。
 この度こそは麗しの乙女と手に手を取って、この生の時代からの逃避行を図ろうではないか。
「そうは言うておるがの、先生。祝ぎたる麗しの年に心中とはいささか縁起にケチがつくとは思わぬか?」
 家を出た僕の後を付いてくるのは、同居人であり居候である天麩羅さんだ。
 狐の面でも被っているかのような吊目の童女である。
 童女なのにその背丈に似合ったセーラー服を身にまとったいわゆる天麩羅学生で、おかっぱ頭に手まりをついて稲荷神社に入り浸ってはお供え物のいなり寿司をくすねているという。
 罰当たりな童女なのだが、今のところ天罰は彼女に下ってはいないらしい。
「せっかくの心中旅だというのに君のような童女を連れていては児童遠足と思われかねん。付いてくるのはよしたまえ」
「何を言うておる。よちよち歩きの先生が心配でこうしてわっちがそばに居てやろうというのに。手を繋いでやらぬと汽車にも乗れぬのはどこの誰であったろうな」
 ひし、と僕の手を握り童女はころころと嗤う。
「それにしても先生、今日はどこにおでかけじゃ?」
「あれだ、あれ。なんとはなしにだね、空飛ぶ船の港がある町へと、汽車に揺られて逝こうと思う」
「ふむ、長久の令月を祝うには相応しかろうな。千載の都―――いざゆかん、千歳市か」
「そのように大仰に言わなくてもよい。僕はただ、心中旅をするだけなのだから」
「わっちのような童とかえ?」
「童とて、千載過ぎれば麗しの乙女とならんや?」
「あほう。それでは乙女を通り過ぎて妖女ではないか」
 今だってあやかしのようなものに見える時もある。けれど僕は一人じゃ寂しいのはもっともなのでこの小童の手を取って、さてと優雅な心中へと出ようではないか。

 札幌から汽車に揺られることごとごと。
 昨今流行りの快速だの特急だのに僕は絶対に乗らぬという主義がある。五臓爛れて八腑腐り落ちようとも乗るものか。
 なので今日も鈍行で向かう。
「それを言うなら五臓六腑だろうに。いつの間におぬしのはらわたの中身が二つ増えたのだ?」
 広陵たる車窓からの景色を眺め、魔法瓶に仕込んできた熱燗をちびちび舐めている僕は、すこうしばかり酔いが回ったのか怪しからん言葉を呟いていたようだ。
「それはだな、増えた二腑とは我の内からこんこんと陰気を生み出す陰険腑とあの世への憧れを生み出す羨望腑であろうな」
「そいつは先生の頭に詰まってる味噌から練られるものじゃ。腹の底から湧き出すものではあるまいて」
「どうだろうか。人の理屈が全てこの小さき脳髄から生み出されているものだなんて、僕は甚だ信じがたいぜ。僕の腹を捌いてみればたらふく臓腑が詰まっている。その一つ一つがだな、脳みそのように考えを持っているとすればどうだろう」
「先生、言っていて具合が悪くならぬのか? はらわたがひそひそ話をしているのような、あっちゃこっちゃへと顔を出しそうな、そんな気分にはなってはこぬか?」
 確かにそうだ。
 自分で言っておきながら、自分の臓腑が皆勝手気ままに思いを巡らせているだなんてまっぴらだ。
 では僕とは誰なのだ。どの臓腑が僕のおつむとなるのだろうか。考えるだけで僕が僕のはらわたの中で、体液にまみれて蕩けていく。
 そんな気がしてならない。
「まぁ、先生よ。わけの分からぬ自己の増殖を止める方法は、これよ、これ。五臓六腑に染み渡ればこそ、裡に潜むものを酩酊させてやればよいのだ」
 言って天麩羅さんはお猪口へと熱燗を注ぐ手付きが慣れている。けしからん童女だ。
 いやしかし天麩羅さんはいつから童女だったろうか。はてさて、どうして僕は童女と一つ屋根の下に同居していたのだっけ。
 考えがちつともおぼつかない。
 そうしている内に車窓から見える景色の中に提灯がころりころりといくつも転がり始めた。
 赤い提灯、青い提灯、黄色の提灯。
 色とりどりの提灯が汽車と同じスピヰドで転がっている。嘘だろう、そんなはずはない。
「一体僕はなにを見ているのだ?」
「あれかい? ほおら、よく見てみるとよい。あの提灯たちは転がっているのではない、懸命に走っておるのだ」
 ついと天麩羅さんが指を指すので僕が目を凝らすと、確かに転がっているように見える提灯たちは、よくよく見れば二本の脚を懸命に回し、二本の腕もたくましく振り回して全力で走っていた。
 ありゃ、驚いた。赤青黄色の提灯たちが汽車とかけっこしているではないか。
「ひゃあ参ったなぁ。僕はもうとんと酔ってしまったのかい? 幻が見えるようになっちまったぞ」
「幻だなんて言ってやるな。あやつらとて懸命に化けているのだから。あんまり先生が目を白黒させぬよう、どうれ足元掬ってみてやろう」
 どこからともなく取り出した一枚の笹の葉を、天麩羅さんはふぅっと吐息に載せて車窓の外へと吹いて放った。
 すると笹の葉はたちまちカワセミへと姿を変えて汽車と併走する提灯の元へと一直線に飛んでいった。
 そして走る赤提灯のお腹へとカワセミはクチバシを突き立てた。するとまるでナイフが刺さった風船のように、ぱんっと赤提灯は割れてしまうではないか。
 その次の瞬間であった。
「あ!」
 割れたと思った赤提灯の中から、なんと小狸がひっくり返って現れたのだ。
 小狸はすってんころりん尻もちついて地面に転がっている。慌てたのは一緒に居た青提灯と黄提灯で、彼らも思わず小さく丸いしっぽを露わにして転んだ小狸の元へ駆け寄っている。
「ははぁ、さては兄弟狸がこぞって僕を騙していたのだな」
「先生は騙しやすそうな顔をしているからのぉ。特にそんな赤ら顔じゃあ、腕によりをかけて化かしてやろうと思うさね」
「なにをぅ。僕はまだそんなに酔っちゃあいないね。赤ら顔といっても、ほんの少し頬が照っているだけでだな。その……」
 でもどうしてだろうか、うまく口が回らない。
 僕の顔を覗き込む天麩羅さんの顔がぐにゃりと歪んで―――。

