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「主観的に判断できる力」を鍛えよ!

こちらの本を読みました。大変面白い本でした。

グサッと刺さった1つの文章を引用しながら、自分の考えをアウトプットしたいと思います。

システムの内部にいて、これに最適化しながらも、システムそのものへの懐疑は失わない。そして、システムの有り様に対して発言力や影響力を発揮できるだけの権力を獲得するためにしたたかに動き回りながら、理想的な社会の実現に向けて、システムの改変を試みる。

これが変化の激しい現代を生き抜く個人にとって必要な姿勢なのです。

ここでいうシステムというのは国・社会・組織など。そのシステムは「サイエンス的」または「クラフト的」に作られていて、論理的/合理的かつ実績ベースで物事の意思決定が行われます。

ただそこから生まれる結果は「コモディティ化された正解」か「過剰な合理化がもたらす社会的逸脱」です。前者がイノベーションを起こせない旧来型企業、後者が不正を働く企業(DeNAのコンプガチャ、自動車メーカーのリコールなど)に例えられます。

そんなシステムに対し常に懐疑の目を持ち、自分の「主観的な判断のモノサシ」を使ってシステムを正しいと思う方向に変えにいく。


これこそが個人を強くするための必須スキルだと思うわけです。


今をときめくインフルエンサーって、自分の中に強烈な「主観的な判断のモノサシ」を持っていると思います。そしてそれは各々で違います。

例えば最近見たWEEKLY OCHIAIの「就活と転職をアップデートせよ」で落合陽一さんとワンキャリアの北野唯我さんで、東海岸の大企業の下の方でくすぶる個人を変えるためのアプローチについて意見が異なるシーンがありました。

北野さんは「東海岸の下に位置する個人の意識を変える必要がある」、つまり社会を変えるには個人を変えるべき、という意見。

落合さんは「東海岸が作った空気を変える必要がある」、つまり社会を変えるためには全体を変えるべき、という意見。


これってどっちが正しいとかじゃなくって、お二人が持っているモノサシ、さらにはそのモノサシを構築するにあたって積み上げてきた土台が違うだけ。二人ともお互いの意見を否定することはなく認めながらも、自分の主張は変えませんでした。


北野さんもこう言ってます。

そう、この複雑化した社会では唯一解なんぞないのです。


自分の確固たるモノサシを使って主観的に判断できる力を持ち、それに向かって動き続けることで、社会を変える個人になる。


そういうことです。


ではその「主観的に判断できる力」をどう鍛えるのか。
書籍には哲学やアート、またはマインドフルネスによって鍛えられると書いてありました。

もちろんそれも重要だと思います。ずっと興味なかった哲学書を読んで、プロセスとモードを学びたいと思っています。


ただやはり一番重要なのは、「個人として生きる意思」だと思います。


これがないといくら哲学書を読んだって、いくら自分自身を理解したって何も変わりません。


個人として生きる強い意思を持った上で、主観的に判断できる力を身につけ、システムを変えにいく。


やりましょう。

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