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MDが消える

(5 min read)

2021年12月初旬、MDことミニ・ディスクがとうとう辞書(17日発売予定の『三省堂国語辞典』第八版)からも消えてしまうというニュースに接しました。もちろん再生録音機の製造販売はとっくに終了していて、新品のディスクもすでにどこにも売っていないという状態。

それでも文学作品など文献に載り続けているあいだはなかなか辞書から消すことができないわけですけど、もうそれも終わったのだとわかったこのさびしい現状に向きあう気持ちをどう表現したらいいのでしょう…。もう今後MDということばすら(現代語としては)みんなの記憶から抹消されてしまうのだと思うと…。

もっともMDは音楽の新作販売メディアとしては不発だったと言わなければなりません。技術を開発したソニーのカタログが中心で他社のものはあまりなく。それでも一時期は音楽ソフト・ショップ店頭でよく見かけていたんですけどね。1990年代の話。マライア・キャリーとか、渋谷東急プラザ内の新星堂にあったよなあ。

個人的にもMDは音楽作品を買うというのではなく(それはCDで買っていた)、もっぱらダビング・メディアとして愛用していたのでした。ダビング用にMDを使いはじめたことで、ぼくのカセットテープ時代が終了したんです。

なぜダビングするか?というと大きく分けて理由は三つ。1)電車や出先などに携帯してどこででも聴くため。2)自分がCDで買って愛聴している作品をコピーして友人などにプレゼントするため。3)マイ・ベスト的な自作コンピレイションを編むため。

特に音源トレードですね、1995年にネットをはじめて、音楽系コミュニティでみんなとどんどんおしゃべりするようになりましたから、それでいっそう話題の音楽をなかよし友人とシェアしたいと思う機会が増えました。

1990年代なかばというとiTunesなどパソコンの音楽アプリもまだなかったし、だからリッピングしCD-Rに焼いてパンパン複製するなんてこともはじまっていませんでした。カセットデッキをオーディオ装置に接続してダビングはやっていたわけで、だから簡便で極小サイズのMDの登場はうれしかったんです。

といってもぼくがMDを使いはじめたのは、そうやってネットの音楽仲間が使うようになっていたから。MDであげたいけど、MDでほしい、などと頻繁に言われるようになったので導入したわけで、世間の流行からはちょっぴり遅れました。自室のオーディオ装置に接続してCDからダビングできる据え置き型のMDデッキを買い、便利だとわかったので携帯用のポータブルMDプレイヤーも追加しました。

それでどんどん仲間と音源をトレードするようになったんです、MDで。あのころ、1990年代後半から2000年代初頭にかけて、ぼくらのあいだでは、最主流の音源交換メディアに違いありませんでした。郵送したり、会っての手渡しだったり、あのひとこのひと、いろんな当時の友人の顔も名前もいまだに鮮明に思い出します。

MDというメディアにはそんな濃厚な思い出がつまっているんです。さまざまな音楽のことでみんながなかよくネットでおしゃべりしながら音源を交換していた1995〜2003年ごろの、あの思い出が。

そんなMDなので、この世からことばすら消えてしまうということになっても、ぼくとしては永遠に忘れられないメディアです。iPodが2001年に登場し、たちまち世を席巻、類似の携帯型デジタル・ファイル・プレイヤーもあふれるようになり、iTunesがスタンダードなアプリとなって以後、MDは役割を失ったかもしれません。

いまや(ディスクであれファイルであれ)コピーして移動させることすら不必要で、SpotifyなりApple MusicなりAmazon Musicなりのサブスク・サービスを契約していれば、スマホを持ち歩くことでいつでもどこででも音楽を聴けるという便利な時代になったし、だから「この曲、アルバムをちょっと聴いてみて」と友人にオススメするにも手間がいらなくなりました。

(written 2021.12.6)


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