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お互いの意見を殴り合う世界を目の当たりにして思うこと

この1週間、様々な出来事がSNSやマスメディアを騒がせました。Twitterやテレビを見ていると、京都アニメーションの件とDJ社長の件と吉本興業の件とDragon Ash(RIZE)の件と選挙の件で情報が氾濫してました。

そこで繰り広げられていたのは殺伐としたお互いの意見を殴り合う世界でした。

ある人が1つの事象に関する意見を発すると、誰かがそれに対して批判をし、殴り合いに発展する、或いはリングアウトさせられる。またある人が1つの事象に関する意見を発すると、誰かがそれに対して批判をし、また別の殴り合いが始まる…

その殴り合いの中に事件の当事者本人はいません。おそらく直接の関係者もいません。周りの無関係な人間が勝手に殴り合っているだけ。


そんな惨状を主にTwitterやテレビで眺めていて「どうしてこんな事になるんだろう?」と疑問に思いました。あまりまとまってなくて恐縮ですが、思ったことを書いてみます。


一つの事象における殴り合いの登場人物を5つに分けてみます。

1.当事者、または関係者の層
2.当事者に対して自分ごととして共感する層
3.事象に対して自分ごととして共感する層
4.当事者に対して関心を持つ層
5.事象に対して関心を持つ層

個人的に思うのは、異なる層の人同士が出会うと、殴り合いに発展する事が多いのではないかということ。

例えばDJ社長の炎上プロモーションの件では、元からのファンからは「すごい」「さすが」という声が聞こえてくる一方、実名アカウント(主にビジネス関係)の人からは「ありえない」「ひどい」という声が上がってきて、そして「この件ですごいとか言っている人を軽蔑する」のような展開になり、殴り合いのリングが鳴らされます。その結果リングアウトさせられた若いインフルエンサーも出てきて、さらにこの件に関して二次的な殴り合いも始まっています。負のスパイラルです。

この場合、前者(ファン)が2.当事者に対して自分ごととして共感する層で、後者(実名アカウント)が5.事象に対して関心を持つ層である可能性が高いです。

確かに今回の炎上プロモーションは、手法としては優れたものかもしれません。ただ人の苦しみをネタにした点や今後のパワハラ告白に影響を及ぼす可能性を生み出した点が褒められるものではないのも事実です。

つまりどちらも間違ってはいないんですよね。

すごいのも事実。ひどいのも事実。

だから本来殴り合う必要なんてないはずなんです。事実なんだから。


ただここでポイントになるのは、この事実は主観的事実であって客観的事実ではないという事。Aさんにとっての主観的事実はBさんにとっては事実ではない。AさんにとってもBさんにとっても誰にとっても事実なのが客観的事実。

この殴り合いでは主観的事実ばかりが持ち出されます。そしてそれに都合のいい情報だけ切り取って使われます。客観的事実は二の次です。

こういう事なんだろうと思います。


よってどれの層にも属さない立場から見ると、ただただ不毛な争いをしているようにしか見えないんです。

そもそも見ている主観的事実(=オピニオン)が違うのだから殴り合いのルールも違う。そんな殴り合いの果てに生まれるものって何なのだろう?


相手がどういう層に属していて、どういう主観的事実を元に発言しているのか、それを理解した上で認めるなり議論するなりスルーするなりすればいいんです。

また逆に何かを発信する際には、違う層に対してどう思われるのかを想像しながら発信するべきなんです。

2.当事者に対して自分ごととして共感する層は当事者の代弁をしたいだけなんです。

3.事象に対して自分ごととして共感する層は心の底から解決/応援したいだけなんです。

4.当事者に対して関心を持つ層はマウントを取りたいだけなんです。

5.事象に対して関心を持つ層はあるべき論を語りたいだけなんです。

そして1.当事者、または関係者の層には様々な事情があるんです。

そんな人たちで構成されているこの情報社会をストレスなく生きるためには、お互いを理解した上でリアクションするような人が増えることが必要なのかなと思います。


殴り合う社会じゃなくて認め合う社会になったらいいな。


駄文、失礼しました。

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