「お客さん、お客さん―――メンチかつ定食、おまちどうさま」
 ぐにゃりと歪んだと思った天麩羅さんの顔が、見知らぬ婦人のものに変わっていた。
「……めんち?」
 じゅるりと思わずよだれが垂れて、そのついでに目が冷めた。
 すると目の前のちゃぶ台があって、その上に美味しそうなメンチかつ定食が置いてあるではないか。
 周りを見れば見覚えのある店内だ。
 畳敷きの広々とした店内に並べられたちゃぶ台。そこにはいつも大勢の人が賑わっていて、今日もご多分に漏れず混雑している。
 壁には年月の染み込んだ木札でメニュウが並び、厨房では熟練の料理人が忙しなく料理を作り続けている。
 千歳にある老舗定食屋、柳ばし。
 その店内に僕は居た。
「はて、僕はいつ汽車を降りたのだい? どうやってここにたどり着いたかとんと覚えちゃいないぞ」
「たぬきに運ばれてきたのよ。覚えてはおらぬだろうがな」
 正面に座っている天麩羅さんが、瓶ビールをその手に持って僕の目の前にあったコップに注いでくれる。
 僕は反射的に注がれたビールのコップを持ってぐびりと喉の乾きを潤すと、食道に清流が流れ込んだかのような爽快さを味わった。
「道中のことなどどうでもよいか。眼の前にある美食を堪能するのが先だ」
 なにせ僕はここのメンチかつ定食が大好物なのだ。
 多めの白飯に大根とネギのお味噌汁。ぺろりと載ったたくあんと、それに小鉢に入ったポテトサラダも嬉しい。
 そしてなんといっても、わらじのように大きなメンチかつが主役の座についている。
 メンチかつ―――こうしてみると確かに主役の座に相応しい男前な面構えをしているが、洋食界全体を見渡してみればメンチかつよりも遥かに二枚目な役者は多かろう。
 ポークカツレツ、ハンバーグ、ビーフシチューあたりはまごうことなき銀幕のスタア。
 それに比べてメンチかつは、なんというか小劇場あたりからこつこつと努力を続けて、時には無骨ゆえに役の幅が狭まるなんて言われてはきたものの、実際には三枚目から二枚目まで幅広くこなせる結果的には優秀な役者なのである。
 なにせこの和風の定食屋の中に居て、洋食出身なのに浮かないでむしろ大本命として定番のメニュウの座に収まっているのだから、その実力たるやいっぱしのものであろう。
 そんな看板役者に箸を入れれば、さくりと衣が音を立てじゅわりと肉汁が溢れ出る。
 古事記にこんな言葉がある。
 日々の陰気は糖分と脂質でなければ分解はできぬ。
 古来より人類は揚げ物によって鬱の気を逃れてきたのだ。人類がまだ原始人だった折に、洞窟の壁画に描いた日々の暮らしの絵の中にも、ポテトフライとフライヤーを使う原始人の姿があったという。
 そういうことなのだ。
「脂はうまいのだ。なぁ、天麩羅さん」
 メンチかつを頬張り、遅れぬうちに白飯をかきこむ僕を見て、天麩羅さんはにんまりと笑った。
「そうだの。わっちのサケフライもたいがいうまいぞ。追加注文した塩辛もいいアテになるしの」
 童女がアテなど求めてなんになる、といいたいところだが、白飯のアテに塩辛は最適らしい。
 僕はそういった海洋性のぬめぬめした食品は口には入れられないのでその良さがとんとわからぬが、うまいと思う人の気持を否定したりはしないのだ。
「ところで先生。食事が済んだら空港に言ってみぬか? わっち興味がありまする」
「人混みは嫌だぜ。それに旅立つわけでもないのにああいうところに行くと、誰かを見送らなくちゃいけない気持ちになってなんだか寂しくなるんだ」
「先生はセンチよのぉ。けれどわっち、ここはわらべであることを過分に活かして行きたい場所があるのだ。付きおうておくれよ」
「そうまでしてどこに行きたいのだ?」
「空港内にあるドラえもんわくわくスカイパークと言ってな」
「よしゆこう」
 心中旅などしてる場合じゃない程に、魅惑的な施設があってびっくりした。
 何故そのような夢の遊園地を見逃していたのだろう。
 僕はこの後に訪れるであろう至福の体験に胸をわくわくとさせながら、目の前の幸福の脂質をさらに口へと運んだ。
 嘉辰令月、なにをするにも良い時というのは確かにある。
 そんな時に心中してはもったいないのかもしれないね―――。

おしまい
 

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