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Getz / Gilberto+50と原田知世

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v.a. / ゲッツ/ジルベルト+50

『ゲッツ/ジルベルト』(1964)のことをいままではケッと思ってきましたから、50年目に全曲をそのままの曲順でカヴァーしたトリビュート・アルバムなんてねえ…と敬遠していたというか正直いって聴かずにバカにしていたというにひとしい『ゲッツ/ジルベルト+50』(2013)だったんですが(でもそのころなぜかCDは買った)。

いくら大好きな原田知世プロデューサー、伊藤ゴローの手がけた音楽だとはいえ、う〜〜ん、…と思っていたところ、きのうも書きましたように(レイヴェイ経由で)『ゲッツ/ジルベルト』がとってもステキな音楽だと還暦にしてようやく理解した身としては、ひょっとしてと思って『ゲッツ/ジルベルト+50』もじっくり聴いてみる気分になりました。

2013年というと日本でも現在みたいにレトロ&オーガニック路線のポップスはまだそんな大きな潮流になっていなかったはずですが、『+50』をいまの時代に聴くと、完璧なるその先駆けだったと思えます。つまり100%このごろのぼく好みの音楽ってこと。

やっぱりボサ・ノーヴァとはいえないと思うんですが、その要素のあるジャジー・ポップスで、おしゃれでスタイリッシュでおだやかソフトなJ-POPというおもむき。いうまでもなくゴローがプロデュースする知世がそんな世界を代表する存在なわけです。知世は『+50』にも一曲だけ「ヴィヴォ・ソニャンド」で参加しています。英語詞。

先駆けといってもゴローが知世をプロデュースするようになったのは2007年の『music & me』からのこと。すでにこのとき現在につながる傾向はしっかりありました。しかしこうしたちょっとボサ・ノーヴァっぽいジャジー・ポップスこそが知世&ゴロー・ワールドのカラーなんだ、その源泉みたいなのがここにあると、『+50』を聴いて感じます。

近年の日本の(コンピューター打ち込みをサウンドの主軸としない)オーガニックなおだやかポップスは、べつにゴローがつくりだしたとかパイオニアだとかいうわけじゃないでしょうが、『+50』を聴いて直後に知世などかけると、あまりにも酷似しているというかルーツがどのへんにあったかはっきりしているんじゃないでしょうか。

個人的には知世ラヴァー(正確にはゴロー・プロデュースものにかぎる)で、そんな世界にすっかり心身の芯まで染まっている身としては、『+50』を聴きながら、あぁこれだよこれこれこそぼくの好きな音楽のスタイルじゃないか、なんだ『ゲッツ/ジルベルト』だったんだ、レイヴェイもそうであるようにゴロー・ワールドもだ、と得心しました。

(written 2022.12.15)

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